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yukata_e_t
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![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
長文垂れ流したら確実にフォロワーさん減ると思うけど、せっかく書いたから貼っていくよ!!!!(フラグというか予告というか何か)
2016-02-20 11:08:19![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
誰でもカメラを持って、「これが好きなんだ」って思って何かを撮る。すると、そこにはその人の好きなものが撮れた写真ができあがる。ちゃんと撮れていれば、少なくともその人がいつも見ているそれを再現できているので、特に間違いや問題はないように思える。
2016-02-20 11:10:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
これが、写真以外の表現手段だとまずそうはいかない。絵でも文章でも、何も練習していない人は、まず何も表現できない、表現しきれない状態に陥って、それが自分でもよく分かる。客観的に見て「なんだこれは」と思うから。なので、真面目な人はそこで練習を開始し、根気のない人は表現することを諦める
2016-02-20 11:12:19![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかし、写真だとこれがなかなかそうはいかない。写真は、自分で見ても「伝えたいことを、実は表現できていない」ことに気づきにくいから。
2016-02-20 11:13:53![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
カメラを自分の好きなものに向けてシャッターを切ると、そこには自分が「いつも見ている好きなもの」が写っているので、それを他の誰かに見せれば「それの素敵さ」を伝えられると勘違いしてしまう。
2016-02-20 11:14:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかし、「それの素敵さ」はなかなか伝わらない。なぜならば、ほかの人はそれを「素敵なもの」だと知らないので、まずその写真が「素敵なものを表現している」ことが理解できないからである。
2016-02-20 11:15:01![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
写真も、絵や文章と同じく、「表現できていないと伝わらない」のは同じなのだ。しかし、写真は、撮ったら撮ったなりの何かになってしまうので、撮った本人にはそれがなかなか感覚として掴めない。
2016-02-20 11:15:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
では、その写真にあと「何が」あれば「表現できている」ものになるのか。そこで登場する「罠」が、どの入門書にも書いてある「構図」という手段である。
2016-02-20 11:16:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
構図は、英語を勉強する際に必ず教えられる「文法」と同じような位置づけである。例えば、主語と述語と目的語が入った「This is a pen」は「文法的に正しい」と教えられるように、
2016-02-20 11:17:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
表現したいものを真ん中に置く「日の丸構図」や真ん中から少しずらした位置に置く「三分割法」が、「構図的に正しい」と教えられる。
2016-02-20 11:17:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そこで、試しにカメラをもう一度持って、その「構図」とやらを使って写真を撮ってみる。そして、それを他の人に見せると、少なくとも前の時よりも何かが「伝わる」。運が良ければ「いいね!」と言ってもらえる。
2016-02-20 11:18:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「構図」が、なぜ「罠」なのか。それは、「構図」以外に、写真によって表現する手段を「誰も知らない」からである。なので、ある人は「構図こそが最高の表現手段」と考えたり、ある人は「構図を勉強したからこれ以上学ぶことはない」と考えたりして、
2016-02-20 11:20:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
それ以上の、本当に伝えたいことを伝えられる筈の写真の練習を、つまりは「センスを鍛えること」を止めてしまう。もしくは、その道がある事を気づけないままになってしまう。
2016-02-20 11:20:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
写真はセンスだ。そして、それは他の表現手段(絵とか文章とか、もちろん口頭表現も)も同じ。どれもセンスを鍛えなければ、本当の意味では上達しない。その中で、写真が難しいのは、シャッターを押すだけで撮れてしまう「手軽さ」とか、ただの文法なのにそれが時に最重要視されてしまう「構図」とか、
2016-02-20 11:23:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
たまたま綺麗な光がある所で撮ると「運良く綺麗に撮れてしまう」所とか、そういう「罠」がたくさん埋まっているからだ。センスを死ぬ気で鍛えないと、何も表現できていない何かを作ってしまうのは、他の表現手段と同じなのだ。 (終)
2016-02-20 11:23:54