「差別糾弾」-対話と説得で超克する差別-

ちょっと解り難いかもしんないけど、最近かなり問題意識を持ってるところ。
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k3_neoprotesters @k3_neoprotester

さて、ちょっと気になっていることをまた書いてみるのですが、《差別糾弾》というモノのイメージがどうも悪すぎるというか、《怖がられ過ぎている》と感じてて、これ自体が結構大きい《壁》になってるかもしれないなぁ、と思ったので、ちょっと書いてみます。

2016-02-21 21:50:14
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

《差別糾弾》ってなんなのか?《それ差別だからよしなよ》的な《指摘》をされると、大抵の場合、《なんだと!オレ様が差別してるっていうのか!》みたいな反応が帰ってきて、そもそも対話にさえならない、というのは本当によくある。よくあるというか、《普通そうなる》というカンジか。

2016-02-21 21:52:09
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

何故かこうなる。勿論、指摘する側がイキナリ《テメェゴルァ差別してんじゃねぇぞ!》だったりすると、余計こうなる。で、この《指摘する側》の人が《被差別当事者》だと、こうなりやすい。そりゃそうだ。《差別されて怒ってる》のだから、まぁこうなり易いのは当然でもある。

2016-02-21 21:54:04
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

指摘する側が《テメェゴルァ!》で、指摘を受けた側も《なんだとゴルァ!》で、一体なにかソコで《相互理解》があるかというと、まぁやっぱなかなかそうはならんよな、と。これは本当に《実践》というのが如何に難しいかを示している。どういうやり方がいいのか、ということを結構悩んだりもした。

2016-02-21 21:58:25
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

まぁ《結構悩んだ》のは、私も本来的にはそこそこの《キレキャラ》だからであります。ボロッカスというかなんというか、とある先輩の方から「おまえミもフタもない言い方しすぎ」という指摘を受けたこともしばしば。そういうのを、結構やらかしてきた方なのかもしれない。

2016-02-21 22:00:49
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

ただ、やらかしつつも、それでもやっぱり「悩む」のは、「結局理解されないからなーんも改善されないんだよね」という不毛感を毎回感じているからでもあった訳でして、まぁここをなんか上手い事やる方法はないもんかいな、という問題意識はずっとあった訳です。

2016-02-21 22:02:13
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

今年の1月になってからの話ですが、この本に出合いました。amazon.co.jp/%E9%83%A8%E8%9… 「部落解放同盟《糾弾》史」という本で、この本が結構そういうボクの問題意識に答えてくれたカンジがしてます。これの中身をちょっと紹介してみたいと思います。

2016-02-21 22:04:02
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

私自身は部落解放同盟さんの活動にリアルタイムでコミットしたことはなかったので、どちらかというと、漠然と解放同盟さんに関しては「なんかコワそう」みたいなイメージを持ってたような気はします。

2016-02-21 22:06:05
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

ですが、この本では、少なくとも「理念的」な面においては、解放同盟さんの「糾弾闘争」というヤツはめちゃめちゃ理性的でジェントルなものだったのだ、という事が丁寧に説明されていて驚いた訳です。

2016-02-21 22:07:28
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

まず、表紙にはこう書かれてます。「糾弾は《差別した者と差別された者が手を結び、差別させているものと闘う》という思想の獲得をめざしている。説得と納得を超えて、共感、共鳴、共振をめざしている。これが《糾弾は部落解放運動の生命線である》といわれるゆえんである」と。

2016-02-21 22:09:09
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

また、この本では部落解放同盟さんが取り組んできた様々な事例を紹介していて、本当に参考になるのですが、一つ紹介してみたいと思います。第2章の一番最初で紹介されている事例。

2016-02-21 22:15:06
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

新潮文庫から出された伊藤整著「小説の方法」という書籍にあった「原則として文士とは、日本の社会道徳圏外の、一種の生活不能者であり、特殊部落人であって、まともな生活意識を欠いたものとされていた」という記述があり、これについて解放同盟さんが対応を取られた事例です。

2016-02-21 22:18:43
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

この事例では、解放同盟さんは「抗議と要請」という文書を提出して対応を求められたそうなんですが、本書では、これに対する当時の新潮文庫編集部部長さんの回答について、「いい対応がされた例」として紹介している。

2016-02-21 22:21:06
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

ちょっと部分的に写経して貼ってみる。この事例での部長さんの回答書の内容も本では紹介されてますので、興味のある方は是非本の方を見て頂ければとは思います。 pic.twitter.com/uk34MxZ26F

2016-02-21 22:29:32
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k3_neoprotesters @k3_neoprotester

要するに、「それ差別だよ」という指摘を文書でやって、それを受けた側も内容を理解して対処してる事例な訳で、こうやって理解がされてしまえば、それで「1つの差別」は超克される。それでいいのだ、という事なんだと言えるでしょう。う

2016-02-21 22:32:09
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

先日、《在日特権を許さない市民の会》という名称そのものがヘイトスピーチ(差別憎悪の扇動表現)だ、という事について、とある方と意見を交わしてみました。 togetter.com/li/941276 ←経緯はこちら。

2016-02-21 22:37:14
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

説明すればすんなり解って頂ける訳なんですが、実はこういうのも「差別糾弾」の一種になるのかもしれない。特に「差別」なんて「解り難い」という場合が物凄く多いから、むしろ、かなり冷静に説明しないと解らない場面はかなり多くなる筈だろう。

2016-02-21 22:40:28
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

そして、こういう視点からみて、今の《反ヘイト》がどうか、ということ。《怒りの表現》というか《罵倒の暴言の嵐》は、果たしてどういう意味があるのか、ということ。全く無意味だとは言わない。それによって社会的に《可視化する》という役割は、十全に果たしたとは言える。

2016-02-21 22:43:30
k3_neoprotesters @k3_neoprotester

しかし、既に一定程度《可視化》された現状では、《冷静な説明》を《入口時点から困難にしてしまう》という意味で、《差別を超克していく過程》の実践を難しくしている側面も、かなり強い。むしろ、今はその課題にこそ向き合うべきだろうと思う。

2016-02-21 22:45:00