「書泉グランデ」への批判を巡る議論(野間易通氏 vs 青識亜論)
- BlauerSeelowe
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.@dokuninjin_blue 実際に平台に積んだり面出しをよくやったりしている書店は批判されてますね。それがどうしたのでしょうか?
2014-09-30 09:27:48@dokuninjin_blue あなたの違和感にこちらが合わせる必要はみじんもないので、あくまで法律上の表現の自由に即して議論をつづけてください。
2014-09-30 09:28:56@neon_shuffle @kdxn それでは、その主張は流通過程から在特会を排除しろと要求しているのとどう違うのですか?
2014-09-30 09:30:49@dokuninjin_blue あたまに@neon_shuffle のメンションが来ているものは彼への返信ですか? それとも私? @neon_shuffleはブロックしていて見えないので、私への返信は頭のメンションをkdxnにするか、ネオンのアカウントを外してください。
2014-09-30 09:32:28@neon_shuffle @kdxn なるほど。それでは、「○○(特定のマイノリティ集団)の書いた(を擁護する)本を取り扱うな(販促するな、平積みにするな)」という主張はヘイトですか?
2014-09-30 09:33:05@kdxn 問いで返して申し訳ありませんが、「マイノリティの本の販促(陳列・販売……)をするな」と要請した場合、「攻撃された」のは誰の自由でしょうか? 書店? もちろん、営業活動の自由という意味ではそうでしょう。ですが、「表現の自由」を本質的に攻撃されたのは、書店ではありません。
2014-09-30 09:44:58@kdxn 書店の販促や陳列、販売をすることそれ自体を「数ある本の中からその本を選んだという理由」で攻撃し、流通過程を抑圧した場合に、損なわれる自由は書店のそれよりも、流通過程にあるそれぞれの書籍が表現したかったものの自由だと思います。
2014-09-30 09:46:51@kdxn ですから、私が《「表現の自由」を先に攻撃した》と言ったときの表現の自由は櫻井さんや彼の支持者・購買層ですし、「マイノリティの本が平積みになっていること」を攻撃したならば、マイノリティでしょう。
2014-09-30 09:48:52@dokuninjin_blue ああ、そういう意味ならわかります。であるならなおさら、書店への不買運動が桜井誠の表現の自由を攻撃したとは一切言えなくなりますね(というか最初から不買運動というのはそういうものですが)。
2014-09-30 09:48:00@kdxn いいえ。あなたや、不買運動の支持者がその本を勝手に買わないのは、あなた方の自由だと思います。それは、在日コリアンを擁護するメディアに不買運動を展開するネトウヨが、誰の自由も侵害していないのと同じことです。
2014-09-30 09:50:03@kdxn しかし、それが流通過程への攻撃的批判を伴うとなると、別の問題だと思います。表現の流通過程は、「思想の自由市場」を構成する基礎的なインフラであり、表現の自由の前提を構成するものだからです。
2014-09-30 09:53:09@dokuninjin_blue 特定の書店の表現行為をとりあげて特定の書店の不買を期間限定で呼びかけることは、いかなる意味でも著者の表現の自由を侵害してはいません。このへんは表現の自由に関する基本的な論点なので本でも読んでおいてください。
2014-09-30 09:49:54@dokuninjin_blue また、ここではPOPやツイートという表現物について問題になっていたのですから、「陳列、販売をすることそれ自体」まで勝手に範囲を広げられても困ります。できるだけ限定的にやろうということです。
2014-09-30 09:51:16@kdxn それはどう異なるのですか? 本質的には同じことだと思いますが。書店が「数ある本の中から販促対象を選んだ」ことが、書店の主張として攻撃してよいのなら、それは「数ある本の中から陳列・販売することを選んだ」ことも攻撃対象になりかねないと思うのですが。
2014-09-30 09:54:53@dokuninjin_blue 「本を勝手に買わない」ことと「不買運動を展開」が「同じこと」なのであれば、「表現の自由を攻撃」とは具体的に何を指し、あなたはいったい何を問題にしているのですか?
2014-09-30 09:52:39@kdxn 何を問題にしているかは、立場をひっくり返せばわかるのではないですか? マイノリティの書籍を「販促した、陳列した、販売した」ことを問題として、マジョリティが不買運動を展開することは、マイノリティの表現の自由の観点から批判されるべきではありませんか?
2014-09-30 09:56:32@dokuninjin_blue 流通を聖域化する議論には賛成できないですね。なぜならその基礎的インフラもまた、「思想の自由市場」において成り立っていて、完全に外部ではないからです。取次や書店が特定の本を扱わなかったからといって、著者の表現の自由が侵害されるわけではありません。
2014-09-30 09:56:15@kdxn もちろん、そうです。取次や書店が営業的判断から特定の本を扱わないのは、必ずしも表現の自由に反する問題だとはいえません。しかしそうであるからこそ、「取り扱うこと(販促すること)」と「その表現物の内容」を同一視する議論には反対なのです。
2014-09-30 10:00:04@kdxn 流通を聖域化する発想は、特にポルノグラフィなどの表現の自由にとって大変重要な意味を持ちます。
2014-09-30 10:02:39@dokuninjin_blue 「ヘイト本をポルノと同じように扱え」という前提があるなら、その線でもある程度議論は可能かと思います。今回の場合、「一般書店の店頭で18禁本をPOPで宣伝」というケースとして考えられるので。
2014-09-30 10:05:29@dokuninjin_blue まして今回の場合、扱うなとも流通させるなとも言ってないのですから、その意味でもその主張は大きく的を外しています。結論ありきで考えているのでは?
2014-09-30 09:57:05