松方弘樹で見る日本史

調子に乗りました。後悔はしていない。(コラ 誤り等ございましたら遠慮無くご指摘ください。何分ボリュームが余りにも多くなりすぎて私も書いてて大混乱になっていたくらいですので… 松方弘樹さんは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人を全て演じたのみならず、今川義元、斎藤道三、柳生宗矩なども演じていてもの凄く絡みの多い展開になりました。そのためにこんなことになりましてですね…。 でも、書いててもの凄く楽しかったです。 平成29年1月21日、松方弘樹さんはご逝去なさいました。松方さんが日本の歴史を表現する上でも大変に重要かつ偉大な俳優さんであったと思います。その履歴をこのような形でまとめることに関われましたことを大変に名誉なことと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。
21
ぴろりん @p791

康和5年(1103年)松方弘樹生まれる 嘉承2年(1107年)父の崩御に伴い松方弘樹が即位する 大治4年(1129年)松方弘樹、上皇となって院政を開始する 保元元年(1156年)松方弘樹崩御 #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:34:23
ぴろりん @p791

建長3年(1251年)松方弘樹生まれる 文永元年(1264年)松方弘樹、鎌倉幕府執権となる。モンゴル皇帝フビライ・カーンより服属を求める国書を受け取るがこれを黙殺する 文永11年(1274年)元寇が襲来する。松方弘樹は蒙古の使者を処刑する #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:34:43
ぴろりん @p791

弘安4年(1281年)元寇が再び襲来する。松方弘樹は台風を受けて壊滅的な蒙古軍に総攻撃を指示して撃退に成功する 弘安7年(1284年)松方弘樹病没 #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:34:57
ぴろりん @p791

明応3年(1494年)松方弘樹が生まれたと伝わる(異説有り) 永正16年(1519年)松方弘樹生まれる 天文3年(1534年)松方弘樹生まれる 天文5年(1536年)太原雪斎・岡部親綱らの後押しを受けて松方弘樹が家督を相続する #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:35:19
ぴろりん @p791

天文6年(1537年)松方弘樹生まれる 天文9年(1540年)松方弘樹生まれる 天文11年(1543年)松方弘樹生まれる 同 松方弘樹が美濃国の国主となる #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:35:41
ぴろりん @p791

天文16年(1547年)松方弘樹のもとに人質として差し出される松方弘樹を、織田家と内通した戸田康光が織田家に送り届ける 同 清洲城で松方弘樹と松方弘樹が初めて対面したと伝わる 同 松方弘樹は織田家を激しく攻撃し一時織田家は滅亡寸前の窮地に陥る #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:35:59
ぴろりん @p791

天文18年(1549年)松方弘樹、松方弘樹の娘濃姫と結婚する。この時「我が子らは松方弘樹の門前に馬を繋ぐだろう」と述べたと伝わる 天文23年(1554年)松方弘樹、この頃松方弘樹に仕官したと伝わる 弘治2年(1557年)松方弘樹が実子の義龍に討たれ死亡する #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:36:35
ぴろりん @p791

弘治3年(1557年)松方弘樹、関口親永の娘を養女とし松方弘樹に嫁がせる 永禄3年(1560年)松方弘樹、松方弘樹を先鋒に据え大軍を率いて上洛する 同 松方弘樹、桶狭間にて松方弘樹を討つ 同 松方弘樹、桶狭間の合戦の後に岡崎城に入城し松方弘樹と同盟を結ぶ #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:37:26
ぴろりん @p791

永禄10年(1567年)松方弘樹生まれる(異説有り) 同 松方弘樹の嫡男信康と松方弘樹の娘五徳姫との婚姻が成立 #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:37:45
ぴろりん @p791

元亀元年(1570年)松方弘樹、松方弘樹と共に朝倉家を攻めるも浅井家の寝返りにより敗れる。松方弘樹は見事に殿軍をつとめ無事に帰還する 同 松方弘樹、松方弘樹と共に姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を打ち破る #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:38:03
ぴろりん @p791

元亀2年(1572年)この頃、松方弘樹は筒井順慶の家臣だったと考えられている 同 松方弘樹生まれる 元亀3年(1573年)松方弘樹、三方ヶ原の戦いに敗れうんこを漏らす 天正3年(1575年)松方弘樹・松方弘樹の連合軍は長篠の戦いで武田勝頼を破る #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:38:34
ぴろりん @p791

天正10年(1582年)松方弘樹・松方弘樹の連合軍の侵攻により武田氏滅亡 同 真田家は松方弘樹に恭順し松方弘樹を人質として差し出す 同 本能寺の変にて松方弘樹自害 同 堺を遊覧中の松方弘樹は伊賀越えをして領国へ帰還 #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:39:51
ぴろりん @p791

天正10年つづき 同 松方弘樹、攻撃中だった毛利輝元と和睦し京都に軍をかえす。山崎で主君松方弘樹の敵光秀を討ち滅ぼす 同 松方弘樹、清洲会議で主導権を握る #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:40:20
ぴろりん @p791

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで松方弘樹と松方弘樹とが交戦するも、以後松方弘樹は松方弘樹に臣従する。 #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:40:47
ぴろりん @p791

天正13年(1585年)松方弘樹、真田家の居城上田城を攻めるも撃退される。 同 真田家は松方弘樹に帰属し、その証しとして松方弘樹を大阪の松方弘樹のもとに人質として差し出す。この時に大谷吉継の娘を正室に迎える #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:41:06
ぴろりん @p791

天正14年(1586年)松方弘樹の実妹・朝日姫を松方弘樹の正室に迎える。その後上洛し松方弘樹は松方弘樹に謁見する 天正18年(1590年)松方弘樹は北条家の討伐を開始。松方弘樹も参戦した。 同 松方弘樹、松方弘樹の命により所領を関東に移す #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:41:17
ぴろりん @p791

天正19年(1591年)この頃松方弘樹は石田三成に仕えるようになったと伝わる 文禄3年(1594年)松方弘樹が父と共に松方弘樹に謁見し、父の推挙により松方弘樹に仕える 慶長元年(1601年)松方弘樹生まれる 同 松方弘樹が徳川秀忠の兵法指南役となる #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:41:42
ぴろりん @p791

慶長3年(1598年)松方弘樹生まれる 同 松方弘樹、五大老に就任する 同 松方弘樹薨去 #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:41:56
ぴろりん @p791

慶長5年(1600年)松方弘樹、上田城で松方弘樹軍の主力3万5千を釘付けにする 同 関ヶ原の合戦に先立つ杭瀬川の戦いにおいて、松方弘樹は奇襲を掛けて勝利を収める 同 関ヶ原の合戦の最中に松方弘樹が討死した 同 松方弘樹、関ヶ原で石田三成らを討つ #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:42:10
ぴろりん @p791

慶長8年(1603年)松方弘樹、征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開く 慶長9年(1604年)松方弘樹生まれる 同 松方弘樹、松方弘樹に命じられ松方弘樹付きの小姓に任じられ、後に「智恵伊豆」と呼ばれるようになる #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:42:31
ぴろりん @p791

慶長10年(1605年)松方弘樹、将軍職を秀忠に譲り大御所となる 慶長12年(1607年)松方弘樹、松方弘樹の長男として生まれる 慶長17年(1612年)松方弘樹、出家する #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:42:45
ぴろりん @p791

慶長19年(1614年)松方弘樹、大阪城に入城する 同 松方弘樹、真田丸を築き奮戦、その武勇を天下に轟かせる 同 松方弘樹、大阪城を攻める #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:43:01
ぴろりん @p791

慶長20年(1615年)松方弘樹、大阪城に立て籠もる松方弘樹の子秀頼を攻める 同 松方弘樹、大阪方として参戦。松方弘樹本陣に突撃し松方弘樹は自害を覚悟した 同 松方弘樹、討死する 同 松方弘樹が秀忠のもとに迫った豊臣方の武者7人を瞬く間に倒したと伝わる #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:43:54
ぴろりん @p791

元和2年(1616年)松方弘樹は松方弘樹に連れられて徳川秀忠に謁見する 同 松方弘樹死去 元和5年(1619年)松方弘樹は松方弘樹の推挙により松方弘樹の小姓となる 元和7年(1921年)松方弘樹は松方弘樹の兵法指南役となる。松方弘樹に新陰流剣術を伝授した #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:44:30
ぴろりん @p791

元和9年(1623年)松方弘樹、江戸幕府第3代将軍となる 寛永元年(1624年)松方弘樹、上洛する 同 松方弘樹も松方弘樹に従い上洛する 寛永3年(1626年)松方弘樹、松方弘樹の勘気を被って小田原で蟄居を命じられる #松方弘樹で見る日本史

2016-05-18 18:44:43