「表現の自由」の優位についての法学者の解説

教養的まとめ
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リンク SankeiBiz(サンケイビズ) 衆院予算委 安倍首相、電波停止「民主党政権で同じ答弁」 安倍晋三首相は15日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に触れた高市早苗(たかいち・さなえ)総務相の発言について、「民主党政権で同じ答弁をしている」と述べ、野党の批判に反論した。民主党の山尾志桜里氏の質問に答えた。

記事引用

衆院予算委 安倍首相、電波停止「民主党政権で同じ答弁」

安倍晋三首相は15日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に触れた高市早苗(たかいち・さなえ)総務相の発言について、「民主党政権で同じ答弁をしている」と述べ、野党の批判に反論した。民主党の山尾志桜里氏の質問に答えた。
菅直人内閣時代の平成22年11月、平岡秀夫総務副大臣(当時)は参院総務委員会で、「放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務相は業務停止命令、運用停止命令を行うことができる」と答弁した。
これを踏まえ、首相は「同じ答弁なのに、高市氏が答弁したからといって、おかしいというのは間違っている」と述べた。
首相は高市氏の発言について「どういう状況になれば放送法が適用されるという、一般論的な話をした」と重ねて擁護。政治的公平性の判断は「番組全体をみる。その際に、一つ一つの番組を見て判断するのは当然のことだ」と述べた。
表現の自由を定めた憲法21条との関連では「言論の自由、表現の自由は憲法で保障された基本的人権のひとつであり、民主主義を担保するものだ。重視すべきことはいうまでもない」と述べた。


木村草太の解説

れいこ (ときどきガメラ) @reikochazuke

報ステより 木村草太さんVTR出演 pic.twitter.com/omATD3by7U

2016-02-15 22:20:39
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「精神的自由」とは「表現の自由」や内心で思想を考える自由。これに対して「経済的自由」は所有権とか相続権といった財産権、あるいは営業の自由、職業選択に自由といった経済活動を具体的に行う自由。こういう違いになります。
政府がより強く、またより濫用的に規制してきたという歴史があります。戦前の日本には新聞法や出版法という法律があって、政府の気にくわない出版物あるいは新聞記事を差し止める命令がだせた。これ明らかに権力が濫用された例でした。
「表現の自由」が規制されている時には、権力が濫用されている恐れが非常に強いので、「表現の自由」というのが憲法上の権利の中でも極めて慎重に取り扱わなければいけない権利だという考え方が生まれてきたわけです。これが「表現の自由」の優越的な地位という概念です。


長谷部恭男の解説

(『ケースブック憲法』より)

もうれつ先生 @discusao

「表現の自由が経済の自由より優越する」(自由の二重基準)については、井上達夫の反論と長谷部恭男の再反論があったな。

2016-02-15 18:37:17
もうれつ先生 @discusao

井上達夫の反論: 経済的自由が精神的自由より劣るというのは知識人特有の偏見。学歴のない者が経済的成功を求め獅子奮迅する場合の営業の自由は、知識人にとっての精神的自由と比べ内在的価値において何ら劣るものではない。 twitter.com/discusao/statu…

2016-02-15 18:41:48
もうれつ先生 @discusao

井上達夫の反論(続き): また、精神的自由は経済的自由に依存する関係が強い。経済的自由なくして精神的自由なし、と言えるほどだ。

2016-02-15 18:46:31
もうれつ先生 @discusao

長谷部恭男の再反論: 確かに精神的自由が経済的自由より価値が優越している訳ではない。しかしそのことと「自由の二重基準」の妥当性との間には直接の関係はない。 そもそも個人の自立を保障する上で重要なことは、特定の選択肢を保障することではなく、多様な選択肢が開かれていることである。

2016-02-15 18:50:59
もうれつ先生 @discusao

続き: そして、個人の自律性を政府が侵害したと言えるのは、その個人が、他の個人と同等な理性的な選択をなしうる存在ではないとの前提に基いて行動する場合であり、こうした前提に基いて政府が行動する危険は、経済的自由が規制される場合よりも、精神的自由が規制される場合のほうが高い。

2016-02-15 18:54:02
もうれつ先生 @discusao

続き: 政府の規制が偏見に基づく恣意的なものとなる危険性において、精神的自由と経済的自由とは区分可能である。つまり、個人の自律的な生き方を保障すべきであるという井上達夫の立場からして、二重の基準が正当化されるはずである。

2016-02-15 18:56:46
もうれつ先生 @discusao

続き: また、そもそも経済の自由は政治的規制の上で成り立っている。民法も商法もなく、窃盗や詐欺も取り締まられることのないところでは経済活動自体が、したがって経済的自由自体が想定しがたいが、新聞法や出版法がなくとも表現の自由は存在し得る。

2016-02-15 19:00:25