- karitoshi2011
- 2252
- 0
- 0
- 32
1「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会(準備会)4/25)午後3時。私は「いかにして信頼は失われたか―県民健康管理調査と専門家たち」と題して話す。科学者・専門家の信頼喪失は原発の社会倫理的な問題の典型的な表れと見る。そしてそれは今問われ続けている事柄だ。
2013-04-25 10:59:052「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会(準備会)4/25)で「いかにして信頼は失われたか」を問うわけ。専門家たちの情報隠蔽・情報操作は科学の名においてなされるが、実は社会倫理的な問題をはらんだ行為。特定の利益を担った政策的判断を開かれた公共的な討議なしに行ってきた。
2013-04-25 10:59:543「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会(準備会)4/25)。科学者・専門家が科学の名において情報隠蔽・情報操作を行うような体制は、他の分野にはるかにまさって原発推進の過程で造られてきた。なぜそうなったのか。県民健康管理調査が信頼を失ってきた過程からもかなりうかがえる。
2013-04-25 11:00:164「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギ…)。【討議の欠如】 http://t.co/Q85diwPPIE から【討議の欠如・続4】http://t.co/jNuhNErv1z までで見てきたように、フェアな開かれた討議を行うという科学の倫理性の基本が損なわれてきたことはよい例
2013-04-25 11:01:21【討議の欠如】
【討議の欠如・続1】
【討議の欠如・続2】
【討議の欠如・続3】
【討議の欠如・続4】
5「原発と社会倫理を考える」影浦峡氏『信頼の条件―原発事故をめぐることば』http://t.co/Yz2GFQNbfG http://t.co/oYGegoFSfT が論じるように、科学者・専門家が政治的社会的領域の事柄を科学の内側の専権事項であるかのように論することも同様。
2013-04-25 11:02:22影浦峡氏『信頼の条件―原発事故をめぐることば』
6「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会(準備会))。では、こうした放射線健康影響分野の科学者・専門家の社会倫理の歪みはどのように生じてきたのか?原爆被害調査以来の長い経緯があるが、チェルノブイリ以後、日本の専門家の役割が増大した。東大出身の医学者、重松・長瀧の役割大。
2013-04-25 11:03:037「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会(準備会)4/25)。だが、背後には東大・京大系の学者が主導した電中研、放医研、放影研、長崎大等の80年代半ば以来の動きがある。これは拙著『つくられた放射線「安全」論』http://t.co/hTE4bX26I6 で論じたこと。
2013-04-25 11:03:42つくられた放射線「安全」論
科学が道を踏みはずすとき
島薗 進 著
8「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会(準備会)4/25)京都産業大の高嶌英弘教授 @takashima724 が科学者の法的責任は問われにくいと述べていたが、逆に法的責任の形をとりにくい社会倫理的問題が科学者の倫理を通してよく見えてくるとも言えるのではないか。
2013-04-25 11:11:38補1「原発と社会倫理を考える」(第23回国会エネルギー調査会(準備会)4/25)。私は科学の倫理性についてhttp://t.co/iamKJO8GEg 吉岡斉氏はドイツの安全なエネルギーのための倫理委員会や政府事故調報告書等を取り上げ、原発の社会倫理を問ういくつかの視点を提供。
2013-04-26 08:59:42補2「原発と社会倫理を考える」国会エネルギー調査会(準備会)という話題は広い論題に及ぶが、科学者の責任という観点=価値評価の基礎となる真実を学術的に追究し開かれた公共的討議に付すという科学・学術の役割という観点http://t.co/iamKJO8GEg の重要性も示し得たか?
2013-04-26 09:01:12補3「原発と社会倫理を考える」(第23回国会エネルギー調査会(準備会))http://t.co/xtztEvl0hb で考えたこと―原発が受け入れがたいものであることは被害者となりうる人(作業員、被害住民・被災者、将来世代)への冷たさということとともに嘘にまみれたものであること。
2013-04-26 09:01:44