膝丸と蜘蛛切丸藤四郎 あるいは、歴史の中で同名刀がいかにして混同されていくか
- flowerdoctrine
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前提
・膝丸の数多くある名前の一つが蜘蛛切
名前遍歴:膝丸(膝切)→蜘蛛切→吠丸→薄緑
・熱田神宮にある粟田口藤四郎吉光の脇差の名前が蜘蛛切丸
その他の名前:茎に亀王丸と銘があるので、亀王丸とも
思えば巨大なフラグを立てていた
※蜘蛛切丸(藤四郎) 熱田神宮の奉納刀。亀王丸とも。 吉光の蜘蛛切だけで最低3振り、更に吉光以外の蜘蛛切もあるという名前被りのキング 類例:鬼切(作者はバラバラだが、伝来のハッキリしている同名刀が十数振りある)
2015-06-18 18:30:22蜘蛛切丸を調べるきっかけ
次にこれ twitter.com/flowerdoctrine…
2016-01-19 17:06:02なお、千秋季信の父親は季忠といい、桶狭間の戦いで戦死していますが、同年5月中に、熱田に蜘蛛切丸(亀王丸とも)という吉光作の脇差が奉納されています。これは戦勝祈願だったのか、桶狭間で戦死した季忠達への手向けだったのか、今はもうわかりません。なお、鑑定家によると、これも再刃物のよう。
2015-05-08 22:54:51張州雑志、蜘蛛切丸の部分の意訳
スマホメモから1 蜘蛛切丸(張州雑志より) 蜘蛛切の太刀、鎮守府将軍源満仲が、異邦の鍛工に命じて作らせたもので名を膝丸という。 また信景(途中でメモが切れてる)によるとこの刀工は筑前国三笠郡土山というところに居した。然る後、(満仲の)子の頼光に伝わった時には蜘蛛を切ったのでry
2016-01-19 17:22:10スマホメモから2 蜘蛛切丸(張州雑志より) 以後、出羽守頼基・伊予守頼義・陸奥守義家・六条判官為義と相伝され、為義の頃に吠丸と改称される その後、熊野別当教真にこれが与えられた。然る後、伊予守義経がこれを手に入れ、薄緑と名付ける。
2016-01-19 17:33:27スマホメモから3 蜘蛛切丸(張州雑志より) 義経の晩年に、この太刀は相州箱根の神祠(箱根神社?)に収められた 建久4年、箱根別当の行実がこの太刀を取り出して、曽我五郎時宗に授ける、これで敵を討つ。それと、頼朝がこれを得た。後世、なんか故あって熱田神庫に収められた
2016-01-19 17:44:43スマホメモから4 蜘蛛切丸(張州雑志より) 収められた太刀を調べると、この太刀は京の刀工吉光が作ったものに他ならない。 張州志家のいう所によれば、初めは膝丸という名で、のちに蜘蛛切と改められたものであり、鍛冶吉光が作ったという
2016-01-19 17:54:21