- tebasaki_s
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たまさか続けて見た「ターミネーター」「ノーカントリー」でショットガンをソード・オフするシーンがあったので、アレは「窮鼠猫を噛む」をあらわす象徴的な儀式のように思えてきた。
2016-01-31 16:39:21散弾銃をソードオフするということそのものは、単に携帯・隠匿しやすくするための処置でしかありませんが……しかし、映画におけるそれは、「登場人物の不退転の覚悟」を示す儀式として機能しているのかな、と思ったりします
2016-01-31 16:44:35あくまで、映画的な意味での話ですが……銃を加工するという行為は、不可逆的です。加工された銃は、もう元の銃ではありません。それはつまり、その銃を使う人間の不可逆的変貌を意味している、ともいえます
2016-01-31 16:48:18現実とは逆に、ソードオフされた散弾銃は、映画の中では、凄まじい破壊力を持つ「必殺武器」として扱われます。いわば「必殺の切り札」の記号ですね。それはつまり、ソードオフ散弾銃を持つ人物が、自ら運命に立ち向かい、それを打ち破ろうとする意思を示している、ともいえると思うのです
2016-01-31 16:51:41それは「変身」
@thefrog1192 映画というものは、見る者によってまるきり違って見える絵のようなものですからね。だからこそ楽しいし、しみじみと味わいたくなる
2016-01-31 16:59:14それは「儀式」
ソウドオフショットガン出てきた映画でおれが観たことあるやつで一番古いのは「リオ・ブラボー」かな あれも絶体絶命の包囲戦だったけどあの若いやつが持ってた水平2連はソウドオフしてたかどうか
2016-01-31 17:14:03@hardboiledski45 マカロニウエスタン『バンディドス』で象徴的なのは、師匠が復讐のために散弾銃をソウド・オフして単身仇敵に向うシーンです。一度師匠を見捨てた弟子が、その加工現場を訪れて、切り落とされた銃身を手に取るのです。それで意志をくみ取って加勢に向かうという。
2016-01-31 17:23:36@klaus_kinske ガンマンにとって、愛銃は相棒、いや分身とでもいうべきものですから、その銃身を切り落とすという行為は、ただならぬことなんですよね
2016-01-31 17:28:04@hardboiledski45 『スカイフォール』の爺さんなんかそうですよね。しかもソウド・オフすることにより、確実にイリーガルな世界に足を踏み入れ、とりわけ西部劇では対人用に用いるのを良しとしない文化がありましたから。
2016-01-31 17:35:19@klaus_kinske そこまでしても、やらねばならぬことがある。倒さねばならぬ敵がいる。まさに、不退転の覚悟が必要な事態であって、そこに重ね合わされる銃身を切りつづめる行為は、まさに不可逆的な変身を意味している……
2016-01-31 17:37:44銃に込められた「意味」
@klaus_kinske 映画において、あらゆる場面には意味がありますが……その中でも、銃というモチーフは、とりわけさまざまな意味を背負ってきたよな、と思います。銃に弾を込める、その何気ないシーンにすら、ときに重い意味が込められている
2016-01-31 17:40:38@hardboiledski45 画面に写り込むと印象深くなるので、それで映画ならではでのイメージも先行してしまうのかもしれませんね。
2016-01-31 17:52:46