神経科学と日常概念―リベットの自由意志研究をめぐって―
だから立岩さんが言うように、自由意思と決定論をめぐる哲学的思考も、この社会の中で否応なく「自由だ」「いやそうじゃない」と言葉を発してきた人たちの先を行くものであってほしい、と思ったのだった。もちろん、社会学もそうありたいと思うけれど。
2011-08-06 17:25:07@frroots アウグスティヌス以来ルターまで、神の救済と人間の自由意志の関係の問題として、ホッブズでは原始契約や法的可罰性の問題として、「自由意志問題」はありました。新しい概念や制度の創出によって「解決」されるべき問題で、「脳科学」によって一刀両断される問題ではありません。
2011-08-06 17:30:16@frroots まぁ、「ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛び立つ」という諺もあり、「・・・の人たちの先を行く」というところは微妙なんですけどね(^^;)。
2011-08-06 17:33:30@charis1756 ありがとうございます。そうですね。特に法的文脈では自由意思の問題はするどく社会的問題として顕在化しますね。そういう哲学的著作は、好きです。他方で脳についての事実を知ることと、行為の理解をめぐる諸問題が結びつけられることには危惧をおぼえます。不勉強ですが…。
2011-08-06 17:35:42自由の問題は責任の問題でもありますのでね。『責任の意味と制度』は面白かった。 http://amzn.to/pTfLuO
2011-08-06 17:38:04ホッブズ、ロック、ヒューム、ルソー、カント、ヘーゲルなど、自由の問題は哲学の問題であるがゆえに同時に社会の問題でもあると考えていたのでは。RT @eguchi1965 哲学的自由意志の問題と社会的な自由の問題をいっしょに論じるのはやめようや。
2011-08-06 18:25:30@frroots @charis1756 とにかく自由意志/意志の自由についての問題と、「自由」(自由意志じゃなくて)の問題は簡単にいっしょにしない方がいいと思います。簡単でなくいろいろ手続きをふんでいっしょにするのはもちろんかまわんです。
2011-08-06 18:31:44英語版のwikipediaってよくできてるなあ。 "Free will is the apparent ability of agents to make choices free from certain kinds of constraints. "
2011-08-06 19:10:11