- Uroak_Miku
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9)コマまんがの始祖としてはアメリカの新聞まんがかフランスの風刺まんがか論争があります。アウトコールト派とテプフェール派。なるほどテプフェールのまんがにはコマつなぎによる時間の経過が存在しますが(続く) pic.twitter.com/OdLcdhn4ci
2016-11-13 00:49:1310)コマの下に文字がありますね。こっちが実は本体というかナレーション役で、それに絵が付いている。つまり絵だけで時間の経過が生じているわけではないのです。
2016-11-13 00:50:1711)とんがっていた頃の坂本龍一のアルバム『B2ユニット』に、いろいろなラジオ放送をカットアップしてあるビートをそこに乗せることで楽曲にしてしまうという面白い曲があります。彼が世界最初というわけではないのですが、現代音楽的手法をポップミュージックで堂々とやってのけたのが当時斬新。
2016-11-13 00:53:2912)テプフェールのまんがにも似たものを感じる。彼のまんがはもともとコマからコマへのつながりが時間経過を意識したものなのでラジオ放送のカットアップとは違うわけですが、それでも今でいうナレーション的な説明文をつけることで絵と絵のあいだに時間経過を演出する技は、龍一的に感じませんか。
2016-11-13 00:55:4613)それがさらに前衛になると、ナレーション的な文がなくなって、主人公の胴体に内声として文字が綴られる。「内面」が埋め込まれるーーと説明すると柄谷行人の本が好きな向きには興味を持ってもらえるかな。 pic.twitter.com/lWwWH63rnN
2016-11-13 00:58:3914)伊藤がいう「プロトキャラクター」です。時間経過を演出するために「プロトキャラクター」が生まれたというよりは、「プロトキャラクター」が発明されたことでナレーション抜きでコマからコマへの時間経過を演出できるようになった、と今の私は考えています。
2016-11-13 01:00:2715)「プロトキャラクター」(繰り返しますが私はこの用語は好ましくないと考えています)の発明、というか発見はもうひとつ面白いものを発明しました。キャラクターの商品化です。ドラえもんは原作まんがやアニメの世界を飛び出してぬいぐるみや文具や衣服などにも登場しますよね。あれです。
2016-11-13 01:02:4016)アウトコールトはこの男の子を著作物と考え、著作権局に登録しようと考えた。アメリカは当時著作物は登録制でした。何かまんがを一本描いたらそれをいちいち局に申請して登録していたのです。これを拡大解釈して主人公を著作物として登録したらどうか?と発想した。 pic.twitter.com/FDZXOLP4i8
2016-11-13 01:05:02受理されなかった。絵を著作物登録するのではなく、架空の人物を実在の人物として「著作物」扱いするという発想がぶっとびすぎていたからです。
17)伊藤のいう「プロトキャラクター」は作品内にとどまらず作品の外にも飛び出しうるというわけです。アウトコールトがそこまで理論化して著作権登録を試みたわけではないのですが。彼は単に、自分以外の人間の手でこの子が主役のまんがが描かれるのが我慢ならなかったにすぎなかった。
2016-11-13 01:06:5018)そういうことが当時はあったのです。喩えるならばいしいひさいちが『ののちゃん』の連載を讀賣新聞に移したら朝日新聞がほかのまんが家に『ののちゃん』の続きを描かせはじめたせいで『ののちゃん』の連載が二つ同時に別の新聞で行われる事態になってしまった、と。そんな感じ。
2016-11-13 01:08:4919)いしいにすればそんなの許せない。そこで主人公ののちゃん(とその家族メンバー)を著作物であると主張すれば、もう誰も『ののちゃん』を描けないだろう、という理屈です。
2016-11-13 01:10:0720)ののちゃんを「特許」にしてしまうわけです。俺の特許を無断で使うんじゃない朝日新聞!と胸を張れる。 pic.twitter.com/SFbXQUyoC5
2016-11-13 01:13:5721)「プロトキャラクター」は「特許」である!とアウトコールトは発想したのです。1896年でしたか。彼はここまで理論的に考えたのではなく、素朴な発想でしたが。これは著作権局への出願書類の一部。 pic.twitter.com/JWhIYGjjqJ
2016-11-13 01:21:0422)「著作物」でもなく「特許」でもない。そういうわけのわからないものが生まれた。コマとコマのあいだに時間経過を生み出すギミックにとどまらず、特許的な力を有し、商品として現実世界を侵食することが可能と「後に」判明する、不思議な存在。
2016-11-13 01:25:2823)工業技術の発達によってあらゆるものが大量生産可能となった時代は、そういう商品を需要する「大衆」を生んだ。そして「まんが」はそういう時代の申し子であり、「まんが」を成立せしむるのは伊藤がいう「プロトキャラクター」だった…そんな風に考えます。
2016-11-13 01:27:3224)しつこく念を押しておきますが私自身はこの「プロトキャラクター」という呼称は好ましくないと考えています。「キャラクター」で間に合うからです。今は『テヅカ~』の書評論文のつもりで綴っているのでこの本で採用されている言い回しにそっていますが。
2016-11-13 01:29:5525)さてもう少し後の章でこんな論が出てきます。『ポーの一族』が取り上げられています。 pic.twitter.com/MktohplpPj
2016-11-13 01:33:2926)日本の少女まんがにおいてはコマの境目すらあいまいになってしまうと指摘。伊藤はいろいろ論じていますが、私はもっとすっきり分析できるのではないかと考えます。
2016-11-13 01:34:5727)ナレーションとも朗読とも詩ともつかぬ文字が綴られていて、それを彩るかのようにエドガー(天然パーマ髪の男の子)やロビン(小さな男の子)が幻想的に描かれる。分身の術でも使っているかのように。
2016-11-13 01:36:4528)私の父が見たらきっと『SLAMDUNK』を見せたとき以上に面食らうでしょう。「なんだこれ幽霊か?なんだとこれ同じ奴の顔なの?なんでそれが紙のあちこちに出てくるんだ分身の術でも使っているのか?」 pic.twitter.com/yR4Zrhn3ud
2016-11-13 01:40:0829)「まんがには時間経過がある」と私たちは考える。考えるというか疑ったことさえない。ところがこの思い込みは19世紀末に生まれたものでしかない。それでありながら私たちは骨の髄までこの思い込みを天賦のものとしている。
2016-11-13 01:43:3430)こういうコマとコマの境すら溶け落ちたまんがを目にしても、ここには時間経過があるはずだと認識するので、飛躍部分を脳内補完する。ちょうど詩を味わうかのように。 pic.twitter.com/9OwH26sL2a
2016-11-13 01:45:5232)男同士の座りショ〇ベンではありません。『THE WINDS OF GOD』という舞台劇です。特攻隊のお話です。二人の役者さんが何かポーズを取っているのは、戦闘機だか爆撃機だかの操縦席にいて空を舞台に戦っている表現です。
2016-11-13 01:53:57