*「……主様、少しお時間をよろしいでしょうか?」夕食を終えて自室へと向かおうとする青年を使用人が引き止めた。使用人の方を見ると、その表情から会話のおおよその内容が想像できるようだった。「今度は何の用だ」仕方なく、再び椅子に腰を落ち着けて青年が使用人に問いかける。
2015-08-17 20:35:01*不安げに目を伏せ、手にした封筒をぎゅっと握り、時折交わる視線は何かを求めているように感じられた。「……その、何とお話をしたら良いものか……まずは、こちらを読んでいただけますか?」「お前宛ての手紙だろ、勝手に読んでいいのか」
2015-08-17 20:36:22*文を交わすことを許している相手は1人だけ。その相手への許可はいいのかと聞くと、使用人ははっとしたように動きを止め、暫し逡巡した後に小さく頷いた。「は、はい……大丈夫、です。緊急のお話のようでしたから」後ろめたく思いつつも、使用人は自分に言い聞かせるようにそう言い手紙を手渡す。
2015-08-17 20:37:02*「……成程な。話は分かった」数分後、青年がそう言って手紙から視線を上げると使用人の肩が不安げに震えた。「……どうか、お力添えをいただけないでしょうか」「当然だ。クリスの主人は劇団にとって大事なお客様だからな」青年の言葉に使用人の表情がぱっと晴れると、青年がそれを視線で制した。
2015-08-17 20:48:06*「いいか、誤解はするな。今回はあくまでシャオが劇団の上客で、クリスにも個人的に世話になったことがあるから、だ。お前の個人的な友人のことは自分で対処しろ」「……は、はい」青年に向けた使用人の返事は消えてしまいそうに小さい。「この件は明日、団長に相談してくる。返事はそれから書け」
2015-08-17 20:49:00*「……久々に頂いたお手紙で、つい舞い上がってしまって、私は……」主人がいなくなったリビングで、使用人は手紙を見つめたまま項垂れていた。何度も手紙を読み返し、主人の言葉を思い出す。この件では、使用人は部外者に近い存在であり、そうでなければいけなかった。
2015-08-17 21:25:55*この件で頼りにされているのはあくまで“シャオイー”という人物の知人である俳優の“ヴェロニカ”だ。「……私は、クリスさんのご主人のことを知らず、ご主人も、私のことを知らない……いえ、知ってはいけないというのに」思い起こされるのは過去の自身の過ち。
2015-08-17 21:27:00*物事を楽観視し、周囲に甘え、結果的に主人と自身の秘密を脅かしてしまった罪。それを忘れかけていたことを使用人は恥じ、自責の念に苛まれた。例えどのような事情があったとしても、その事実の重さは変わることはない。ただ、それでも――
2015-08-17 21:27:45*眉を顰め、男に身を寄せて青年が呟く。男は青年の細い身体を抱き、労わるように、ゆるく波打つ髪に指を滑らせた。「お前には苦労を掛けるな、すまない」「別に構わねえさ。上手くやってる」そう言葉を交わしたのはそれが最後だった。“仕事”の話は終わり、後は2人だけの時間になる。
2015-08-19 00:43:16* [親愛なるクリスさんへ 先日は素敵なお酒をありがとうございました。あの後も主人と一緒に味わわせていただきましたが、食事が華やいでとても美味しかったです。 . . 「ご主人が大変な時に、こんな出だしではいけませんよね……」使用人は溜め息を吐いて新しい便箋を取り出した。
2015-08-21 00:12:32[親愛なるクリスさんへ お手紙をいただいた件についてですが、主人に相談したところ、いつでもそちらのご都合の良い日に劇場にお越しくださいとのことでした。クリスさんのご主人はよくオペラをご覧になっていたそうですので、
2015-08-21 00:08:47劇場でお会いした方が何か思い出すことがあるのではないかと主人が言っていました。 突然の出来事でクリスさんもさぞご心痛のことと存じます。他にもお力になれることがありましたら、遠慮なくお声を掛けてくださいね。あまりご無理はなさいませんよう。
2015-08-21 00:09:12