科学的リスク論の「情緒」「感情」

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Hideyuki Hirakawa @hirakawah

「科学/情緒」という二項以外に「人権」「倫理」「公共性」という項があることを無視するのは科学的リスク論の基本的誤謬。

2016-05-24 21:48:25
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

よく授業でネタにするんだが、H12年の環境省『平成12年度リスクコミュニケーション事例等調査報告書』は「科学vs情緒」という誤った二分法の典型的言説になっている。 env.go.jp/chemi/communic…

2016-05-24 21:52:09
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

報告書にはこう書いてある。「一般的に、リスクの大きさは、専門家(またその意見を参考とする行政、事業者)は年間死亡率など科学的データで判断するが、住民は感情に基づき判断する傾向がある。特に感情という観点からみた場合には、住民は以下の因子でリスクの大きさを認知する傾向がある」と。

2016-05-24 21:52:59
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

そして「感情的」とされる因子の例に挙げられているが「破滅性」「未知性」「制御可能性・自発性」「公平性」である。 果たしてこれらは「感情的」だろうか。その言葉が含意する「主観的」で「非合理」で、「科学的・合理的」な専門家・行政の認識によって矯正されるべきものだろうか。

2016-05-24 21:55:31
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

もちろんそんなことはない。たとえば「公平性」は、リスクや便益の社会的分配の公平性のことであり、言うまでもなくそれは社会正義の問題であって、主観的問題ではない。カガクテキ認識によって矯正されるべきものでもない。

2016-05-24 21:57:01
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

「制御可能性・自発性」とは、リスクを伴う行為を自発的に行うのか否かであり、要は「自己決定権」の問題である。311以降、多くの人が問題にしたように、医療被曝は自己決定可能だが、原発事故による被曝はこの権利が奪われている。確率の大小で比較するだけでは済まない規範的意味の違いがある。

2016-05-24 21:59:56
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

同様に「未知性」や「破滅性」も、ちょっと考えれば社会的・規範的あるいは政治的な意味を見出すことができる。これらの観念を「感情的」と言って個人心理に意味を切り詰めるのは、それ自体が不正義だとすら言える。

2016-05-24 22:02:56
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

もちろん、これらの事柄に関する人々のリスクに対する反応は「感情的」ではあろうが、それは「公共的・規範的意味」をもった感情である。たとえば「不正義への怒り」という感情は個人的であると同時に公共的・政治的であるし、そう受け止められなければならない。

2016-05-24 22:05:53