- gine_joybox
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ちなみにこのセミナーに来てる。感情社会学から見えるもの ー管理される心とコミュニケーションの現在ー http://bit.ly/hEPImK
2011-02-10 18:56:29d-laboセミナー「感情社会学から見えるもの」概要より>いま、人と人とのかかわりのなかで、「感情」について考えることが増えていないだろうか。こんな感情は人に見せてはいけないのではないか、なぜあの人はあんなふうに感情を爆発させてしまうのか、自分らしい感情とはどのようなものなのか…
2011-02-10 19:00:38d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「普段は立教大学でコミュニケーションの社会学を教えています。とは言え、自分自身がコミュニケーション上手とは言えず、このセミナーでは良いコミュニケーションの技法などを教える事はできません(笑」
2011-02-10 19:07:22d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「コミュニケーションには、お互いによく分かり合うようにメッセージを伝えること、理解する事だと考えられがちですが、必ずしもそうでしょうか?もし、お互いの心が全て筒抜けだったら気持ち悪い、うまくやっていけないのでは」
2011-02-10 19:09:23d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「相手にわからない部分があるからこそ、自分が自分であるような気がする。全部がわかってしまう関係性はコミュニケーションが破綻してしまうかもしれません。例えば、分かると分からないの間にある恋人のドキドキ」
2011-02-10 19:11:32d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「ジンメルというドイツの社会学者がいます、彼が始めたのは人と人との相互作用の研究。彼が論じた夫婦間の秘密について、初めの頃は一つに成りたいと願うが、本当に全部わかってしまう事は興ざめと感じてしまうだろうという話」
2011-02-10 19:14:37d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「内田樹さんが書いた『先生はえらい』という本の中での興味深い考察。わかった という言葉はどのように使われるか?それはコミュニケーションの終わり、これ以上知りたくないというメッセージ、遮断ではないかと考えられる」
2011-02-10 19:16:42d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「社会学の立場は、これまでわかっていたはずのものをわからなくする、そういう学問であるのかもしれないと思います。」
2011-02-10 19:20:16d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「私 が相対する わからない問題 の社会の構造上の場所を発見する事だと昔は考えていました。しかし大学生と教えるうちに、彼らとその間には、断絶した何かがあるように感じ始めたのです。」
2011-02-10 19:23:29d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「今は社会の中の私、空気や重量のように自分を貫き影響している、当たり前すぎて決して見える事はない。社会学を使い、これを少しずつ可視化することは、言葉にすることは出来ないだろうか」 http://bit.ly/h0220h
2011-02-10 19:27:10d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「心理学のwhat am Iテスト。私は~です。を二人でやってもらいます。まずお互いに見つめあってやってもらいます…ここでわかることは、人と共にある際に聞く側も表情を作ることでコミュニケーションをしているということ」
2011-02-10 19:37:41d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「ここでわかることは、1.私たちが社会をつくるやり方を当たり前に身につけていること 2.それと同時に、それは見えているにも関わらず 気づかない ということ。3.そしてそれに気づくようにするには手法がいるということ」
2011-02-10 19:42:01d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「感情とは一般的に個人のものと考えられるが、社会学の中で歴史との関係性が明らかにされて来た。例えば母性愛(母は子どもを愛するべきだ~など)社会が、我々の心に影響をしている」
2011-02-10 19:47:55d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「また、エリアスというドイツの社会学はマナーブックの研究から、人々が感情を自己抑制していく変化を描き出した。」
2011-02-10 19:49:09d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「ホックシールドの『管理される心』で語られているのは、感情には二つの水準があるということ。例えば友人が不幸になったときにもっと悲しむ べきだ と考える心の動き。これを 感情規則 と呼んだ」
2011-02-10 19:57:11d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「この、べきだ~の感情と純粋な感情にギャップがある場合、人はそれを埋める為に演技する。一つは表層演技で印象操作すること、もう一つは深層演技で感情管理、つまり努力して感情を変化させるということ」
2011-02-10 20:02:49d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「これをパブリックな場面で研究題材にしたのがフライト・アテンダントです。彼女たちの仕事におけるプロフェッショナルとは、自分の感情をコントロールして心からの笑顔を出すことができること、また怒らない事。これを感情労働 とした」
2011-02-10 20:05:39d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「その場に適切な感情を持とうとするのは、果たして職場だけでしょうか。親、子ども、恋人。もしかしたらギャップを埋める事を続けるうち、~べきだ。が自然な感情になってしまうほどに自動化してしまうかもしれません」
2011-02-10 20:08:45d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「1970年代、フライト・アテンダントが急激に忙しくなる中で3つの対応が見られました。1深層演技を続ける→燃え尽き 2表層演技だけにした→割り切り(しかし楽しくない、罪の意識) 3完全にコントロール(自分は嘘?)」
2011-02-10 20:16:40d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「嘘の自分の中で、自分探しをするということ。自然な自分を探す為に努力する という悪循環がここに生まれてしまう。皆さんはいかがでしょうか?ここでいったん休憩に」
2011-02-10 20:19:40d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「私たちは今、どんな感情規則に乗って生きているでしょうか?若者のコミュニケーションにおいて、太田省一氏は『ウケる』という言葉に潜む、観察・客観性・距離を取ること・笑う自己への冷静な相対化の違和感について論じました」
2011-02-10 20:35:02d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「土井隆義氏の『ともだち地獄』みんなに優しくとにかく傷つけないように生きなければならない子どもたち。ある中学生は 『教室は たとえていえば 地雷原』 という川柳を書いた。誰かをいじめることによってコントロールされる空間」
2011-02-10 20:37:46d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「また、森真一氏のやさしさ社会のこわさ。やさしいきびしさ→きびしいやさしさ 治療→予防 へ。対等性の原則の中では立場の上下をつけない為に相談も出来ない。自分の意見を言うと押し付けだと感じられる」
2011-02-10 20:40:38d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「キャラ化する子どもたち。最も怖いのはキャラがかぶる事、対等に、優しく、上下関係がつかないように接続するコミュニケーション。場によって異なるキャラを演じながら、そうではないありのままの自分への憧れを強く持つ」
2011-02-10 20:43:22d-laboセミナー 感情社会学から見えるもの 奥村隆氏「やさしい私 でなければならない であることにより、相手から報われなくても、やさしい自分は注意出来ない、不満を伝えることが出来ない。これが溜まって正義として爆発することになる」
2011-02-10 20:47:06