GMBO2008
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しかし、である。われわれ競馬をなすものは、毎週毎週、雑多に、新馬戦も条件戦もダートも芝も、重賞もGⅠも何もかもいりまじった競馬を体験しているのである。...
2016-02-22 00:09:23
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@GMBO2008 いいかえればわたしたちの競馬を「みる」意識の「流れ」は多重的で雑多なのだ。そしてそういう雑多なレースを見ているのが、みるということのありのままに近い。 「哲学者競馬場へ行く」 檜垣立哉
2016-02-22 00:13:13
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@GMBO2008 むしろ競馬とは淡々と流れていく時間のなかで、そうした時間を生きていくメチエ=技法なのだなということを学んだのである。
2016-02-22 00:31:13
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@GMBO2008 いいかえれば、私たちが生きていることは、時間を生きることとして、ただ眼の前にある競馬を眺めつづけていること以外の何物でもないということを学んだのである。
2016-02-22 00:31:38
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@GMBO2008 人生を生きるというのはそもそもそういうことではないのか。人生のなかでなにかを試みてみるとは、賭けにも似たこの時間への関わりなのではないのか。 「哲学者、競馬場へ行く」 檜垣立哉
2016-02-22 00:36:21
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@GMBO2008 考えてみれば、私が生きているということには、どんなに人工空間で覆いつくそうとも、得体の知れない「自然」がはいりこんできてしまう。それに対して人間など、たいてい何もできない。ほぼなにひとつできない。でもそれにわれわれは、純粋思考でたち向かおうとする。
2016-02-27 22:09:13
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@GMBO2008 賭けの快楽は、こうした裏切られることそのものにある。純粋思考でたちむかったのに、結果が必ず裏切られることにある。 「哲学者、競馬場へ行く」檜垣立哉
2016-02-27 22:14:32
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@GMBO2008 季節は、毎年だいたい同じようにめぐり来る 変わらないものがあるから変化するものが浮かび上がる 小津の映画のように
2016-02-27 22:40:57