元産経新聞記者・福島香織さんの「新聞記者はなぜ『私たちは正義』と考えるのか?なぜ正義にこだわるのか?」
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集合知と集合知の双方向のやり取りのなかで生まれる知見、それを見せる場がメディアの新しい役割ではないかと、最近思うようになった
2016-04-03 14:21:35事実を調べて報じるというのは猛烈なコスト、時間が必要なので、それはやはり大手マスコミに期待される部分なのだが、それをどのように捉えるかは、新聞やテレビに登場する論説委員ばかりではなくなったということだ。
2016-04-03 14:25:30古舘さんの降板を報道圧力と捉える向きもあるが、もし彼が圧力に屈したとしたら、それは政権の圧力でも、上司の圧力でもなく、彼ご信じた正義に対して、異論をもつ視聴者、ネットに見られるの圧力ではないか、と思う。
2016-04-03 14:36:55大衆が先導されやすく愚かであるからメディアは正し世論を導かねばならぬ、という意識から、メディアが自由になることは、報道の自由という点から見ればプラスである。正義を報道せねばならない、という立場から、良いことも悪いことも、この問題の是非を世に問う、という立場の方が報道は自由だ
2016-04-03 14:46:55かつて、夕刊フジのキャッチコピーに、新聞を疑え、というのがあったが、今思えば新しかったなあ。
2016-04-03 19:40:52記者時代、まだ特派員に出る前、国益にかなう報道をせよ、米国メディアは国益最優先で報道している、とえらい人から言われた。じゃあ、国益を損なう情報を掴んだら、隠蔽するんですか?という、疑問はそのとき飲み込んだ。7年の北京勤務で、その疑問の答えは、自分なりに見つかった。
2016-04-03 20:02:08サダムフセインが大量破壊兵器保有と、米国と米国メディアが国益最優先で自らの正義を信じておこなった報道が、米国の国益に本当にかなったか、正義であったかどうかは、実際のところ結果を見ないとわからない。
2016-04-03 20:11:03国益と思ってたことが国益でなく、国益を損なうこともあれば、正義と思っていたことが不正義なことはあるのだ、ということを、正義感でものを言うときに、少し意識するということ、自分の正義を少し疑うと、
2016-04-03 20:20:57後で、あの報道は正しくなかったと明らかになったとき、それを受け入れ、なぜ、そう思ったか、を検証しやすくなると思う。ちなみに、社会の集合知である世論が間違うこともある。だから、世論に抵抗する報道はあるべきだし、明らかにこの世論は一方方向に誘導されていると、思えば、
2016-04-03 20:35:24ニッチの世論を掘り起こすような事実を集中的な探すような取材もありだろう。ただ、大事なのは掘り起こした事実を積み重ねる労力を厭わないこと。掴んだ事実は、自分の主義主張に合わずとも、明らかにするということだと思いいたっている。
2016-04-03 20:40:49