- susumu_karedo
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パソコンパラダイス誌面の記事「モノクロームの幻想」は、とりあえず91年のメガミマガジンの第1号から掲載されていて、最初期の記事は単なるエロゲー紹介が白黒2ページまたは4ページで行われてた
2016-01-30 23:15:48当初はエロゲー批評というより純粋にエロゲー紹介、淡々とゲーム内のキャラの女の子達のエッチシーンをスナップする記事が大半だったが、「戦い終わって」というハシラのコラムがあって、そこでは最初期は読者コーナーのような、読者の感想と記者の応答がメインだったのだが、
2016-01-30 23:17:37それが93~4年ごろ? それまでは匿名記事(おそらくライターの持ち回り?)から、結城学さんという方が記事を書き始めていた頃、結城さんが何らかの理由で書けず、その代役として記事を書いたのが「西谷有人」さんだった
2016-01-30 23:19:48有人さんも当初は基本的にはエロゲーの紹介ページを踏襲していたが、やがて「戦い終わって」のコラム部分の記事が単なるエロゲーのエロい部分やキャラの可愛さとかのクローズアップではなく、総体としてのシナリオの秀逸さやそのシナリオから感ずるもの、さらに推し進めて「エロゲーとは」まで進んだ。
2016-01-30 23:24:05コラムとしては94年6月号「ようこそシネマハウスへ」、同年7月「続・妖獣戦記」、同年8月「AmbivalenZ -二律背反-」くらいから、如実に「エロゲー(Hゲーム)の面白さとは」を語り出すようになっている。
2016-01-30 23:29:48(1)「かつてエロマンガで「触手モノ」というジャンルがあり、これは従来のエロマンガと質的に異なったものでした。従来のものでは読者は犯す側に感情移入して読み進んだのに対し、触手モノでは犯す側が描写されておらず、犯される側への感情移入が前提となります。
2016-01-30 23:35:25(2)つまりエロマンガが従来の男根中心主義から、多彩なエロティシズム描写へと発展する、その先駆けとなったのが触手モノと言えるでしょう。
2016-01-30 23:36:00(3)さて、その触手モノの後継者と言うべき「続・妖獣戦記」はどうでしょうか。本作には、触手になぶられる女の子が大量に登場します。しかし彼女たち個々人に感情移入することは困難です。なにせ彼女たちの人バート有象はほとんど描かれていないのですから。
2016-01-30 23:38:43(3)さて、その触手モノの後継者と言うべき「続・妖獣戦記」はどうでしょうか。本作には、触手になぶられる女の子が大量に登場します。しかし彼女たち個々人に感情移入することは困難です。 >なにせ彼女たちの人バート有象はほとんど描かれていないのですから。 ×人バート有象 ○人物像
2016-01-31 00:55:23(4)一方、A.S.S.P隊員達はそれなりの描写がなされているのですが、彼女たちを犯すのはゲーム中唯一の男根=プレイヤーなのです。
2016-01-30 23:38:51(5)私は男根中心主義がいけないとは言いません。それはHの基本であり、絶対にハズしてはいけないものです。ただ現在のエロゲーは、それ以外のものがあまりにも少ないのではないでしょうか。
2016-01-30 23:40:52(6)プレイヤーという行動主体を存在させるため内容に制限が生じるのは分かるのですが、もっと多角的なエロティシズムを表現して欲しいと思うのです。」(終わり)
2016-01-30 23:41:02雑誌の記事内としてはかなり小さなコラムで、書いてる事も多少つたない感じがするのだけど、エロゲーにおける男根主義的なものがあって、そこから触手モノという、男性が触手側に感情移入するのではなく、触手に責められている女の子に移入する事のエロティシズムの可能性と、
2016-01-30 23:43:51その可能性に残念ながら至らなかった、女の子に移入するには描写が足りず、移入できたのはいまだ主人公側だったという部分で、エロゲーは単純な男根主義では無く、もっと多彩なエロティシズムの可能性があるのではないか、そこに期待したいという意志が僕には読み取れる。
2016-01-30 23:46:27西谷さんの「モノクロームの幻想」は、この頃から明らかに記事の性質が変わってる。それまでほとんどが単なる作品紹介だったのが、コラムを使ってゲームの善し悪し、課題を語りながら、Hゲーム全体にある何かを捉えようとしているように見える。
2016-01-30 23:52:5794年12月号の「モノクロームの幻想:94年総集編」では、94年のエロゲーを振り返るという企画で、かなりの長文記事を記載している。通常なら記事2割:ゲーム内のスクリーンショットが8割くらいなのだが、この回は完全に逆転している。
2016-01-30 23:57:25そして文末の「戦い終わって」のコラムでは、「歳末大予想・Hゲームの1995年を探る」というお題で、「95年は家庭用次世代機(セガサターンやプレイステーション、PC-FXなど)の機種への、Hゲームの参入」を預言している。
2016-01-31 00:02:26記事は、エロゲーが手軽に出来るようになる日が来るだろうこと、そしてエロゲーがメジャーシーンの俎上に上がることになり、多くの人によってプレイされることで、逆にその作品のクオリティは厳しくなり、淘汰圧がかかるかもしれないと語っている。この辺は僕はかなりの卓見じゃないかと思う。
2016-01-31 00:04:37ともあれこの辺は、折からの「ときめきメモリアル」などに代表される「ギャルゲー」(当時はまだそんな名前無かった)が大量にリリースされはじめ、エロゲーはうまく時流に乗っていった印象はある(リビドーの「放課後恋愛倶楽部」が出た時はのけぞった記憶があるけどねw)
2016-01-31 00:14:01とまれ、単なるエロゲー紹介が主流だった中、ある雑誌の一部で、94年のある頃を境に大きく評論へシフトしていった動きを出来たら覚えて欲しい。今となってはネットでいくらでも読めるエロゲー評論だが、20年以上前のエロゲーはいまだ雑誌としてはかなり斬新な取り組みというか、かなり挑戦的だった
2016-01-31 00:16:41で、94年の12月の総集編の後、95年の1月号で、「モノクロームの幻想」は読者にかなり大きな一石を投じる事になる。それが「宇宙怪盗ファニーBee」の評論「Hゲームは「Hゲーム」を告発する」なのだが、今日はこれくらいにしておこうと思う。 長々と書いてお目汚しでした。
2016-01-31 00:18:39「性的まなざし」という言葉に対するヘイト、男性が二次元(非二次元も含まれるだろう)の美少女を見る時、そこにはむきだしの性欲でやりたい放題やっている、ありていに言って女子をレイプする願望を解放しているのだろうと言わんばかりの非難に対して、(続く)
2016-01-31 00:35:30