「カネは命より重い」は正しいか?

または基督教の言う福音とは何かについて
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サディ @Sady_finger

やっと頭の中から出てきたのでメモ代わりに残しておきます。連ツイご無礼。「カネは命をより重い」これが正しそうに聞こえて、その実ちょっとした誤りがあることについて。同じ漫画作者が「金と銀」で「目盛り」とキャラに言わせたことの方が、きっと回答に近い。

2016-04-06 19:25:44
サディ @Sady_finger

カネは目盛りがついたものさしに似ていて、道具で、物の価値の高さや低さを測るためにある。たとえばリンゴの高さを測る、目盛りが急変することもあり、目盛りが変わらず続いたりすることもある。ガリガリ君の値段とか。

2016-04-06 19:30:36
サディ @Sady_finger

いや違う、ガリガリ君の場合は目盛りに高さを合わせるよう数十年努力したということだった。とまれ、命の価値をカネの「ものさし」で測ることの非人道性は言われてはいるが哀しいことに行われている。しかしなぜ非人道的なのかは、かわいそうという理由以上にある。

2016-04-06 19:40:28
サディ @Sady_finger

そもそもカネで物を測るのは何のためかといえば、交換の利便性のためだ。シャケ1と5/8分の価値のクマの肉をくれとか、そういう物々交換の不便さを解消する発明だったはずだ。さて、シャイロックの肉1ポンドは物だが、シャイロックは物だろうか。これが非人道性だ。では<私の命・人生>は物か?

2016-04-06 19:44:44
サディ @Sady_finger

さて、話を元に戻そう。「カネは命より重い」。正しそうに思える。しかしその正しいとする立場は、重いとする天秤は何だろう。カネはカネで測れる、1ドル110円とか。それはいい。カネは物の価値の重さも測れる。問題はこうなる。「命は物か」「『赤の他人の命』は物さ」

2016-04-06 19:55:40
サディ @Sady_finger

「では愛する者の命は物だろうか?」仮に物だとしても愛は無限なので目盛りが追いつかないし、天秤の皿も砕かれる。愛が人を物から者へと解放する。愛が赤の他人を結びつける。主イエスは言われる「汝、敵を愛せよ」。愛は人類を裁きの天秤の皿から解放する。これが福音(良い知らせのこと)である。

2016-04-06 20:05:43
サディ @Sady_finger

「赤の他人の命は物」これは唯物論のみならず、”愛のないところ”では語られ信じられ得ますし、愛なしに論駁することは私には不可能です。

2016-04-07 10:22:14