渡邊芳之先生ynabe39の「私は「親の体罰は子ども自身や他者に危険を与えるような行動を即時に停止させるためには必要」「教師の体罰は不要だし認めるべきでない」という立場」
以前から何度も書いているけど私は「親の体罰は子ども自身や他者に危険を与えるような行動を即時に停止させるためには必要」「教師の体罰は不要だし認めるべきでない」という立場。理由は「体罰のマイナスの結果について親は自分自身で責任を負うことになるが,教師はほとんど責任を負わないから」。
「秩序を乱すものへの(身体的暴力を含む)制裁」という意味では法に基づく刑罰も学校での体罰やいじめも親のしつけ(という名の虐待)も「共通の要素」を含むわけで,その「要素」を実行してよい前提や条件についての「程度問題」の議論をしないで「絶対ダメ!」だけ言っていても意味がないと思う。by 渡邊芳之
渡邊芳之
@ynabe39
「親が子どもに対して持つ教育権」というのの大きさとか重みというのは「教育を学校に完全委託しちゃっている社会」ではリアリティをあまり持たないのかな。
2013-01-11 16:42:39
渡邊芳之
@ynabe39
@echstarb 親が子どもを学校に行かせない権利とか,世の中一般とちがう考え方を植え付ける権利とか,そういったことが(一定の範囲で)きちんと認められてますよね。われわれの社会ではそういうことも不明確。
2013-01-11 16:47:19
渡邊芳之
@ynabe39
家庭内でのすべての「体罰」を「虐待」として取り締まることができるか。私はそれは「親の教育権の侵害」になる可能性が高いと思います。 RT @k2guitar: たとえ家庭内であれ虐待は犯罪になる(充分に保護されてるとは言い難いが)
2013-01-11 17:04:08
渡邊芳之
@ynabe39
信頼感があるかどうかを誰が判断できるのか。親や教師が「信頼感がある」と思い,子どもは親や教師に逆らえなかったらどうか,などなど考えると… RT @chinnsan: 生徒と教師・家庭内でも信頼感があれば軽い体罰も認められようが、ない場合は虐待だ。先に体罰では信頼は得られない。
2013-01-11 17:28:29
渡邊芳之
@ynabe39
みんなが別の問題だと思っていることが実は同じ問題であることを示し,みんなが同じ問題だと思っていることが実は別の問題であることを示すのが学者の役割。
2013-01-11 17:34:32
渡邊芳之
@ynabe39
そうだと「体罰してみないと信頼感があったかどうかわからない」ことになっちゃうんですよ。まじめな話けっこうそうなるわけです。 RT @chinnsan: 体罰後問題起これば信頼感がどちらかに無かった証拠。但し嵌められるから、体罰加える側は要注意!
2013-01-11 17:44:58
渡邊芳之
@ynabe39
@you_you_1 @0323kohei これはもっと根本的な問題で,そもそも「学校が親の教育権や懲戒権を代行している」ことには明確な法的根拠などないのです。だから「なぜ学校が子どもの人権を制限できるのか」も曖昧なままです。
2013-01-11 18:09:32
まとめ
渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があると..
自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之
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