渡邊先生と瀧岡さんの意識に関する議論

1
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも脳は身体と独立に機能しているんだろうか。「脳の機能」と考えられていることのうち「身体抜き」でも成立するものが本当にあるんだろうか。

2011-01-22 19:08:50
渡邊芳之 @ynabe39

「脳」というのも仮説的構成概念なのではないか。

2011-01-22 19:09:15
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 私もセンセと同じ疑問を抱いてますね~。しかし、そうだとしたら、人間の自我=実態は遺伝子で自己は遺伝子の表現という利根川進の主張に近いかもしれませんね。脳も身体も結局は遺伝子の下部概念として統一されますので。RT「脳」というのも仮説的構成概念なのではないか。

2011-01-23 05:21:20
渡邊芳之 @ynabe39

私はむしろ意識や自我は「人間」という不可分な総体と環境との間に生じるものだと思います。それを支える重要な機能を脳が担っているのは確かだが,意識が脳内に生じているわけではないと思う。 RT @yutakioka

2011-01-23 06:22:14
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 なるほど、としますと、センセは脳つまり中枢神経系が把握できない、あるいは指令をだすことも出来ない、独立な”身体意識”のような物を想定されているということでしょうか?RTそれを支える重要な機能を脳が担っているのは確かだが,意識が脳内に生じているわけではないと思う。

2011-01-23 06:41:18
渡邊芳之 @ynabe39

どうしてそうなるのかがわからないよ〜。 RT @yutakioka: なるほど、としますと、センセは脳つまり中枢神経系が把握できない、あるいは指令をだすことも出来ない、独立な”身体意識”のような物を想定されているということでしょうか?

2011-01-23 06:43:39
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 この主張は私も理解できます。ただ私の場合、静態的に間に存在するよりも自我は遺伝子の表現とそれに対する環境という抑制装置との闘争を通じて非連続的に存在していくものと考えます。RT私はむしろ意識や自我は「人間」という不可分な総体と環境との間に生じるものだと思います。

2011-01-23 06:44:16
渡邊芳之 @ynabe39

まあ「意識について局在論をとらない」という意味ではそういうことなのかなあ。でも意識が中枢神経系と「独立」だとも思わないです。

2011-01-23 06:45:13
渡邊芳之 @ynabe39

その議論は「原因あるいは機能」と「機構」とを混同してるんじゃないかな。 RT @yutakioka: この主張は私も理解できます。ただ私の場合、静態的に間に存在するよりも自我は遺伝子の表現とそれに対する環境という抑制装置との闘争を通じて非連続的に存在していくものと考えます。

2011-01-23 06:46:19
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 そうかもしれません。どうしても、あの意識が脳内に生じているわけではないと言う部分で引っ掛かっていて、少し混乱しています。RTその議論は「原因あるいは機能」と「機構」とを混同してるんじゃないかな

2011-01-23 06:48:28
渡邊芳之 @ynabe39

「意識はなんのために進化したのか」「意識はどのように適応に役立っているのか」「意識を支えている機構はどのようになっているか」「意識の内容はどのように決まるか」はそれぞれ別の問題だと思う。

2011-01-23 06:48:49
渡邊芳之 @ynabe39

意識の存在を支える物理的な機構のかなりの部分が脳や中枢神経系にあることを否定する人はいない。でもそのことと「意識そのものが脳内に存在する」ことはイコールではないよね。

2011-01-23 06:52:16
渡邊芳之 @ynabe39

意識の存在を支える物理的な機構のかなりの部分が脳や中枢神経系にあることを否定する人はいない。でもそのことと「意識そのものが脳内に存在する」ことはイコールではないよね。

2011-01-23 06:52:16
渡邊芳之 @ynabe39

私はべつに特別なことを言ってるんじゃなくて,「現象を支える機構」イコール「現象」ではない,というごく当たり前のことを言っているだけです。

2011-01-23 06:53:26
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 センセが提出された区別ですが、2と4が別の問題であるということは理解できますが、1と3が別の問題であるというのは違和感を感じます。といいますのは、何の為というのは、必然的に進化の方向性を定めると思います。

2011-01-23 06:52:26
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 進化に自然淘汰というメカニズムが働くということを想定すれば、進化の目的である、例えば麒麟において生存に有利な長い首を形成する為の遺伝子の保存という目的にそって淘汰圧は働くはずです、そしてその結果として、首を長くする遺伝子が保存されてそうでないものは淘汰されます。

2011-01-23 06:54:54
渡邊芳之 @ynabe39

因果関係が想定できる時点で二つは別物でしょう?それに同様の適応が別の形態でも実現可能な場合も多い。 RT @yutakioka: ....1と3が別の問題であるというのは違和感を感じます。といいますのは、何の為というのは、必然的に進化の方向性を定めると思います。

2011-01-23 06:55:47
渡邊芳之 @ynabe39

淘汰圧自体が形態や機構を決定することはないと思う。 RT @yutakioka: 進化に自然淘汰というメカニズムが働くということを想定すれば、進化の目的である、例えば麒麟において生存に有利な長い首を形成する為の遺伝子の保存という目的にそって淘汰圧は働くはずです...

2011-01-23 06:57:22
渡邊芳之 @ynabe39

これはライルがカテゴリーについて言ったことと同じですね。「お芝居そのもの」はどこにも存在しない。「意識」もそうなのかどうか。 RT @toriniku_umee: お芝居は舞台や装置や役者によって行われるが、役者も装置も舞台もお芝居そのものではない、みたいなことでしょうか

2011-01-23 06:58:58
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 いえ必ずしもそうとは言えません。確かにそういう場合はありますが、因果同士が依存関係にある事例は自然界には数多くあります。例えば電場と磁場の関係です。電場の変化が磁場を引き起こしますが、逆もまたしかりです。RT因果関係が想定できる時点で二つは別物でしょう?

2011-01-23 06:59:13
渡邊芳之 @ynabe39

相互依存していることと「同じもの」であることは違う。少なくとも概念的には区別しなければ相互依存関係も分析できない。 RT @yutakioka: 因果同士が依存関係にある事例は自然界には数多くあります。例えば電場と磁場の関係です。電場の変化が磁場を引き起こしますが、逆もまた..

2011-01-23 07:01:09
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 たしかに、すべての淘汰圧が形態や機構に影響があるとは思えませんが、環境要因が変化することにより淘汰の方向性も変化し、遺伝子が変にし、形態が変異することはありえます。利根川進の発見は正にその例でした。RT淘汰圧自体が形態や機構を決定することはないと思う。

2011-01-23 07:07:03
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 いえ、同じものではなくて、依存関係にあるので、全く別のものとして考えるのは不都合ではないか?と考えるのです。片方が決まれば、もう片方もある程度決定されるので、独立的とは考えられないと思うのです、違う物であるにはしても。

2011-01-23 07:09:44
渡邊芳之 @ynabe39

そうじゃなくて「影響することと形態や機構を決定することは別」という話。すべての淘汰圧が形態や機構に影響するとしても話は同じ。 RT @yutakioka: たしかに、すべての淘汰圧が形態や機構に影響があるとは思えませんが、

2011-01-23 07:09:50
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@ynabe39 これは理解できるのですが、違うモノであるにしても、依存関係にあるので独立的と考えるのは不合理と思うのです。RT私はべつに特別なことを言ってるんじゃなくて,「現象を支える機構」イコール「現象」ではない,というごく当たり前のことを言っているだけです。

2011-01-23 07:12:10