鶴見大学図書館 貴重書展「源氏物語 飲んだり食べたり」展示&講演会レポート

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きき @1oving_rabbit

おはようございます〜。今日は鶴見大学図書館の貴重書展「源氏物語 飲んだり 食べたり」 bit.ly/1WOZ7WC に行ってこようと思います~ 14時からは講演会!

2016-02-27 07:39:30
きき @1oving_rabbit

まず本日お伺いしたのは、鶴見大学図書館で開催、本日最終日の貴重書展「源氏物語 飲んだり食べたり」。源氏物語の飲食の場面に的を絞った史料展示、及び本学文学部教授の高田信敬先生による講演会「飲食小景ー国文学者の拾った用例ー」でした。 p.twipple.jp/Azh8c

2016-02-27 17:21:22
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きき @1oving_rabbit

展示史料は「Ⅰ 春の食材」「Ⅱ 菓子あれこれ」「Ⅲ 御馳走と食器」「Ⅳ 喜び・悲しみ・笑い」に分類されていて、多くは鶴見大学さんの所蔵資料、江戸時代中の写が中心でした。

2016-02-27 17:27:07
きき @1oving_rabbit

展示場面は、たけのこ噛み噛み薫(横笛)、八の宮から山の幸プレゼント(早蕨)、都のトレンド貴公子光源氏をもてなす北山の僧都(若紫)、女一宮サロンの氷エロ(蜻蛉)、女二宮降嫁の際の豪華絢爛食器(宿木)、夕雁ちゃん結婚式の宴(藤裏葉)、源氏おじさんの柏木イジメ(若菜下)などのチョイス。

2016-02-27 17:49:22

訂正:早蕨の描写は、「八の宮から」ではなく「阿闍梨から」でした

きき @1oving_rabbit

高田先生の講演の趣旨は「国文学者とはどのような仕事か」というようなことだったようです。その説明例として、源氏物語の中に出てくる「土筆」と「梨」についてご紹介していただきました。

2016-02-27 17:56:11
きき @1oving_rabbit

曰く、国文学者とは、”問題を見つけて解決するのが仕事”とのこと。遠回りであっても資料を集めて愚直に読んでいくことが仕事である。例えば、二通りの表記があったら「どちらが正しいか」「それはどこから言えるのか」を証明するのが仕事で、それには問題発見能力が第一、問題解決能力が第二。

2016-02-27 18:03:57
きき @1oving_rabbit

例えば「土筆」の例。早蕨巻「阿闍梨のもとより……蕨、つくづくし、をかしき籠に入れて……たてまつれり。」で、届いた蕨や土筆はどうしたのか?食べたのか?食べ物としての土筆の用例はあるのか?

2016-02-27 18:10:18
きき @1oving_rabbit

古記録における土筆の初出用例は鎌倉。しかし『さほひめの筆かとぞ見るつくづくし雪かきわくる春のけしきは』の歌のように和歌や物語で「つくづくし」として描かれる例はもっと古くからある。特にこの歌では「土筆」の表記を踏まえた歌であることが読み取れ、この漢字表記も古くからあることが分かる。

2016-02-27 18:26:57
きき @1oving_rabbit

そのほか、土筆採りの記録、贈答品として土筆を送った記録、土筆は江戸の名物であるという記録、10月に土筆が採れたという珍しい出来事を記録した記事、蕨と土筆の漬物の出てくる記事などがある。これらから、土筆は食材として使用、また、酒肴・保存用・贈答用として用いられていたことがわかる。

2016-02-27 18:29:18
きき @1oving_rabbit

源氏物語だけを読んでいる限りでは、土筆が出てくる、ということしか分からない。その「土筆」はどうされたのかと疑問を抱き、それを解決するのが国文学者の仕事であって、そのためにはは古記録を読んでいくしかないのだ、とのこと。

2016-02-27 18:31:17
きき @1oving_rabbit

次は「梨」の話。若菜上、柏木の女三宮垣間見直後の「次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども……若き人びとそぼれ取り食ふ。」の場面。思い出していただきたいのは、この出来事が「やよひばかり」の頃であるということ。3月なのに、なぜ、梨?

2016-02-27 18:36:33
きき @1oving_rabbit

この場面には、数々の古注釈でもまったく指摘がされていない。註も付いていない。唯一、この問題に気付き疑問を呈しているのは、里村紹巴の『紹巴抄』だけである。では、この里村紹巴の疑問を解決するべく追いかけてみようか。

2016-02-27 18:43:07
きき @1oving_rabbit

ここの場面には、河海抄以来、宇津保物語の例が引用されている。しかし宇津保でも3月に梨を出している描写がある。他の梨の用例が出てくるのは、9月、12月、1月のこと。特に1月は12~13日のことに用例が集中している。したがって、秋〜正月までは梨が食べられていたということがわかる。

2016-02-27 18:50:53
きき @1oving_rabbit

なぜ1月12〜13日に描写か集中しているのかというと、 そのヒントはまた古記録にある。「梨、棗、未前、署預リ等陣ニ給フ。明日上達部、上官等料也。(寛仁三年正月十三日)」「梨、棗、未前府ニ遣ス。十四日陣料也。(万寿四年正月十二日)」どちらも、藤原実資の『小右記』である。

2016-02-27 22:10:31
きき @1oving_rabbit

梨の用例が最も多く出てくる古記録は『小右記』なのだそう。正月14日には近衛の陣という催しがあって、これは右近衛府で行われており、この宴会で梨が用いられた。 『中右記』には近衛の陣の饗宴担当は右近衛が行うのだという記録もあり、実資は職務上、梨の手配をしていたということが分かる。

2016-02-27 22:12:31
きき @1oving_rabbit

この記録によって、3月という疑問は解消できないけれど、少なくとも9月〜1月14日までは、梨が出てくることは古記録で認められるということが言える。では、 始めに提示した里村紹巴の疑問、なぜこの紹巴だけがこの問題を提示したのか。実は、これには仕掛けがある。

2016-02-27 22:25:20
きき @1oving_rabbit

源氏物語の注釈者はほとんどが公卿。公卿は家々の古記録によって過去の行事も知ることができるので、正月までは梨が出てくることは、周知であったと思われる。紹巴は公卿の出ではなかったので知らなかったのかもしれない。特に、紹巴は連歌師だったので季節感というものにうるさかったのかも、と。

2016-02-27 22:28:21
きき @1oving_rabbit

ーーちなみにこの近衛の陣、重要な宮中行事であるのでイベントとして権威がある。臣下に過ぎない光源氏の六条院で、近衛の陣を彷彿させる「梨」を登場させる。しかも柏木による女三宮垣間見の直後に。これは、源氏の皇家をも凌ぐ栄華を示すアイコンである。だがそれも頂点に達し、残るのは崩壊のみーー

2016-02-27 22:36:24
きき @1oving_rabbit

……のような論がありがちだが、これは国文学者が陥りやすい罠、論理の欺瞞である。社会通念や常識など誰もが頷くようなものに結びつけて自分を正当化するように考えるのは危険。いかにも論理的な話は人間を間違った道に導くこともあり、専門家がやってはいけないことだと知るべきである。(完)

2016-02-27 22:44:52
なぎ @kakitutei

@1oving_rabbit ツイート、興味深く拝見しました。ありがとうございます!!(*^-^*)  私は梨は乾燥させていたのかなと思っていました。実際はどうなのでしょうね。

2016-02-27 19:34:27
きき @1oving_rabbit

@kakitutei 感想ありがとうございます!途中寝落ちてしまいまして、半端で止めてしまってすみませんでした。江戸時代の『本朝食観』には梨の保存方法も出てくるのだそうですが、さすがに時代が離れすぎているので、今回は外したとも仰っていました。乾物かもしれないですね。気になります。

2016-02-27 22:51:01
なぎ @kakitutei

@1oving_rabbit お疲れのところ、ツイートレポしてくださりありがとうございます。どうぞゆっくり休養なさってくださいね。 江戸時代の文献についても教えてくださりありがとうございます。梨は塩漬けされた可能性もあるようです。(自分のホムペより)←ソースを探します。(^^;)

2016-02-27 23:33:33
伊蘆巴(いろは) @suzume168

@1oving_rabbit ここでの梨は、私達が秋(夏)の果物として食している梨と違う果物を指しているのかも知れない、という可能性、疑問は考えられないでしょうか?

2016-02-27 21:00:28
伊蘆巴(いろは) @suzume168

@1oving_rabbit @1oving_rabbit この時代の9月は、現在の新暦では11月頃に当たりますよね。3月でしたら、新暦では4月から5月ですから、梨は梨でも違う果物のように思えますね⁉︎

2016-02-27 21:16:16