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キララ@流星群 @happykilala
アイヌの父と呼ばれた英国聖公会の宣教師ジョン・バチェラーについて調べているけど、いやーとんでもなく二律背反な人物だわ。二律背反な生き方をする存在って、一番当てはまるのが「スパイ」なんだよね。
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アイヌの父と呼ばれた英国聖公会の宣教師ジョン・バチェラー。1854年にサセックス州アクフィールドに生まれる。最初園丁として働いていたが、インド宣教をしていた宣教師の説教を通して、東洋伝道の志を持つ。英国教会宣教会(CMS)に入会し、1876年に香港のセント・ポール学院に入学した。
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ジョン・バチェラーは香港で学んでいる時健康を害して、1877年(明治10年)に、静養のために函館に来た。函館で伝道している中で、アイヌ民族をことを知り、アイヌ伝道を志す。1879年(明治12年)に、CMSの信徒伝道者に任命され、函館を拠点にアイヌへの伝道活動を始める。
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ジョン・バチェラーは1879年にアイヌの中心地の一つである日高地方の平取を訪問した。ここでアイヌの長老ペンリウクの家に3ヶ月滞在して、アイヌ語を学んだ。1882年(明治15年)にイギリスに一時帰国し、1883年(明治16年)に再び函館に帰任した。
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ジョン・バチェラーは 1884年(明治17年)にルイザ・アンザレスと結婚。 1885年に最初の受洗者金成太郎が洗礼を受けた。1888年には、アイヌにキリスト教に基づいた教育をするために愛憐学校を設立する。1892年にはアイヌが無料で施療できるように、アイヌ施療病室を開設する。
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1891年(明治24年)にバチェラーは、伊藤一隆を中心とする北海道禁酒会の招聘に応え函館から札幌に移転した。札幌に自宅を持ち、自宅で聖公会の日本人信徒のためにバイブルクラスと日曜礼拝を始めた。また、札幌の自宅を拠点にアイヌ伝道を展開した。
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1892年(明治25年)に札幌聖公会が正式に組織された。 1895年(明治28年)には、平取と有珠で教会堂を建設した。1903年には北海道の聖公会信徒2895人中アイヌ人が2595人であった。ジョン・バチェラーはアイヌの向井八重子を養女にする。
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1917年(大正6年)江賀寅三に洗礼を授ける。江賀は後に札幌に来て、アイヌ語辞典の編纂に協力して、バチェラーとの関わりで献身する。後に、中田重治の影響で、聖公会を脱会して、日本ホーリネス教会の牧師になる。1922年(大正11年)にはアイヌの教育のために、アイヌ保護学園を設立
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1923年(大正12年)にバチェラーは70歳になり、規定により宣教師を退職した。しかし、その後も札幌に留まり、北海道庁の社会課で嘱託として働いた。
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1933年(昭和8年)に長年のアイヌのために活動が評価されてバチェラーは勲三等瑞宝章が授与された。1941年(昭和16年)太平洋戦争が始まると、敵性外国人として、帰国させられた。
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ジョン・バチェラー1944年に英国で91年の生涯を終える。 我が記憶をたどりて―ジョン・バチラー自叙伝 著者:ジョン・バチェラー
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英国聖公会は16世紀のイングランド王国で成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった 教会。イギリス国教会、英国国教会、また「国教会」という訳語が不正確であるとしてイングランド教会、英国聖公会とも呼ばれる。
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英国聖公会(アングリカン・ チャーチ)である。救世軍と類似した社会奉仕団体「チャーチ・アーミー」(教会軍)を組織し、運用している
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禁教令:日本の幕末1859年、幕府は開港場居留地において、外国人の信仰の自由を認め、宣教師の来日を許可した。ただし、信仰の自由及び、活動が認められたのはあくまで外国人居留地であって、依然日本人に対する布教や日本人の信仰は禁止されていた。
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明治政府としてキリスト教の活動を公式に認めるのは、明治32年(1899年) の「神仏道以外の宣教宣布並堂宇会堂に関する規定」(内閣省令第41号、7月27日付)によって認められる。
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しかし、ほぼ同時に「一般ノ教育ヲシテ宗教ノ外二 特立セシムル件」(文部省訓令第12号、8月3日付)によって、私立学校の教育課程における宗教教育および学校において宗教的儀式等を行うことを禁止しているなど、教育に関しては慎重な態度が続くことになった。
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聖公会:イングランド教会(イギリス国教会)を母教会とする世界各地の教会の名称。『使徒信条』The Apostles' Creedにある「聖なる公同の教会」を中国語に翻訳するにあたって用いられ、1887年(明治20)日本聖公会の組織成立時に、在日宣教師たちが正式名称として採用した。
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聖公会の首長は英国女王。英国の植民地支配において聖公会がその役割を果たした。植民地運営を行う上で宗教的植民地の拠点を確保し、そのあとで軍隊を送り込む方法がコスト面で有効的だったと考える。実際、英国はたくさんの植民地を持っていた。
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「宗教的植民地化の断章」の画像。米国聖公会と英国聖公会が日本国内において主教管轄権協定を作っている。 pic.twitter.com/MlQ2TfkmgE
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英国聖公会と米国聖公会の管轄権争いをする前から、すでにロシア正教会が日本に入って来ていた。
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北海道開拓時代のお雇い外国人は1871年~1881年の10年間に78人余りを招聘している。ロシアの南下政策に危機感を抱いた明治政府が北海道開拓を急がせた理由がそこにある。78人のお雇い外国人のうち48人がマサチューセッツ州を中心とした米国人だった。
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マサチューセッツ州出身の農学博士ウィリアム・スミス・クラークはのちに「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を残している。
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ジョン・バチェラーは「お雇い外国人」ではないので注意。
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お雇い外国人米国マサチューセッツ州協会から見た「ジョン・バチャラー」という人物について:ジョン・バチェラーは1854年3月20日英国ロンドン南方サセックス州の田舎町アクフィールド村で11兄弟の6番目として生まれる。
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バチェラー家は由緒正しい騎士の家系であったが、当時両親は毛織物の仕立業を営んでいた。父はハートフィールド市の市長を三期も務めたほどの人物だったようだ。信心深い両親は子供に洗礼を受けさせて自由・平等・博愛のキリスト教精神を教え込んだと言われている。
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