新聞家『川のもつれホー』関連ツイートまとめ
【review】昨年末にCLASKA the 8th Galleryで上演した『川のもつれホー』について、批評家の木村覚さんがartscapeに評を書いてくださいました。ぜびご一読ください。artscape.jp/report/review/…
2016-01-23 12:55:08それに気づいた僕は、「あっ、かわいいな」とおもったわけだが、その、僕が「あっ」っと、ちょっとおこったような顔の後藤さんに気づけた時にその後ろにいた誰かだったのかもしれない、なんて。
2016-02-17 00:20:15はたして「丸顔」とは誰だったか?それは、台詞も一通り終わり、そのシークエンスも終わったものと思い、ステートメントに目をおとしていた僕に対して、その間も演技を続けていた後藤さんが少しムッとしたようにみえて、
2016-02-17 00:15:23そんな焦りが演者にもさとられているようで、また、ないはずのモニターに映し出された滑稽なそんな自分のさまを観ているようでもあった。
2016-02-17 00:14:33それにしても、詩性の形象を立ち上げることはかようにも難しいことか。いま目の前でヤバいこと起こっていることは理解できるのだが、それが全く言葉として浮き上がってこない。今日はちゃんと寝てきたのに!
2016-02-17 00:12:23ちょうどモニター自身に見つめ返される格好となり、偶然にも今作の大阪公演と同時期に上映された佐々木友輔監督の『Drop Shadow』ともリンクすることとなる。
2016-02-17 00:10:06Google的なものの実体のなさ、動員が動員を生んでいくさま。そこには芸術作品の記述の正当性を担保する詩性の不在のままの動員のみがある。初日の夜の回に設置されていたモニターには観客ら自身が映し出されており、
2016-02-17 00:09:25また、タスクとしての方法の導入について、新聞家としては、はじめてステートメントでふれているが、おそらくその揺らぎのエモーショナルの大きさを意図している村川拓也『終わり』とは対照的に、新聞家のそれは微細でユーモラスなものとなっている。
2016-02-16 20:23:54ニヒリズムとして、あるいは、「それ(詩性)をみようとしていないだけではないか?」と、批判する意図もおそらくあるのではないか。
2016-02-16 20:17:38ところで、ここまでリジッドな形式をもつテクストを扱いながら、村社君が物語を捨てないのは、先行する相模さんや村川さんらのモダニストのテクストの記述の正当性を担保するものとしての詩性を「ないもの」として扱う向きを
2016-02-16 20:12:51これは詩性によって想起され、それが言語化される際に何処までも逃げていくイメージではなく、そのイメージをイメージたらしめているものとしての詩性である。
2016-02-16 20:08:50受け取られる隙もあったのだが、今作では物語と形式が共に手をとって詩性(第三の意味)の形象としての立ち上げ(記述)を目論む。この詩性というのは神ですらなく、現前することすらない(できない)「他者」である。(絶対者である神は現前することもできる。)
2016-02-16 18:31:34さて、前作『スカイプで別館と繋がって』はモダニズム的手法で演劇作品の様々のレイヤー(物語、形式、身体、メディアなど)をある種、自己言及的に方法を方法として可視化する試みだったわけだが、ともすれば「これはただのシニフィアンの回付」の上演に過ぎないと、
2016-02-16 18:14:12また、窓の外の風景が望めるようになっており、昼と夜の回では演者の身体のみえ方がかなり異なった。(初日の夜の回には東京タワーを望む夜景を背景にだんだんと闇に溶けていくようだった演者の身体は、快晴だった土曜の昼の回には日なたぼっこでもするように弛緩していた。)
2016-02-16 18:10:47新聞家『川のもつれホー』まず、はじめにこれまでの評で取り上げられていなかったサイトスペシフィックの問題を指摘しておく。前作までの新聞家はSNACや3331など、極めてホワイトキューブな空間を選択していたが、今回は複数会場であり、東京会場では外光を全面に取り入れ、
2016-02-16 14:00:39新聞家の公演、無事に終わりました。最後までのたうちまわる私と根気よく向き合い続けてくれた村社くん、素晴らしいバランス感覚で稽古場を動かしてくれた後藤さん、ご来場くださった皆さん、気にかけてくださった方々、本当にありがとうございました。きっと次に繋げます。
2015-12-07 02:10:15ストイックな作品だったのでお客さんにはしんどい思いさせてしまったかもしれませんが、村社くんには技術でごまかすより心で作品作り続けて欲しいな~って勝手に思ってます。
2015-12-07 00:32:36大阪のCCOも東京のCLASKAも見晴らしが良くて開演前に外見れて良かったです。当たり前のことだけどそこに暮らす人とか歩く人とか見ていい意味で自分がいることやることに何の意味もないことが実感できて良かったです。
2015-12-06 23:50:08新聞家公演終わりました~ありがとうございました。半年近くこつこつ稽古してきて日頃こんなに演出家と言葉を交わす機会なかったのでいつもプレゼンみたいな稽古で気が抜けませんでした
2015-12-06 23:45:05学芸大学で、新聞家「川のもつれホー」。台詞の意味を理解しようとすると、ちょいちょい意識が遠のく。どうやって書いた戯曲なんだろう、これ?役者さんも、よく覚えられるなぁ。
2015-12-06 23:02:48千秋楽無事に終演しました。ご来場いただいた皆様、5日間住ませてくれたCLASKA、一見当てのなさそうな実践に関わってくれたお二人本当にありがとうございました。新聞家は2016年どしどし動きます。作品も飛躍します。ぜひ3月の京都初演の新作から、大きな期待をお寄せください!
2015-12-06 20:52:13徹底してデフォルメした身体をフィックスで眺める姿勢が成立しうるのは、他でもなくプレイヤーと作曲(とここでは言おう)者の「観せる」「聴かせる」思考と肉体性にある。 新聞家の演劇はフィックスで撮ったラッシュフィルムを、カットせず「傷めつけた」おびただしい傷の煌きと言えないだろうか。
2015-12-06 16:56:09新聞家の「川のもつれホー」を観てツァイ・ミンリャンの「楽日」やペドロ・コスタの「ホース・マネー」を思い出した。いずれも「私性(作家のセルフイメージではない)」という関連による喚起が大きい。が、面白いのは映画では相容れない両者が、生身の身体が現前する中では共存している。
2015-12-06 16:47:02