【本多勝一様への追伸④】正義とは「瀆(けが)れた布」/~正義を口にする者は、罵詈讒謗で始まり、叫喚になり暴行になり、流血で終わる~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/本多勝一様への追伸/正義とは「瀆(けが)れた布」/230頁以降より抜粋引用。
3
山本七平bot @yamamoto7hei

①【正義とは「瀆(けが)れた布」】反論を犯罪だとすること、それはとりもなおさず「自分の言葉は正義だ、私は正義を口にしているのだから…」という事になります。 しかし、そう考えたその時に、その人が瀆(けが)れるのだ とイザヤは申しました。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-16 11:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

②彼は非常に面白い表現を使っております、 「われわれの正しい行ないは、ことごとく汚れた衣のようである」と。 これは日本聖書協会の訳ですが、非常に下手な訳で意味がよく通じません。

2016-05-16 11:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

③英訳は All our righteousness are as filthy rags. (すべてわれらの義は瀆れた布切れの如し) で、ほぼこの意味ですが、原語はさらに強烈であって、この「瀆(けが)れた布切れ」とは、実は、月経時のあてぎれの意味です。

2016-05-16 12:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

④従って、今の日本人に最も適切と思われる表現になおせば 「人間の正義は使用ずみのアンネ・ナプキンに等し」 となります。 しかし意味はこの語感よりはるかに強い。 というのは、古代にはいずれの民族にも、経血は人を瀆(けが)すという迷信があったからです。

2016-05-16 12:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤この瀆(けが)れは、それにふれた人を瀆(けが)し、さらにその人にふれた人を瀆(けが)す、というようにまるで伝染病のように広まるという迷信です。 これは実に不思議な言葉です。

2016-05-16 13:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥というのはこの義(tsedaqah)とはtsadaqから来た言葉で、がんらいの意味は、 (道徳的に)正しくないものを正す、また汚れたものを清める、 という意味だからです。 とすると「正すこと・清めることが、瀆(けが)すことだ」ということになってしまいます。

2016-05-16 13:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦本多様は「常に殺される側に立って発言している」、 従って反論する者は「殺す側」に立っている犯罪者になる、 そこで本多様はその犯罪人の悪を告発する義を口にしています。

2016-05-16 14:09:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧とすると、イザヤの考え方からすれば、本多様は「使用ずみのアンネ」を口にくわえていることになり、その瀆(けが)れは全身にまわり、本多様にふれる者はすべて瀆(けが)れていくことになります。 戦争中の日本人も正義を高々と掲げておりました。

2016-05-16 14:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨白人の「東亜侵略百年の野望をここにくつがえす」と国民歌謡は高らかに鳴りひびき、「アジアを支配し搾取し略奪する米英の手先、蒋政権に対して」あくまでも「殺される側、支配される側に立ち」「東亜解放」の「正義の戦い」を進めたわけです。

2016-05-16 15:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩以上のような言葉は当時の新聞をぱらぱらとめくれば幾らでも出てきます。 当時の日本人は皆が高々と正義=瀆(けが)れた布を掲げていました。 日本軍はその軍帽を恐らくこの正義の布で作っていたのでしょう。 そしてこの「正義」を頭に戴けば戴くだけ、全ての日本人が「瀆(けが)れていく」

2016-05-16 15:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪そしてその瀆(けが)れゆえに、イザヤ書にある通り「正義(セダカー)でなく叫喚(セアカー)」になり、「義(ミシュバート)でなく流血(ミシュバーハ)」になっていく。 義を掲げれば、掲げた者が瀆(けが)れ、その瀆(けが)れが、南京虐殺という「流血」になっていく。

2016-05-16 16:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫しかしこの恐るべき体験を誰も本当には振り返ろうともしない。そこで戦争が終ればすぐさま、全ての人間が平然と再び「正しいこと(正義)」を口にし、我々が沈黙していたから戦争になったのなら「皆が手をつないで、常に正しい事を言えば世の中が正しくなる」などという戦慄すべき投書が新聞を飾る。

2016-05-16 17:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬新聞も大学も文化人も政党人も全て正義を口にする。 まるで全員が「瀆(けが)れた布」を頭にかぶり「使用ずみのアンネ」を口にくわえてデモ行進をしているようになり、その瀆(けが)れが各自の全身にまわっていながら、それが、世の中を正し、清めることだと少しも疑わない。

2016-05-16 17:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭しかし結局それはイザヤの言った通りでしかない。 正そうとすることがゆがめ、清めようとすることが瀆(けが)す、 この「瀆(けが)れ」の最初の徴候は罵詈讒謗(ばりざんぼう)であり、ついで叫喚になり暴行になり、流血で終る。

2016-05-16 18:09:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮正義を口にすれば必ずそうなる、 正義を口にすることですべてが正されるなら、人類は数千年前に正されたはず、 というわかりきったことまでわからなくしてしまう。 本多様が育ったのはこの環境でしょう。

2016-05-16 18:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯私は戦前・戦後といった分け方で日本を見ませんから 「人間の正義は瀆(けが)れた布切れに等し」 という考え方が、戦前にも戦後にもないし、日本のキリスト教徒にすらないことを知っています。

2016-05-16 19:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰しかし、確かに、イザヤとは全く違った考え方ですが、結果においては同じ力をもつ考え方が、伝統的な日本人の考え方にあることも知っております。

2016-05-16 19:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱しかしおそらく本多様は、その伝統的な考え方を知らず、知ろうともせず、知ってもこれを蔑視し、瀆(けが)れた布切れをかぶり、使用ずみのアンネを口にくわえておられるのでしょう。 なぜそう断定するか。 同じような人間がアメリカにもおりました。

2016-05-16 20:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

①正義を口にし、その瀆(けが)れが全身にまわった人間は必ず 「殺される側に立つ」 「抑圧された者の側に立つ」 といいます。 ダレス氏もそういいました。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-16 20:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

②氏は確かに一個の「哲学者?」で、本心から 「自分は共産主義という専制によって殺され、抑圧されている者の側に立っている」 と信じ込んでおりました。 従って氏に反論する者は不義であり、氏が正義でした。

2016-05-16 21:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

③しかし氏が正義という瀆(けが)れた布をかぶり、それを口にしたとき、その瀆(けが)れは氏のみでなく、氏を通じて全アメリカ人に伝染して行き、それがどのような結果を招来したか、御存知のはずです。 そしてそういう人は「殺される側に立つ」といいつつ、実は安楽椅子にすわっています。

2016-05-16 21:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

④本当に「殺される側に立つ」者は、ユダヤ人と共に自ら貨物列車に押し込められ、共にガス室で消えて行った神父さんのように、常に「苦難の僕(しもべ)」の通りであって「打たれ、くだかれ」ても「黙然として口を開かない」ものですから。

2016-05-16 22:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤その人にとっては、その行為が言葉(のすべて)であって、もう何もいうことがない―― 「立つ」ということはすべてそういうことであります。 そしてそういう人は絶対に「正義という瀆(けが)れた布」を口になどいたしません。

2016-05-16 22:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥それでいて「苦難の僕(しもべ)」の序詩に記されたように、「もろもろの国民を驚かし、王たちですら彼のゆえに口つぐむ」のです。

2016-05-16 23:09:14