ラトゥーシュに関するツイート

ぼくが『経済成長なき社会発展は可能か』を読みながらツイートしたものや、書評から切り貼りしたものとトゥギャッターで検索したもの
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tu-ta @duruta

「南側諸国において成長論理を維持したり、もしくは…これらの諸国に成長論理を導入したりすることは、まさにこの成長論理によって創られた生存の危機からこれらの諸国を脱出させることを口実として、…より一層西洋化することを許すのみである」(ラトゥーシュ本209p)

2011-01-24 00:21:48
tu-ta @duruta

またラトゥーシュから孫引き:マジード・ラーネマ「われわれが援助と呼び続けるものは、極度の貧困が発生する構造を強化するに至らしめる財政支出に他ならない。反対に…財産をだまし取られた犠牲者たちは…オルタナティブを見つけ出そうとしてグローバル化した生産体制とは(続く

2011-01-24 04:58:09
tu-ta @duruta

続き)距離を置くことを望むがゆえに、決して援助の対象となることはないのだ」210p

2011-01-24 05:00:10
tu-ta @duruta

(ラトゥーシュ本214p)西洋社会で暮らすわれわれが〈脱成長〉(デクロワサンス)社会の道へ決定的に踏み出し、そして〈脱成長〉社会の「モデル」は望ましく規範的だと証明してこそ、われわれは最善の方法で、中国・ブラジル・インドの国民に…方向転換をするよう説得できる

2011-01-24 05:12:12
tu-ta @duruta

またラトゥーシュから孫引き:ゴルツ:資本主義的文明は無情にも破壊的壊滅を迎えるという論理である。また、資本主義打倒にはもはや革命的階級は必要なく、資本主義自身が墓穴を掘り、傍らには同時に残業文明の墓が並び立つという次第」。その上でラトゥーシュは続ける

2011-01-24 05:20:12
tu-ta @duruta

続き)「だからといって資本主義のこのような望ましい崩壊は勝利の凱歌に満ちた未来を保証するものではない、革命がその権利を復興させるのはまさにこの点においてである」と。そして、その革命の中身を説明するのだが長いので略。216p

2011-01-24 05:23:49
tu-ta @duruta

ここで、訳者の中野くんは、一般的に使われる「革命か改良か」という語ではなく、「革命」か「改革」かという訳語を選んでいるのだけれども、どんな意味があるんだろう?

2011-01-24 05:25:49
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本229p:〈脱成長〉(デクロワサンス)の国民規模での政策案は逆説的な様相を呈する。現実主義的で妥当な諸々の提案の実行は、全面的な体制変革なしにはほとんど採用される見込みがなく、達成は程遠いものとなるからだ。(続く

2011-01-24 18:47:13
tu-ta @duruta

続き)体制を転覆するためには、自律的で共愉にあふれる社会という豊穣なユートピアの実現のみが生み出すことのできる想念の変革が必要である。/したがって欠けているのは視座でもなく解決方法でもなく、それらを実行するための条件である。(この文章、ぼくにはちょっとわかりにくい。理由は次に)

2011-01-24 19:11:53
tu-ta @duruta

「自律的で共愉にあふれる社会という豊穣なユートピアの実現」を「生み出すことのできる」という「想念の変革が必要である」というのなら、理解可能。しかし、この文章は「豊穣なユートピアの実現のみが」「想念の変革」を「生み出すことのできる」と読める。ユートピアが実現した後で「体制を転覆」?

2011-01-24 19:12:42
tu-ta @duruta

前のラトゥーシュ本の引用から少し飛ばして続き)重要なことは、根本的な方向転換を行うことである。ゆえにそのような転換の条件を創出することが大事である。〈脱成長〉(デクロワサンス)のプロジェを深化させる試みとは、まさしくこのような条件を整えることを目指すのである

2011-01-24 19:46:15
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本:筆者が提案する〈脱成長〉(デクロワサンス)社会という考えは、過去への不可能な回帰ではなく、資本主義との妥協でもない。それは近代の(可能ならば適切な方法による)「超克」である。246p

2011-01-25 04:47:00
Tomomi Tabata @TORI_japanese

ブログ更新しました! セルジュ・ラトゥーシュ著、「Farewell to Growth」を読んで考えたこと http://t.co/ReHnRdU

2011-01-26 20:00:35
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本:ハンナ・アーレントの言葉を借用すれば、活動的生活の中で抑圧されている二つの要素―職人または芸術家の仕事(work)と本来の意味での政治的な活動(action)―が労苦(labour)に対して市民権を回復するだけでなく、観照的生活自体が再生する…」240p

2011-01-27 05:08:49
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本、訳者の中野さんが7刷に:本書はラトゥーシュの思想を単に「輸入」するのではなく、解説論文を通じて、戦後日本の市民運動と地域主義を、次世代、そしてその次の世代の研究者・市民へと橋渡しするために作成されました。その意味では、10年後、20年後の読者を想定して作成…

2011-01-27 05:47:51
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本(訳注)から:フランス語のプロジェは、英語のプロジェクトと異なり、「企てる」という社会運動としての意味がある。この第二章では〈脱成長〉の地域に根ざした社会運動としての可能性が議論されており、また「プロジェ」が社会変革を意味する「政治的なるもの」を再興するもの(続く

2011-01-27 05:54:27
tu-ta @duruta

続き)――言い換えれば、自律性の回復――として捉えられていることに留意したい。次章では「政治プログラム」という名の下で、既存の議会政治の枠組みの中での〈脱成長〉の政策としての可能性が議論されることからも、「プロジェ」のもつ「社会的企て」としての特質が理解される。 171p

2011-01-27 05:58:35
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本から:〈脱成長〉社会がいかなるものでありうるか、その輪郭を描いてみることは、今日の生態学上の要請を尊重するあらゆる政治行動計画の前提条件である。169p

2011-01-27 07:06:48
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本http://bit.ly/gfAq6oから借りて:脱成長社会は、希少性、依存的な欲求、経済的計算、合理的経済人といった抑圧的な想念の中で生産・消費活動を行うことはしないのだ。経済制度の基底を成すこれらの想念は、根本から問いなおさなければならない

2011-01-27 17:43:24
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本:〈脱成長〉は欧州、サブサハラ、ラテンアメリカの間で異なる展開をみせるであろう。重要なことは、多様性と多元主義を蘇らせるために、一次元的な合理的経済人というパラダイム――地球の単一化と文化の自殺の主な源泉――を抜け出すこと…

2011-01-29 14:46:25
tu-ta @duruta

ラトゥーシュは「経済から抜け出せ」という。それって、なんだと思う。これは「一般的には人々の理解をたやすく得るところではない」という。なぜなら「この時代を生きる人々にとって、経済が一種の宗教であることを自覚するのは困難であるから」

2011-01-29 06:06:59
tu-ta @duruta

ラトゥーシュ本:「これらの経験ゆえに、日本は独自の〈脱成長〉社会を創造するに相応しい位置にいるように思われる。なぜなら日本には、古から続く東洋の文化が凶暴な西洋化によって冠絶に根絶されることなく残っており、そのような伝統文化が現在の経済危機を契機に復活する可能性があるから」(続く

2011-01-29 13:13:12
tu-ta @duruta

いま引用したラトゥーシュの日本に対するコメント、日本語版向けの社交辞令もあるかもしれないが、さっき長く引用した続ピークオイル以降の世界http://bit.ly/exV4Wdの認識のほうがリアルだと思う

2011-01-29 13:20:15
tu-ta @duruta

@mackeeee 「開発」という概念に対する根本的な批判をラトゥーシュはしてます。ぼくもラトゥーシュに近いです。ヘレナさんは『懐かしい未来』で『カウンター・ディヴェロップメント』を主張してます。これも『いい開発』という考え方からは遠いかなぁと思います。 #shiakei 

2011-02-07 15:09:02
tu-ta @duruta

ラトゥーシュの『経済成長なき社会発展は可能か』に関するツイートhttp://bit.ly/g45FA3 をトゥギャッターでまとめてます。よかったら、見てください。 http://togetter.com/li/49487

2011-01-27 19:47:06