だよもん星人さん(@V2ypPq9SqY)によるローマ軍のブルタニア上陸にみる現代型上陸戦について
夕暮れ時に出向した船団は真夜中に風が止まってしまい、潮流に流されるままになってしまった船団だが、明け方、ブルタニアの海岸に到達。なんとそこは、前55年に上陸を予定していた海岸だった。
2011-02-05 05:26:42上陸戦を再開したローマ軍であったが、妨害はなかったようである。 明け方に開始した上陸作戦は正午近くには上陸を完了していたようである。 ……ちなみに現代戦でもこの規模をあげるとなれば半日ですむかどうかは非常に怪しいものがあるが、禿とローマ軍だから仕方ない。
2011-02-05 05:33:23この後の展開としては前年に引き続き嵐にあい、船団の一部を破壊されたり700隻防御対応型の陣営地の大規模建築をしたりしてるが、上陸作戦としての話はここで終わりである。 参考資料はガリア戦記がメインでした
2011-02-05 05:36:35まあ、このあとブルタニア側のゲリラ戦と禿による制圧戦が始まるわけだが よもや森に潜んで襲撃を繰り返したブルタニア兵も、まさか森事切り開いて進撃路を作りながら進んでくる変態共が相手ではなぁ。
2011-02-05 05:40:50この際のローマ軍も兵站路をおそわれたりしているわけだが、この解決法も ほとんど現代と変わらない。歩兵と騎兵を共同させることにより迎撃と追撃で襲撃部隊の駆逐を進めることにより、ゲリラ側の出血を強要している
2011-02-05 05:42:50この方式はアレクサンドロスのアフガニスタン制圧戦でも採用されている伝統ある方式である。歩兵を軽車両や戦車、騎兵を装甲車やヘリとしてみるならば現代にも通用する方式である
2011-02-05 05:44:39最終的には河川を盾にしたブルタニア軍の撃破、森に逃げ込んだブルタニア兵を粘り強く「森から駆逐」して恭順させることに成功する。 まあガリア自体の完全制圧が終わっていないためにこの年のうちにガリアへ帰還することにはなったが。
2011-02-05 05:49:31というかあの当時に1、着上陸船専用船の建造 2、近接上陸支援射撃 3、橋頭堡の獲得と防御の実行 とかいう時代を1900年ほど先取りしてるような変態どもをどうにかしてください。
2011-02-05 05:53:38