今日はオフだったが家にいたくなかったサーシャは行きつけでグラスを傾けながら昨日の客を思い出す。惜しげもなく20ドルをねじ込んできた日本人は、思わず「こんなに?」という顔をしたサーシャにウインクをしてみせたのだった。……もっとも、その20ドルもロイが一日で消してしまったのだけれど。
2016-01-25 20:29:52ふう、と溜め息をつく。同僚のジェシカが別れろとせっつくロイだって、付き合い始めた頃は仕事もしていたし優しかった。喧嘩でクビになってからはサーシャの稼ぎをギャンブルにつぎ込み、機嫌が悪いと殴られる。恋から始まった筈なのに。ずるずると関係を続けてしまっている自分にも嫌気が差す。
2016-01-25 20:32:20でも、ロイと別れてしまったらサーシャはこの街で独りになってしまう。それがさみしくてロイとのけじめがつけられないのかも知れない。そんなことを思いながら煙草に火をつけようとすると、隣に座った客に火を貸してくれと声を掛けられた。あいよ、と振り向いたサーシャは目を見開く。昨日の日本人だ。
2016-01-25 20:34:05向こうもまじまじと見つめてからサーシャだと察したらしく、ああと声を漏らした。「昨日の」「うん、昨日はありがとね」礼を言うと、ライターを受け取った日本人はにこりと笑った。「こんなところで会ったのも何かの縁だ。食事は済んだ?」ううん、と首を振ると「じゃあ、付き合ってくれないかな」
2016-01-25 20:36:36いつも前を通るだけで入ったこともないレストランに誘われ、こんなかっこじゃ行けないよ、と怖気づくとブティックに連れて行かれた。まるで御伽噺だ、と鏡に映ったいつもと違う自分を見ながら思う。「うん、かわいい。ああいう店だとセクシーなメイクになるんだろうけど、こっちの方が似合うよ」
2016-01-25 20:42:27エスコートされて、顔が赤くなる。いつもは下卑た客を相手にもっと過激なやり取りだってしている筈なのに。俯きがちなサーシャに、テーブルの向かいの彼は微笑みを寄越す。「おっさんに付き合わせて悪いね」「ううん、あたいこそ、こんなにして貰って……何で?」「さあ、何でだろうねえ」
2016-01-25 20:45:54楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。もうすぐ魔法も解けてしまうのだろう。「ああ、もう帰らないと。明日の便は早いんだ」腕時計に目を落とす彼を見て、サーシャは現実がすぐ後ろにまで迫ってきていることを思い知らされる。「日本に帰らないと」「うん……そうね。ほんとに、ありがとう」
2016-01-25 20:48:03声が震える。そんなサーシャの頭を優しく撫でられる。「頑張ってな。応援してるから」嫌だ、帰りたくない。このまま抱きついてしまおうか。そう思ったとき。「サーシャ!」男の声がした。思わずびくりとしたが、ロイではない。しかし聞き覚えがある。顔を上げると、目の前の彼も辺りを見回していた。
2016-01-25 20:53:36「サーシャ!」駆け寄ってくるのは、田舎の幼馴染だったビルだった。記憶になるより少し大人びて見える。「ビル……?」「そうだよ!この辺で働いてるって聞いて、金が貯まったから探しに来たんだ」そう言いながらビルは日本人の彼をまじまじとねめつけている。彼は肩を竦めて苦笑した。
2016-01-25 20:58:23「そんな怖い顔をしないでくれ。昨日楽しませてくれた子に偶然会ったものだから、食事をごちそうしただけだよ。……じゃあね、サーシャ。元気で」再び頭を撫でて、彼は背を向けた。後を追おうとするサーシャの腕をビルが引き止める。「ビル!」「サーシャ、帰ろう。俺と」振り返った彼は笑っていた。
2016-01-25 21:02:00「サーシャが都会に憧れてたのは知ってる。でも、ずっと場末のダンサーで……さっき店に寄ったときに聞いたけど、良くない男にたかられてるって……」唇を噛みながら続けるビル。サーシャの脳裏にはおせっかいなジェシカの顔が浮かぶ。「サーシャ、俺が幸せにするよ。贅沢は出来ないかも知れないけど」
2016-01-25 21:04:23ぼろぼろとサーシャの目から涙がこぼれた。憧れたこの街でダンサーとして頑張る。それは嘘ではない。さっき頑張ってと言われたのも嬉しかった。だが、既にどこかで彼女の限界は、超えていたのだ。「なあサーシャ、田舎で少し休んで、それでも諦められないなら、今度は一緒に戻ってこよう?」
2016-01-25 21:09:40ビルが昔から自分のことを好きだったのは知っていた。でも、まさか追い駆けてくるなんて。そんなにまで、思われていたなんて。おずおずと差し伸べられる手を取る。にこりと返事をして見せたサーシャが首を巡らせるといつの間にか彼は消えていた。都会の最後の夜を彩った魔法使いのように。
2016-01-25 21:13:33ロイは気持ちばかり浮いた金で紙袋に入れたウィスキーを煽りながら帰るところでノミ屋のJ.J.(黒人)に刺されてしまうのであった
2016-01-25 21:09:39@xsheeenax ビルが助手席のドアを開けた車はハイスクールの時サーシャがふざけて「あれくらいの車に乗せてくれる男でなきゃ」と言ったラインの入った真っ赤なマスタングで、西海岸を疾走する駿馬はまるでオールドムービーのヒロインになったようにサーシャを懐かしいコーン畑の香りが文字数
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