『スカーフ論争―隠れたレイシズム』上映とテヴァニアン氏講演/5月6~11日

映画『スカーフ論争―隠れたレイシズム』は、フランスの公立学校で、イスラム教のヒジャーブ(スカーフ、ヴェール)の着用を巡る「スカーフ論争」と、2004年に制定された「宗教シンボル禁止法」(スカーフ禁止法)について。政治家やマスコミの対応と、マスコミにほとんど取り上げられなかった当事者や支援者の声の両方を取り上げており、「マスコミで悪魔化されるムスリムの少女像と彼女たちの素顔との間にあるギャップを明らかにすることによって、論争の背後に潜む人種差別や性差別の構造を浮き彫りにしてゆく」(2013年5月8日の日仏会館での上映会&ディスカッション資料、及び映画からの要約&引用)。 上映後に、映画にも出演している高校教員で反差別の活動家ピエール・テヴァニアン氏の講演、ディスカッション「スカーフ論争-メディアがつくった虚構」がありました。 まとめ主@hijijikiki続きを読む
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emilia bacher @emilia_bacher

⇒さらに、禁止法によって明らかになったのはフランス社会におけるダブルスタンダード。a) 社会底辺層=「移民層」に女性抑圧が多いとされたが、これは女性抑圧が階層に関わらず偏在するという事実を覆い隠した。→

2013-05-12 12:54:22
emilia bacher @emilia_bacher

→b) 女性の衣服の多義性を無視し、一方的に意味づけること(スカーフ=抑圧の象徴)は、文化・宗教・社会を問わず偏在する男女の非対称性の問題を覆い隠した。スカーフが抑圧のしるしとされる一方で、女性の衣服一般(化粧、ハイヒール、デコルテ、ミニスカート)は抑圧のしるしとされない。

2013-05-12 12:58:14
emilia bacher @emilia_bacher

→そこで②禁止法がフェミニズムに与えた影響は二点。a) 禁止法が被害者と想定される女性たちを保護すると謳いながら、実際には彼女たちを罰する法律であるということは、女性に権利を与えるためのフェミニズムの根本的な目標と矛盾するものであり、女性たちの連帯を築くことを阻害した。

2013-05-12 13:00:00
emilia bacher @emilia_bacher

→b) 女性解放を根拠に植民地支配が強化されてきた歴史が省みられなかった。例えばアルジェリア戦争時、フランス女性がアルジェリア女性のヴェールを「脱がせる」という儀式が象徴的に行われたことと、スカーフ禁止法との類似性は、まったく問題にされなかった。

2013-05-12 13:02:31
emilia bacher @emilia_bacher

コメンテーターの徐阿貴さんは、民族学校におけるチマ・チョゴリをめぐる問題を例にとりながら、フランスでのスカーフ論争との相違点と共通点を分析。相違点に関しては、むしろ共通しているのではないかという議論があったので、ここでは共通点だけ紹介。→

2013-05-12 13:06:17
emilia bacher @emilia_bacher

→a) 衣服が女性の主体化に関わるという点。b) スカーフ着用・チマチョゴリ着用は女子生徒の主体的・自立的行為も関わっているにもかかわらず、それが組織的行為として見なされてしまう点(公共空間での可視性に違いはあるが)。

2013-05-12 13:08:51
emilia bacher @emilia_bacher

→徐氏は、朝鮮学校におけるチマチョゴリ制服に関するフェミニストたちの90年代の議論を紹介しつつ、男子生徒は洋装による普遍性を身に纏い、女子生徒だけが民族性を印づけられることの非対称性に言及。この論争の中で、女子生徒自身たちの声はほとんど取り上げられず、外からの規範を受け容れる→

2013-05-12 13:12:54
emilia bacher @emilia_bacher

→受動的存在として描かれてしまったことは、日本社会の中での民族的劣位を固定化するはたらきをしてしまったのではないかと批判。また、国交問題が緊張するたびに、チマチョゴリ制服に対する攻撃が象徴的に行われることは、この印づけが民族的劣位の象徴とされてしまうことに関係していると議論。

2013-05-12 13:15:32
emilia bacher @emilia_bacher

→テヴェニアン氏の応答の中で追加された共通点は、a) マジョリティがアイデンティティ・パニックを起こしており、そのパニックがマイノリティ女性の身体に集約している点。b) 国際情勢はつねにこの問題に関係しており、国家レベル・個人レベルでマイノリティ女性への暴力が同時に発動している。

2013-05-12 13:18:13
emilia bacher @emilia_bacher

以下感想。テヴェニアン氏は、スカーフ禁止法とそれに続くイスラム嫌悪的な立法は、これまでもフランス社会に存在したイスラム嫌悪的な暗黙の法が明文化されたに過ぎないとする。さらにこのように暗黙の法が可視化されたことで、そこが抵抗点となる…と希望的に締めくくった。確かに、→

2013-05-12 13:22:12
emilia bacher @emilia_bacher

→禁止の対象となっているスカーフを、しかもトリコロールの柄の布をかぶりながら街頭で反対デモに出かける女性たちは、禁止「にも関わらず」スカーフをかぶることで、その行為が本質的に自由であることを主張している。これによって法の欺瞞が明らかになる。

2013-05-12 13:24:05
emilia bacher @emilia_bacher

そもそも基本的にヘイトスピーチやホロコースト否定論を唱えることが法的に禁止されているフランスと、そうでなく国家が思いっ切り差別言説をふりまき植民地責任の否定を行ってきた日本では、その「抵抗点」の現れ方はぜんぜん違う文脈に置かれているのだということを念頭に置きつつ。

2013-05-12 13:55:13
emilia bacher @emilia_bacher

ちなみに先日つぶやいたバトラーの『触発する言葉』は、ヘイトスピーチ規制法がすでに存在する合衆国で、むしろマイノリティによるヘイトスピーチ実践が法的処罰の対象とされてしまうことの権力布置を明らかにすること、に重点が置かれているということを読んで思いました。

2013-05-12 13:57:14
emilia bacher @emilia_bacher

→だから例えばこれを以て「在特会の実践を法的に規制するのは間違い」と判断するのはたいへんな議論の横領と思います。ただ、ヘイトスピーチを法的に禁止することで、むしろヘイトスピーチを生み出していく、という側面はつねに考えておく必要があると思いますが。

2013-05-12 13:59:43
surumerealist @lovesurume

「当事者」って言葉は伝家の宝刀だったんだろうけど、街中のレイシズムの当事者って日本社会の成員全部ちゃうの。

2013-05-12 00:42:25
surumerealist @lovesurume

自ら「当事者」として立ち上がってくる主体はともかく、不本意ながら「当事者」にさせられてしまった人たちは可哀相じゃないかな

2013-05-12 00:46:27
emilia bacher @emilia_bacher

↓RT、昨日感じたのはこの違和感だな。フランス社会でスカーフかぶって反対デモする人たちのように、日本社会で女性徒たちがチマチョゴリ着て反対デモすべし、と「期待する」こと自体、すごく暴力的になりうると思う。それくらい周縁化されていて、社会の無関心が蔓延ってるのだと思う。

2013-05-12 14:59:37

 


 
●類似のまとめ、ブログ記事など:
★「金明秀さんによるピエール・テヴァニアン講演報告」http://togetter.com/li/498924
★『5月10日 テヴァニアンー安田講演会「排外主義を煽るのは誰か」』http://lacoue.tumblr.com/post/50150125495/5-10
★『ピエール・テヴァニアン講演「スカーフ論争」の解説 - NAVER まとめ』http://matome.naver.jp/odai/2136785655584010701
★DVD『スカーフ論争~隠れたレイシズム』発刊http://www.labornetjp.org/news/2013/0512dvd?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

●関連するまとめ:
★「ナショナリズム・レイシズム・差別と、相互的な交流/を阻むもの」http://togetter.com/li/470716
 

まとめ 金明秀さんによるピエール・テヴァニアン講演報告 まとめ方に問題あれば、コメント欄でご指摘お願い致します。 13170 pv 198 40 users 58
リンク lacoue.tumblr.com 5月10日 テヴァニアンー安田講演会「排外主義を煽るのは誰か」 (1)5月10日のテヴァニアン安田講演についてまとめと感想を少しばかり。まず、10日の内容は一連の連続講演とは異なり、映画の上映はほんのさわりのみ。レイシズムの分析と、反レイシズム運動の失敗がメインテーマとなっていた。 (2)レイシズムの分析については、レイシズムを大衆層の(下から)レイシズムと理解することの問題性が強調された。すなわち、レイシズムを人間の「卑しい本性」から生じるものとして問題を矮...
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 DVD『スカーフ論争~隠れたレイシズム』発刊

http://www.labornetjp.org/news/2013/0512dvd?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

フランスの移民問題を扱ったDVD『移民の記憶』を日本に紹介している「パスレル」が、2013年5月、DVD『スカーフ論争~隠れたレイシズム』(フランス・2004年・75分)を日本語字幕付きで刊行した。個人4500円・教材ライブラリー12000円。購入申込みは、ビデオプレスまで。申込み・問い合わせ

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『スカーフ論争~隠れたレイシズム~』
ジェローム・オスト監督

●作品紹介 

第二次大戦後、フランスは大量の移民労働者を北アフリカから導入したが、やがて「移民第二世代」が登場し、学校にイスラムのスカーフを着用して登校する生徒が現れると、しだいに問題視されるようになった。学校でのスカーフの着用がフランスで大きな論争を呼ぶのはなぜか。果たして政教分離や男女平等などの理念に反するからなのか。あるいは、ムスリム系マイノリティに対する差別事件として捉えるべきなのか。スカーフをまとう当事者たちの声を拾い上げたジェローム・オスト監督の渾身のドキュメンタリー。

●作品解説

「スカーフ論争」とは、フランスの公立学校においてイスラム教のヒジャーブの着用を認めるか否かをめぐる論争である。第二次大戦後のフランスは、戦後復興を支える安価な労働力として大量の移民労働者を北アフリカから導入したが、1980 年代以降、「移民第二世代」が登場し、学校にスカーフを着用して登校する生徒が現れると、しだいに問題視されるようになった。「公立学校でのイスラム・スカーフの着用は、政教分離の原則や男女平等の理念に反する」というのが、その建前である。

最初の論争が起きたのは1989 年だが、その後15 年あまりの論争を経て、2004 年には「宗教シンボル禁止法」なる法律が制定された。公立学校において「宗教への帰属をこれ見よがしに示す標章や服装の着用を禁止する」という内容である。たしかに法律はイスラム教のヒジャーブだけではなく、ユダヤ教の帽子や大きすぎる十字架など、宗教シンボル一般を禁じている。しかし、その主要なターゲットがスカーフをまとうムスリム系の生徒であることは明白なため、成立した法律は一般に「スカーフ禁止法」と呼ばれている。

学校でのスカーフの着用という一見他愛もない事柄が、フランスで大きな論争を呼ぶのはなぜか。果たしてスカーフ禁止論者が主張するように、「政教分離」や「男女平等」などのフランス共和国の理念に抵触するからなのだろうか。むしろ、階層格差の拡大や雇用不安を背景とするマイノリティへの差別事件として理解すべきではないだろうか。本作品は、この15 年の論争をふりかえることにより、問題の所在を浮かび上がらせていく。

本作品の最大の功績は、過熱するスカーフ論争でもほとんど取り上げられてこなかった当事者とその支援者の声を拾い上げた点にある。監督のジェローム・オストは、スカーフ禁止法に反対して立ち上がった人びとの姿を追いかけ、マスコミで悪魔化されるムスリムの少女像と、彼女たちの素顔との間にあるギャップを明らかにすることによって、論争の背後に潜む人種差別や性差別の構造を浮き彫りにしていく。 

撮影中、オスト監督は脅迫や数々の嫌がらせを受け、作品の完成後も、ロビー団体の抗議活動によって上映が何度も中止に追い込まれた。しかも中傷や脅迫は保守層や移民排斥を訴える極右だけでなく、通常はリベラル派を自認する左派からも寄せられた。スカーフを被る少女たちの権利を擁護することは、21 世紀のフランスにおいて四面楚歌に陥ることを意味する。本作はそうしたリスクを引き受け、強い覚悟をもって作られた貴重な作品である。 

しかし、そうした圧力にもかかわらず、本作は2004 年の初公開以降、フランス全国の市民団体などのイニシアティブによって、今日まで400 回以上、上映されてきた。上映会の後にはたいてい討論の場が設けられ、作品に出演したスカーフの少女たちやその支援者と聴衆の間で議論が行われた。観客の反応には「当事者の声をはじめて聞いて、スカーフを着用する少女たちを見る目が変わった」「スカーフ禁止法に対する考え方が変わった」という好意的なものが多かったという。 

2004年にスカーフ禁止法が制定された後も、スカーフ論争は事あるごとに蒸し返されてきた。2010 年にはブルカ禁止法が制定され、2013 年現在では公共部門で就労する者にスカーフを禁止する法の是非が議論されるなど、沈静化の兆しは見えていない。9・11 以降のヨーロッパにおいて、反イスラム感情の拡大に歯止めをかけることは容易ではない。しかし、その可能性が少しでもあるとすれば、それは本作品が試みているように、当事者の声を地道にすくいとって人びとに届ける作業にかかっているだろう。

フランス語/ 75 分/ (c)HProduction 2004

 

 

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