【この世界の片隅に】たっぷりさんの草津レポ【舞台探訪】
- yayayanoya
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近畿の住み良さランキング1位は滋賀県草津市。同じ地名の広島の草津は #この世界の片隅に でも縁の深い場所。「当時」の名残りを求めて散策してきました。↑ pic.twitter.com/lHzmpZxP7T
2016-05-07 21:26:15<草津レポ1>国土地理院のサイトは便利で、年代別の航空写真が比較できます。広電草津駅周辺の写真を60年代のものを比較すると、埋立地の拡大がよく分かります。終戦後の写真も一部分確認できますが、海岸線に大きな変化はないようです。 pic.twitter.com/cLOOsx6vmX
2016-05-08 06:21:46<草津レポ2>ただし道のつけかたに当時の名残が見えるので、歩いてみました。旧海岸線は、堤防のように高くなっていてよく分かります。 pic.twitter.com/vYyaIOC6Hk
2016-05-08 06:23:55<草津レポ3>この近くに龍宮神社があり、案内板では「埋立が進み海辺より遠くなったので明治4年に現在地に移し」たとあり、前身の住吉社は今の草津駅前にあったとのこと。江戸時代にも海岸線は変化していたのでしょう。なおお社は被爆建物です。 pic.twitter.com/3qo1dKkvpk
2016-05-08 06:25:00<草津レポ4>そこから御幸川を上がりると、草津駅にぶつかる。その手前には新し目の雁木?があり、当時も舟がここまで上がってきていたのかなと想像が膨らみます。 pic.twitter.com/fU8i8dznlf
2016-05-08 06:26:57<草津レポ5>「江戸時代の草津は広島の西の玄関として、京都・大阪への海の玄関として栄えていた」ようだと案内版にあり、マップを頼りに港まちの象徴である旧草津漁港を目指す。 pic.twitter.com/0PxRjpJV7a
2016-05-08 06:27:52<草津レポ6>道中、松の切り株が保存されていて、案内版によると「港の突堤の先端にあった」とのこと。また1821年頃に本固新開などの一連の埋立により、旧草津港となったとも書いてあり、江戸初期の海岸線を彷彿とさせます。 pic.twitter.com/zVJvxiXRF9
2016-05-08 06:28:39<草津レポ7>「西部埋立第八公園」の名前の通り、今では旧草津漁港の海の上で子どもたちが遊んでいました。公園内には住吉神社があり、まさにここが海の際だった証がそこかしこに……。 pic.twitter.com/M6iw63joNO
2016-05-08 06:31:17<草津レポ8>また境内にある漁民会館には、明治31年建立の「安芸国養蠣之碑」が移設されていました。内容を意訳すると(江戸時代に草津村の○○ザエモンがカキの人口養殖法を完成させたよ)というもの。 pic.twitter.com/2f1Oc02XZq
2016-05-08 06:37:50<草津レポ9>最後にまちを見下ろす高台がないかと探すと、駅の北側に草津八幡宮を発見。189(ひやく)の階段を上れとあり、ネコに元気をもらい(にらまれ)ながら上りきると、すばらしい眺望が待っていました。 pic.twitter.com/sQBTdiLRqe
2016-05-08 06:39:59<草津レポ10>すずさんが「大潮の頃」でたどりついた昭和10年の草津の風景はどんなものだったのか。今では当時の面影も少ないでしょうが、安芸小富士が美しく見えるのは、今も昔も変わらないことでしょう。おわり。 pic.twitter.com/hCNdRGGIc7
2016-05-08 06:43:21