生楽器と代用電子楽器とVOCALOID
- triona_klee
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@ne_yuki @triona_klee ボーカロイドが出たときはちょっとそれとは別の志向を感じましたが、 生楽器の代用品ではない、電子音楽の新たな方向性というか。 自分は結局触らずじまいでしたのでそれ以上の感想は持ち得ないのですけれど。
2011-10-20 20:12:49@ne_yuki ご意見ありがとうございます!とげったーに追加させていただきました。生オルガンをサンプリングしたHauptwerkというソフトウェアを使ってますが、その開発はとてもおもしろい試みだと思います。
2011-10-20 22:15:37@ne_yuki とぅぎゃりの中にもありますが、不可能ではなくても現実的には困難なことを自由にできる…つまりバッハの時代から遺るドイツの名器で、一介の極東のDTMヲタが、アニソンだのねこふんじゃっただのを弾くとか…そこに価値があるのだと思います。
2011-10-20 22:17:29@ne_yuki @triona_klee オーストリアのグラーツ博物館にあるオトテールフルートやB.クイケン氏所蔵のロッテンブルグフルートでアニソン吹くのは不可能だ。私の笛は文字通り模倣品つまり代用品。ゆえにアニソンだろうが好きなもん自由に吹けちゃう。そういう観点では一緒だな。
2011-10-21 00:32:06ピタゴラス派が理想とした音楽なら、東洋人女性の幼な声ではなく少年の歌だろう。カストラートですYO。なんという人工美。 QT @yz_xnaga 私見だが、西洋伝統音楽は〈完全な音楽〉を理念としている。完全であるはずのボカロ作品が否定的な意見を受けるのは、矛盾しているように思う。
2011-10-21 00:28:25矛盾するようですが、完全な音楽という叶わなかった理想を実現することと同時に、東洋人女性の幼な声で古楽という、あり得なかったことを実現するのも、ボカロならではの価値だと思います QT @aymro: ピタゴラス派が理想とした音楽なら、東洋人女性の幼な声ではなく少年の歌だろう。
2011-10-21 00:42:12なるほど!興味深いご意見です! QT @aymro: 金色求めて金を貼ってた昔の画家。合成顔料発明まではその色の天然物を探して塗ってた。それまで数万年間の絵画は尽く微視的には自然のコラージュやモザイク。そんな絵は自然物か人工物か、創造か編集か、って話と似てる。
2011-10-20 22:09:34ありがとうございます!あるのですか~知らなかったです QT @aymro: ボカロで古楽とはステキ。バックトラックをデジタル打ち込みで演じた古楽は幾つかあるんですがどれも90年代初頭で歌は生、または器楽曲です。ビンゲン、カンティガ、朱い本あたりが聴きたい。ニコ動?捜してみますね。
2011-10-20 22:10:23古楽系? の皆様によるボカロ談義が、まだ続いている。これは面白い。TL を観る限り、徐々に文学批評〜思想系の皆様にも、波及しているようである。 http://t.co/zfLMCz2f
2011-10-20 15:34:05ガンバのガット弦と、MIDIのケータイ向け着メロ(←古いなぁ〜;;)で、「弾き心地」に差はわたし的にはない。その人の心身の適応加減だけが決める。
2011-10-20 23:18:09極論を言えばプラスティックの楽器吹いてもその人の音がするようになるくらい道具の選定以上に自分のアイデンティテーを音に投影出来ないとね。意味ないよね。ジャズクラブに常設のくたびれたドラムだってアーティストが演奏すると彼の音になってましたよ。
2011-10-20 23:21:56そもそもDTM(ボカロ)と生演奏(合奏)とでは、得られるモノ(演奏感覚や表現や音楽に付随するコミュニケーションの質等)が全然違うのでどっちも違う楽しみが見出せる。その違いを楽しむのがまたいいのよさ。 http://t.co/z73Ng7Nf
2011-10-21 04:13:52私見だが、西洋伝統音楽は〈完全な音楽〉を理念としている。音程・リズムともに完全であるはずのボカロ作品が、西洋伝統音楽によって否定的な意見を受けるのは、矛盾しているように思う。ただ、〈完全な音楽〉≠〈完全な音程・リズム〉と考えれば、矛盾はしないのだろう。また、音響の問題も残る
2011-10-20 23:48:17.@yz_xnaga 人間離れした完全さも、ボカロ古楽独自の表現ですね(前述→)一点の揺らぎなく無機質なボカロとUTAUの声が、逆に人間離れした神々しさを醸し出す。中世の聖楽が目指して叶わなかった境地を実現した、まさに「歌うパイプオルガン」http://t.co/hWcsXTtO
2011-10-20 23:53:43ピタゴラス派が理想とした音楽なら、東洋人女性の幼な声ではなく少年の歌だろう。カストラートですYO。なんという人工美。 QT @yz_xnaga 私見だが、西洋伝統音楽は〈完全な音楽〉を理念としている。完全であるはずのボカロ作品が否定的な意見を受けるのは、矛盾しているように思う。
2011-10-21 00:28:25矛盾するようですが、完全な音楽という叶わなかった理想を実現することと同時に、東洋人女性の幼な声で古楽という、あり得なかったことを実現するのも、ボカロならではの価値だと思います QT @aymro: ピタゴラス派が理想とした音楽なら、東洋人女性の幼な声ではなく少年の歌だろう。
2011-10-21 00:42:12実験としても作品としても意義あると思います。クラシックは云わば全部カバーだし、古楽は資料と解釈の困難から復刻と補綴と創造的再生の境界が曖昧なので。 RT @triona_klee 東洋人女性の幼な声で古楽という、あり得なかったことを実現するのも、ボカロならではの価値だと思います
2011-10-21 00:49:55ありがとうございます。まさに、そう思います! QT @aymro: クラシックは云わば全部カバーだし、古楽は資料と解釈の困難から復刻と補綴と創造的再生の境界が曖昧なので。
2011-10-21 00:54:33あと、西洋音楽が本当に完全を志向していたのかも微妙な気が。まずもって記譜法が不完全だし(古楽の困難の大原因!)、音程に比べて音価や音量の定量性には関心が薄い(ここはボカロPの悩みの種)。 QT @triona_klee 完全な音楽という叶わなかった理想を実現することと同時に
2011-10-21 00:53:32@aymro 確かに一概には言えませんが、ゴシック~ルネサンス期にかけての音楽美学のうえで、一つの志向性としてあるように思います。ピュタゴラス律や完全純正律、完全対位法、通模倣様式とか、調和の秩序と構造美の追求ですよね。オケゲムなんかみるとそんな気がします。
2011-10-21 00:59:35@triona_klee そうですよね、西洋伝統音楽における完全性とは、数値化による音現象の制御だった、と私は理解しています。そうであるなら、ボカロは西洋伝統音楽のための最高の手段であるはずです。(URL先音源は帰宅してから聞いてみます)
2011-10-21 00:08:36なんとユーザー開発のプラグインによって、実現済みです!http://t.co/y52xMymO(私も更新に協力) QT @yz_xnaga: ふと疑問に思ったのだが、ボカロって、12平均律以外の音律も鳴らせるのだろうか
2011-10-20 23:55:02すごい! RT @triona_klee: なんとユーザー開発のプラグインによって、実現済みです!http://t.co/BWn80MVj(私も更新に協力) QT @yz_xnaga: ふと疑問に思ったのだが、ボカロって、12平均律以外の音律も鳴らせるのだろうか
2011-10-21 00:10:19