個人的な考察
ゴールデンカムイについて思いついたままにいろいろ考察したまとめになりますが、歴史の勉強をしてこなかったただの素人話ですので多めにみていただけると嬉しいです。
随時更新していますが、自分の覚書なので読み辛くてすみません。
それでも尾形と初接触した際に「こないだ満期除隊した」と本人の口から出ているので、この可能性はありますが、いくらなんでも若すぎな気が…計算上一番若かったとしてもこんな23歳がいたら怖いですね…
リカ
@yone9_
杉元の年齢のもう1つの考え方なんだけど、寅次は寅年生まれだから「寅次」と名付けられた可能性があるなら、生まれは1878年ということになり1902年で24歳になる。先日の年代考察で「1906年1月〜1912年7月29日までのお話」という考えに至ったので、→
2016-04-28 00:49:42
リカ
@yone9_
これに当てはめると1906年で28歳、1912年で34歳になる。先ほどの最も若い年齢と合わせると、杉元は23〜34歳までの若者、という結果になる。
2016-04-28 00:52:59
リカ
@yone9_
あと杉元が寅次と梅ちゃんの式に遭遇したときに着ていた軍装と、203高地に出兵したときに着ていた軍装が違うからここからも年齢が割り出せるかも…
2016-04-28 00:57:26花沢幸次郎中将のモデル
リカ
@yone9_
花沢幸次郎中将のモデルはこの人かなぁ?本編中での花沢中将は「元第七師団長で旅順攻囲戦の参謀長」「正面突破に固執し多数の将兵を戦死させた」人物なので、史実と照らし合わせるとこの方がベースになっている感じなのかな。 pic.twitter.com/DapFi84fYS
2016-04-27 14:48:31
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リカ
@yone9_
ただし旅順攻囲戦当時の伊地知は少将であり、中将に進んだのも1907年で亡くなった時期も理由も異なるし、(今のところ)師団長を務めていた記述が見当たらないので「旅順攻囲戦の参謀長」「正面突破に固執し〜」というこの2点から、伊地知幸介が花沢幸次郎のモデルではないかと推測。
2016-04-27 14:54:03