防衛大学校、自衛隊の戦前との断絶と連続性について(防大建学の理念から)
- Mae_Yotaro
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戦前の「新英米派」「海軍」「天皇機関説」は戦後の保守本流とも相性がよい。マルクス主義には批判的だが、かといって国粋主義というわけでもない。どちらかというと旧制高校的な西洋的教養が基盤。その上日米開戦反対だしそれほど左翼からは憎まれない。昭和天皇の戦前戦後の連続性の鍵も握っている。
2016-03-21 18:24:07「霞ヶ関正統外交」及び旧海軍を評しての、「反共だが国粋主義ではなく、西洋的教養を基盤とし、リベラルと親和性がある」という下記の指摘は、正鵠を射ている。 そしてその保守本流の系譜は、吉田→小泉→槇を経て、防大の理念の源流ともなっている twitter.com/yasakarenjiro/…
2016-03-25 21:53:19「帝國の選良(岳父は牧野伸顕)」にも拘わらず、憲兵隊に吊るされた経験を持つ吉田は、「民主主義的軍隊の育成」に意を用いた。その中核となる新士官学校長には、旧軍人は勿論、帝大卒の人間も、吉田は忌諱した。 当初、慶應の小泉信三を望んだが、小泉は東宮教育掛に就任したばかりで不可能だった
2016-03-25 22:15:35そこで吉田は、小泉に人選を委任。小泉が保安大(後の防大)校長に推挙したのが、同じ慶應の槇智雄であった。 慶應時代、槇は日吉キャンパス造成等に功績のあった人物であり、英留中の専攻したのが英国憲法史と、「英国流ノーブレスオブリージュを熟知した人物」として、吉田の満足する人選となった。
2016-03-25 22:20:48彼らは教条主義的な軍国日本の被害者である一方で、「持たざる者」ではなかった。大久保利通次男にして内大臣・伯爵牧野伸顕を岳父とする吉田。その学識を評価され、戦後は東軍教育掛となった小泉。英国留学後、英パブリックスクールを念頭に置き慶應日吉キャンパスの建設に尽力した槇。
2016-03-25 22:29:34「帝國の選良」たる彼らは、「東北の娘の身売り」に涙する陸軍青年将校や、「蟹工船的搾取」に憤る共産主義者、それら「持たざる者のルサンチマン」とは無縁であり、共産主義への抜き難い不信感と旧軍の硬直化した権威主義・教条主義への憎悪とが両立していた。
2016-03-25 22:33:06槇は保安大学校初代校長として、昭和27年、長井の井上成美(最後の海軍大将、海兵校長、海軍次官を歴任)を訪ね、士官教育について意見を交わした。そこで井上は「紳士教育を重視した。具体的には教養を広げるため高等普通学の時間を確保した」と回答。これは槇の教育方針と軌を一にしたものであった
2016-03-25 22:42:21吉田→小泉→槇の「大日本帝國Old Liberalists」ラインによる防大教育は、必然的に「旧制高校的な西洋教養」を基盤としたものであり、そこに「理数系教育(教条主義的な旧軍への反省と、理工系に強い米陸軍士官学校を参考とした)」を強化したものとなった。
2016-03-25 22:51:06無論、槇(吉田)の意向から、当時まだ壮年として影響力を持っていた旧軍関係者(服部卓四郎や辻政信)は防大教育から注意深く排除されていた。 防大アカシア会(社交ダンス部)主催による卒業ダンスパーティーに、参議院議員の辻が殴りこむ所謂「卒業ダンスパーティー事件」にはその様な背景がある。
2016-03-25 22:58:22この「卒業ダンスパーティー事件」、表層的には、「旧軍の名物参謀」辻議員が、「世には苦学生もいるにも拘らず、防大生が訓練もせずに、露出度の高い女性とダンスに興じておりけしからん」と一喝する、いわば自分の経歴と絡め、未だ苦しい経済状況の世相に媚びたスタンドプレーに過ぎないものだった。
2016-03-25 23:02:49しかし「卒業ダンスパーティー事件」はそれで終わらず、辻議員により、槇防衛大学校校長が衆院内閣委員会に参考人として呼び出され、その教育方針を問われるという政治問題に拡大された。 辻によるこのスタンドプレーを、槇は「ダンスは立派な社交を教えるために必要」と一言に切り捨てている。
2016-03-25 23:07:241958年に発生した「卒業ダンスパーティー事件」は、内容自体は下らないものだが、防衛大の教育理念、延いては自衛隊「建軍の理念」にも関わる重要な事件であると私は考える。 自衛隊は、旧陸軍(のアイコンたる辻)を明確に否定し、吉田→小泉→槇の自由主義を旨とすると宣言したのと同義だからだ
2016-03-25 23:14:46問題は、ここからである。 旧軍(特に陸軍的な教条主義や農本主義)を否定し、自由主義(旧制高校的な西洋教養主義、旧海兵の士官教育、英国パブリックスクール風の紳士教育)を旨とした筈の防大(自衛隊)で、何故田母神氏のような人物が育成され栄達したのかという点である。
2016-03-25 23:19:17これは、田母神氏個人の資質や教養に限定されたものではなく、組織として「氏のようなタイプの人間が求められ空自の最高位まで累進した」点で、組織の問題でもある。(無論、田母神氏が幹部自衛官として、単に能吏であり、部下に慕われるユーモアを兼備していたというだけの話かもしれないが)
2016-03-25 23:22:59田母神氏は防大15期、槇智雄の謦咳に直に接したわけではないが、それでも校内に「槇イズム」の名残が強くあった時代(期別)だと考えられる。 それだけに、氏の政治資金問題は、歴史認識云々同様あるいはそれ以上に、「廉恥・真勇・礼節」を謳った綱領を持つ防大教育に反する背任行為だったのでは?
2016-03-25 23:33:28「自衛隊は旧軍のような連中だ」という向きには、田母神氏は好都合な存在だ。無論、防大にもイジメ問題や保険金詐欺等、紳士とは縁遠い不祥事がありその面でも弱い。
2016-03-26 00:03:28しかし、吉田に端を発し槇が種を蒔いた「民主主義的将校団」の育成という防大建学の理念は、単に自衛隊に止まらず、日本国民にとって重要な問題だと思う。それは、我々国民にとって「どんな連中が我々を護るのか、本当に護るのか」という切実な問題だからだ。そしてその切実さは日々深刻になっている。
2016-03-26 00:06:03