娘からの手紙
娘からは度々手紙が届きました。娘は××(機密保持の為削除)という艦の艦娘だったのですが、鎮守府での生活は素晴らしく、仲間とトランプや将棋をして遊んだり、間宮という甘味処でおやつを食べたりして楽しいと書いてありました。
2015-09-13 17:57:31先遣隊の証言
初めてFS方面に展開した時、人類の痕跡が無くて驚きました。かつて人類がいたということを思わせるものは何もありませんでした。南西方面で悩まされている、深海仮装巡洋艦すらいなかったのを覚えています。
2017-11-03 00:11:44そこで私は、これはいったいどういうことなんだと考え込みました。自分が何故ここにいるのか、分からなくなったのです。私は帝国臣民の財産を取り戻すためにFS方面へ行くのだと聞かされていました。ですがここには、深海棲艦以外に何もありません。
2017-11-03 00:11:58状況について
帝国本土からソロモン海域へは××㎞、およそ××日の長い航海です。このとき連合艦隊の殆どの者は、今度の作戦も容易く遂行できるだろうと考えていました。艦娘母艦の上では、恒例の赤道祭がにぎやかに催されていました。
2015-09-13 18:05:02今にして思えば、奇妙な光景でした。ソロモン海域とFS方面は、誰の目から見ても重要な海域です。深海棲艦の抵抗は強くなるのが当然ですが、快勝に続く快勝で、誰もがその事実を認識しませんでした。軍全体が、いえ、国全体が浮ついた気分でいたのです。
2015-09-13 18:28:13艦隊が徐々にソロモン海域へと近づいてくると、艦娘たちの心理は微妙に変化していきました。戦闘訓練が激しさを増すにつれ、彼女たちの緊張感も徐々に高まっていきました。
2015-09-13 18:35:06帝国海軍が誇るとある艦娘母艦は、太平洋を航行中でした。乗員1000人余り、搭載艦娘12隻。水兵の3分の2は、20歳未満の新兵でした。この艦娘母艦を、深海棲艦の潜水艦が追尾していました。
2015-09-13 18:55:55艦長の証言
もっとも被害が出たのは最初の魚雷でした。その爆発で、200人近くが死んだものと思われます。その後立て続けに避雷し、艦首の部分は殆ど消し飛びました。大量の浸水が始まり、艦は急速に傾いていきました。
2015-09-13 19:00:14私は最終的に退艦命令を下し、艦を放棄する決意をしました。私の海軍将校の軍歴において、あれほど辛く、悲しい命令はありませんでした。
2016-04-22 15:07:47私は艦の状況を、正確に理解していました。指揮所へは適宜被害報告が送られてきており、それらは適切に処理されていたのです。 どの区画にどの程度の生存者がいて、どの区画が閉鎖されているのか、私はよくわかっていました。
2016-04-22 15:10:14甲板の下に、大勢の乗組員と艦娘が居ることはわかっていましたが、彼らを救う手だてはありませんでした。出来ることは、上甲板から負傷者を救命ボートに移すことだけでした。我々は多くの友人達を残して、艦を去らねばなりませんでした。甲板の下では、私達が助けに来るのを待っているというのにです。
2015-09-13 19:04:13その夜
深夜に、長男から電話がありました「母さん、ラジオ聞いたか?」と。私はテレビを見ていてもラジオは聞いていませんでした。長男は無言で電話を切りました。翌朝ラジオをつけると、娘の載る艦娘母艦が撃沈されたと。それから、長い夜が始まりました。
2015-09-13 19:09:54艦娘の証言
艦娘母艦が撃沈されたのは、非常に悲しい出来事でした。私の友人も、あの艦に搭載されていたのです。ですが私達に、それを悲しむ余裕は与えられていませんでした。
2015-09-14 19:55:18艦娘母艦が撃沈されたことで、私達はトイレもままならなくなりました。パンツを脱いで海に垂れ流し、消火海水で洗いました。増水能力の低い艦娘には真水は貴重で、母艦の補給が無いと飲み水以外には使えませんでした。海水はベタついて気持ち悪かったですが、洗わないよりはマシでした。
2015-09-16 21:54:02鎮守府に帰還して、すぐに担架にのせられて、ドックに運ばれたわ。 付け根だけになった左腕と足が宙に浮いていて、ひどい格好だった。私あの時スパッツはいてなかったのよ。スカートがめくれてるのに、それに気づいて戻してくれる人はいなかったわ。
2016-12-04 20:35:23