摂関家コメンタリー第1話

大河ドラマ「平清盛」第1話の摂関家
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大河頼長bot @T_yorinaga_bot

#エア再盛1話 【摂関家コメンタリー第1話】 平清盛が生まれたのは1118年。翌年の1119年には崇徳院、そして更に翌年1120年に私は生まれた。この頃の藤原摂関家は、白河院の力が強く御堂関白(藤原道長)様の頃のような勢いは無くなっておった。(続く

2016-04-16 21:56:10
大河頼長bot @T_yorinaga_bot

盗賊退治帰りの平氏を見て嫌なお顔をなさった父上は四十歳の壮年の関白、兄上は二十一歳の内大臣。嫌なセレブ親子が上から目線でという具合に描かれておるが、父上は二十歳そこそこで父上の父上、つまり私からみるとお祖父様を早くに亡くされ若くして関白となり摂関家を支えてこられた苦労人でな(続く

2016-04-16 21:58:24
大河頼長bot @T_yorinaga_bot

うちはうちで色々と大変だったのじゃ。 璋子様の入内も実はうちと無関係ではもなく、璋子様はもともと白河院のご意向で兄上との縁談があった。だが、璋子様には白河院と色々アレな噂もあり、父上はのらりくらりとお受けにならなかった。(続く

2016-04-16 22:01:27
大河頼長bot @T_yorinaga_bot

同じ頃姉上(ドラマ世界には存在しておらぬ)の入内の話もあったのだが、白河院主導の話だったので本当ならば喜ばしい事なれど、これも受けられなかった。縁談を断られ白河院は当然面白くない。璋子様の入内は摂関家への意趣返しの意味もあったのであろう。それでも姉上の入内は諦める訳にはいかぬ。→

2016-04-16 22:06:10
大河頼長bot @T_yorinaga_bot

ある時白河院が熊野詣でで不在の間に鳥羽帝の方から姉上入内の打診があり、院を通さずに話を進めようとしたのだが当然すぐばれてしまい、白河院の逆鱗に触れた父上は内覧停止となり失脚。宇治で謹慎する事になってしまわれた。それは白河院崩御まで続いた。そして姉上の入内も立ち消えとなった(続く

2016-04-16 22:09:30
大河頼長bot @T_yorinaga_bot

そんな大変な頃に私は宇治で生まれた。 岬丸捜索で大天使平次きゅんが木から落ち、平太がビンタをくらっていた頃、宇治で私もわんぱくに育っておった。馬で野山を駆けたり時には落馬したり元気な子供だったのじゃ。後継となる男子に恵まれなかった兄上の養子となったのもこの頃じゃった。(終わり)

2016-04-16 22:10:36