20160123 #NHK スペシャル「シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建” ~福島 楢葉町の苦闘~」
町の職員たちに4か月密着。2人の主人公を通じて、福島のリアルな今、そして微かな希望が見えてきます。町の苦闘を見つめるとともに、その町に生きる生身の人間の苦闘と葛藤を感じていただけたら。 原発事故5年 ゼロからの“町再建” 今夜9時 www6.nhk.or.jp/special/index.…
2016-01-23 08:05:40#NHK SP「シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建” ~福島 楢葉町の苦闘~」2015年に避難指示が解除された福島県楢葉町。住宅を1軒1軒回って帰ってきた人を把握しようとしている。やっと見つけた一人暮らしの男性、人と話したのは1週間ぶり。
2016-01-23 21:01:40#NHK 8万8000人が強制避難となり、人の立ち入りは制限され、町の機能が停止した。2015年9月、国は楢葉町への避難指示を解除。町内に設置された線量計。線量は国の基準を下回るレベルになった。4年半の間に失われたあらゆる生活基盤を再建しなければならない。
2016-01-23 21:03:52#NHK 帰還した住民を探し家々を訪ね歩く生活支援相談員たち。戻ってきても町に届け出る義務がないので、家を1軒1軒訪ねて確認する。相談員の渡邉久美子さん、住民の健康状態や支える家族がいるかを訊く。得られた情報は紙に記して住宅地図に貼る。1月で7,400人中400人が帰還。
2016-01-23 21:08:43#NHK 原発事故後、楢葉町役場は会津美里町、いわき市に移転し、去年9月に楢葉町に戻った。住民も避難先を点々とし、今も多くの人が町を離れて暮らしている。戻った住民を訪ね歩く渡邉さんたち。ひと月で700軒を回るが、会えるのは50人程度。1日回って1人にも会えない日もある。
2016-01-23 21:10:14#NHK その原動力は、自分の両親への思いにある。渡邉さんの父は原発事故の翌年、母はその半年後に亡くなった。「親が帰りたかった町だから、少しでも役に立てたらいいのかなあ」この日、一人暮らしの男性を訪ねた。大和田昭さん87歳。いわき市の仮設住宅から戻ってきた。
2016-01-23 21:11:56#NHK 「こうやって野菜を植えたら、野菜と話し相手する」自宅に戻れたことを喜ぶ大和田さんだが、「近所に人はいるの?」「…(泣き声)」「大丈夫よ、だんだん戻ってくるから、みんな」近所には帰還した人は誰もいないという。「また来ますから、お父さんの作った野菜も見に」
2016-01-23 21:13:29#NHK 大和田さんが戻った大きな理由は、先祖から受け継いだ土地への愛着だった。「百姓は面白いな、俺は」原発事故前に一緒に暮らしていた息子家族は、避難先のいわき市から戻っていない。週に1回程度、息子が食材を届けにくる。大和田さんは10年前に脳梗塞で倒れ、今も左半身麻痺が残る。
2016-01-23 21:14:52#NHK 大和田さん、1日3回の血圧測定は欠かさない。「不安じゃないですか?」「いや本当はそうだけど、独りでこうやっているんだわ。(周りに)いないからな」渡邉さんたちがこれまでに会えたのは250人。身体の不自由などがあり支援を希望する人は、そのうち1/5。
2016-01-23 21:16:13#NHK 160人の職員が町の再建を目指して働く楢葉町。その中核が新産業創造室。町長直属の6人が、町の機能の再生を進めようとしている。グループを率いる渡邉文生さん39歳。原発事故後、自ら志願してこの部署に来た。幼なじみの友人たちは原発事故後散り散りに。
2016-01-23 21:18:10#NHK 震災前楢葉町にあった医療介護施設、食料品店は、町の広い範囲に点在していたが、いまは学校は再開しておらず、医療介護施設は2つだけ。食料品店も小さな仮設商店とコンビニしかない。新産業創造室が力を入れているのが、住宅や商業施設を集約した、新しい町の中心を作ること。
2016-01-23 21:19:36#NHK これまでに出店が決まったのはホームセンター1店舗だけ。渡邉さん、なんとか大型のスーパーマーケットを誘致したい。「生活ができるような場所として整備する上では、やはり商業施設が一番大切」この日、スーパー誘致のためにいわき市へ。訪ねたのは、スーパー社長の根本さん。
2016-01-23 21:20:56#NHK 渡邉さん、新しく作る商業施設の中核施設になってほしいと、客が集まる一等地を根本社長に提示。しかし、今町に戻っているのは約400人、その5倍以上が戻らないと経営が成り立たないと根本社長。渡邉さん、協議を継続してもらうことだけで精一杯。
2016-01-23 21:22:24#NHK 根本さん自身、いずれは楢葉町に戻りたいと、2年前にプレハブ店舗を開いたが、平日の昼過ぎは復興事業の作業員が多く訪れるものの、ピークの時間を過ぎると客足はパッタリ止まる。営業損失が年間7000万円。避難指示解除後も売上は回復しない。
2016-01-23 21:24:09#NHK 根本さん「営業補償が終わって、あとは自助努力でなんとかしてくれと言われる時期がいつか来る。その時ウチの会社はどうなっちゃうんだろう。これからなんですよね、震災から5年経ったからすべてが終わりじゃなくて、これからがスタートなんで」
2016-01-23 21:24:58#NHK 楢葉町の企業の6割が楢葉町に戻りたいとしているが、既に再開したのはそのうち3分の1にとどまる。人が戻るのが先か、商業施設が戻るのが先か。渡邉さんは、楢葉町にあった企業を回って、元の場所で再開してもらうよう働きかけている。この日は観光バス会社へ。
2016-01-23 21:26:02#NHK この観光バス会社の仕事の多くは、原発作業員の送迎。震災前7人だった従業員は88人に増員。楢葉町民はほとんどいない。7台のバスは50台近くに増え、年商も10倍以上の8億円に。この急成長が、楢葉町に戻る上での足かせになっている。多くのバスを置けるスペースが町にない。
2016-01-23 21:27:58#NHK バス会社副社長「会社が小さければ簡単に戻ってこれたと思う。大きくなったがゆえの難しさ」避難先に定着する企業が増えている。NHKアンケートでは、避難先に経営基盤ができたので帰れないという企業が6割、従業員の確保が難しいとした企業も6割にのぼった。
2016-01-23 21:29:25#NHK 渡邉さん「事業者と同じ立場だったら、たぶん同じ考え。第一に従業員のこと、会社のことを考えないと民間はうまくいかない。それはわかるから想定内。それをなんとかするのが行政なんだけど、うまくいかないから苦しいんだよね」
2016-01-23 21:30:16#NHK 福島市。去年8月に発足した復興のための官民合同チーム。被災企業の自立支援を目的に、今後設備投資や販路開拓などの支援を行う。
2016-01-23 21:31:35#NHK 渡邉さん、若い世代が戻ってこられるよう、新たな産業を呼びこむ活動も始めている。町の郊外に造成された工業団地に、新エネルギーなど新産業の拠点を作ろうとしている。これまで4社の誘致に成功、200人の雇用が生れることになっている。この日は大手金属メーカーの子会社へ。
2016-01-23 21:34:15#NHK 次世代の電気自動車の電池を生産する工場。総工費70億円。うち30億円は国の補助金。必要な作業員は50人。渡邉さんの心配は、どれだけ楢葉町民が雇用されるか。採用されたのはわずか9人。応募した人自体が少なく、9人のほとんどが避難先から通っていた。
2016-01-23 21:35:47#NHK 渡邉さん自身も町には帰還していない。いわき市のアパートで家族4人で避難生活を続けている。3歳と0歳の子供は震災後に生まれた。現代の楢葉町周辺では専門的な小児医療が受けられず、不安がある。「自分は問題ないからいつでも帰ってこられるけど、家族のことを考えると厳しい」
2016-01-23 21:37:13