- delusiongogo
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先日行われたゲンロン完全中継チャンネル佐々木敦×東浩紀 昭和90年代、批評は再起動する live.nicovideo.jp/watch/lv212733… を実況します。一気にできなかったら日をまたぎます。
2015-03-22 19:25:23東 批評(小林秀雄の)は昭和と共に生まれた。昭和は批評の時代。文化的くくりとしては現在は昭和90年代として考えたほうがはっきりする。
2015-03-22 19:32:25東 日本で文化を考える際、昭和のククリで考えた方がよい。95年前後で文化の様相が違う。ゼロ年代は実は1995年から2005年。05年以降はプラットフォーム型文化(コンテンツでは日常系)でサバイブ系とは違ってくる。今年は05年以降のSNS文化席巻時代の区切り?それ以降の批評とは?
2015-03-22 19:41:07東 今の時代は当事者が何を考えているか、現場で何が起きているかが中心に発信されていて、部外者がそれをどう見るかについてははじかれてしまう。「について」という対象への距離感が重要。 佐々木 批評の力が衰退するような状況にある。「について」が一番重要。
2015-03-22 19:50:17東 日本はムラ社会で、勝手に自足している。そのなかで批評は重要な意義。西欧のように超越性がある文化ではそこまで批評は重要ではない。当事者は現場に金落とせみたいな話しかしない。クリエイターもまた補助金をいかに得るかばかり。批評のように外部からの視点が大切。
2015-03-22 19:51:36東 キュレーターたちだけで美術展を回して、同じ作家しか出てこない。一般の世界から乖離してしまう。 佐々木 当事者というのはインサイダーの話。運命共同体みたいになる。批評家の機能は内側と外側を相対化するもの。インサイダーは内的強度の維持ばかりになってしまう。
2015-03-22 19:53:54佐々木 批評家は最初、広報としてありがたがられ、そのうち批判をしだすとあれ味方じゃないの?と。 東 空気に水をさすというのは批評の使命ではない。空気に水をさすタイプはそれなりにマスコミが可愛がるので安住できる。つっこみを入れてのし上がる人はいっぱいいるが、批評家ではない。
2015-03-22 19:56:04佐々木 完璧なものなどないので、対象をあげつらうのはたやすい。つっこみによって空気が濃くなったりすることも。空気がどのようなものかを正確に測定、把握、描写する能力があるかが重要。それを読んだ人が空気のなかの矛盾、可能性を見抜くことができる。批評は価値判断ではなくメカニズム描写。
2015-03-22 19:59:00東 メカニズム描写は重要。地方に必要なのはばかもの・若者・よそものという言葉があるが、批評家はそれではいけない。そういう人を増やしても仕方がない。
2015-03-22 20:02:10東 これは僕の考えだが、テクストだけで動画に出てこない人は、批評家に向いていない。批評家は私小説的存在。ニコ生のコメントに耐えられないといけない。 佐々木 批評家は人前でしゃべるとか。プレゼン能力は朴訥にしゃべっていても魅力ある人もいる。人間力というか。
2015-03-22 20:12:02東 気合が重要だと思うんですよ。インテリがヤンキーに負ける。ヤンキーは頭わるいが気合はある。インテリは頭いい。だからインテリが気合を出せばヤンキーに勝てる。
2015-03-22 20:19:41東 来年にぼくと佐々木さんの共著として、昭和90年代というくくりで批評のアンソロジーを書籍として出版し、そのなかでデビューさせたい。
2015-03-22 20:41:33東 喰えるかどうかは考えません。美術演劇は喰えるかみたいな話ばかり。うんざりしている。僕の年代のインテリは凄くダメだと思いません?僕の下は目立つ。大学院重点化政策が原因では。その結果何が起きたか?書類を書く事に執着し、それに慣れる。みな就職しない。モラルハザードが起きた。
2015-03-22 20:46:47東 博士課程が終わり、月40万もらっていた。印税ももらっていた。その結果何もやっていなかった。そのモラトリアムの時期に動ポを書いた。その時期が最も評価されてしまったが、よくなかった。自分の仕事が世界でどう役立つかを思考に変えるのが批評家。 佐々木 職業訓練校ではない。
2015-03-22 20:49:25佐々木 それを目的にするのは違う。各人の経済的インフラはそれぞれ違うし。 東 学問教育は職業斡旋とは違う。喰えるかどうかは各自が考えること。個人の才覚ですよ。 佐々木 批評と商行為を今よりも健全にむすびつけることの足がけとしてこれはある。
2015-03-22 20:52:06東 批評家になるなら自分で飯を喰えるくらいの才覚がないと無理ですよ。エクセル処理できない奴が批評家できない。
2015-03-22 20:53:35東 批評家は使われない、自立していないといけない。契約書の文章を自分で読まないといけない。雑用の部分を含めて自分で処理できること。
2015-03-22 20:55:24東 そうでないと編集者やエージェント、あるいは組合の事務局に握られてしまう。自由であるためには自分でやらなければいけない。
2015-03-22 20:56:17東 文学賞を取るとかテレビコメンテーターになるとか、それでは発言の自由がなくなり枠のなかでしか発言できなくなってしまう。自由がなければ批評ではなくなる。
2015-03-22 21:31:37東 2005年以降はコミュニケーションしかなくなってカルチャーとして何もない。社会学しかなくなってしまった。「関係性の美学」というのもの美術は作品だけでなく人間関係が大事という話。コミュニケーションにはメタコミュニケーションがないので批評がしにくい。
2015-03-22 21:45:13東 原初において文学や芸術は人間関係に否をつきつけるものだった。教科書に載るようなものはもうだめ。いい人をつくるものではない。
2015-03-22 21:50:27東 今の人たちは芸術文学を役に立つものにしようとしているがそれは本質的に違うと思う。ゲンロンカフェは失敗者たちが来ればいいと思う。宗教は現世と違う価値観を提示し、現世での失敗者を救うもの。そういうもので金儲けするというのは違う。
2015-03-22 21:53:04