ヴィクトリア朝時代の労働者の生活

ヴィクトリア女王時代の労働者の貧困生活についてまとめられています。 現在の日本での貧困層の生活、社会政策を考えるのにも参考になると思います。
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てすら @Teslamk2t

結局「棺桶船」によるスコットランドからの人口流出は19世紀だけでも200万人とされています。行き先は一番人気がアメリカ、次がカナダ、最後がオーストラリア。オーストラリア行きが人気がないのは単純に旅が長くて死傷率が跳ね上がったというのもあります。アメリカカナダは比較的近いですからね

2016-02-21 00:12:38
てすら @Teslamk2t

スコットランドからの人口流出が多かったのはもう一つ理由があり、職を求めて都市に出たいわゆる「ハイランダー」にとって都市は苦痛でしかなかったのもあります。左のような風景(ハイランド)で暮らしていた人が右のスラムに行くわけですからね… pic.twitter.com/jX4FgcEP9t

2016-02-21 00:15:30
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てすら @Teslamk2t

ジャガイモ飢饉の最中、救貧院でさえ大量の死者を出しました。これは2013年に行われたキルケニー救貧院の発掘調査です。埋める場所が足りず、仕方なく施設内に骨を埋めました。遺骨の調査だと壊血病患者が多かったことがわかっています。 pic.twitter.com/gzVW4FDVZP

2016-02-21 00:24:03
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てすら @Teslamk2t

キルケニー救貧院では合計約1000体の遺骨が発掘された。多くの死因は骨萎縮性病変が見られることから典型的壊血病だと推定された。他にもチフスやペストが流行ったことが記録されています。市民はこれらの「不衛生な死体」を墓地に埋めることを嫌がり、仕方なく救貧院は施設内に埋めたのです。

2016-02-21 00:27:48
てすら @Teslamk2t

当時既に壊血病は新鮮な野菜や果物不足で起きることが知られており、都市の富裕層は救貧院を支援し、野菜などを救貧院に納品した記録があります。しかし、既に体が弱り切った貧者はこれらの食事で回復することが出来ず、伝染病の蔓延もあり、死に至った(とマーガレット・ゴーウェンは述べています)

2016-02-21 00:30:50