「近代の論理」と都条例、そして知的・精神・発達障害者やオタク、同性愛者などのセクシャルマイノリティへの差別・排除について
「親の教育権」は「子供の学習権」を侵害し得ない限りで第一義的である、というのが教育学の解釈なので、「子供の学習権」を深めると答えが見えそうです。 @kogemayo あと、都条例に関して、「子供」だからといって行政が「見せたくない権利」に手を突っ込むことは親の教育権の侵害、という
2010-12-08 22:56:31@highok 「子供」や知的・精神障害者、認知症などの成年被後見人の権利を親権者・後見人が制限することがどこまで認められるべきなのか、「子供」や障害者の自由は、人権はどこまであるのか、という問題です。
2010-12-08 22:57:17@highok 「異性愛者にのみあり、同性愛者にはない権利」「健常者にのみあり、知的・精神・発達障害者にはない権利」「大人にのみあり、子供にはない権利」のうち、前2つ(あるいは1つ)は許せず後1つ(あるいは2つ)は許せる、というのがどういうことなのか、ともいえます。
2010-12-08 22:59:07人権の範囲。成人男子ブルジョワ→成人男子プロレタリアート→女性と歴史的に拡大してきた人権の範囲で、最後に残っている領域が「子供」と「精神障害者」ですからね。 @kogemayo 「子供」や知的・精神障害者、認知症などの成年被後見人の権利を親権者・後見人が制限することがどこまで認め
2010-12-08 23:02:00この3つの問題は包括的に捉える必要もありますね。そもそも「性とは何か」という大きな問題に切り込む糸口でもあるでしょう。 @kogemayo 「異性愛者にのみあり、同性愛者にはない権利」「健常者にのみあり、知的・精神・発達障害者にはない権利」「大人にのみあり、子供にはない権利」
2010-12-08 23:04:45@highok 「近代法」自体が、「理性」のある者のみが「人間」、生まれながらに「人権」を持つものである、という前提に立っていますからね。
2010-12-08 23:06:45「他者性」というブーバー的概念が、知的障害者を主体としたときにどう変容するかというテーマにもなるのかな、ふむ。応答性理論にしても、応答性のない相手との応答性という議論になるのか。しかしこのあたりは既に誰かやっていそうな気もするなあ。
2010-12-08 23:09:42しばらくは「近代」でいくしかないんでしょうかね。「理性」から外れるものは人権というよりも社会立法で保護するという。しかしパターナリズムに陥りやすく、「自立」とはならないしなあ。 @kogemayo 「近代法」自体が、「理性」のある者のみが「人間」、生まれながらに「人権」を持つもの
2010-12-08 23:13:29「人間の境界線」の議論になると、アメリカでは堕胎の是非の問題もあって。胎児を「人間」に含めるかどうかという。人間に含めるという場合も、単に刑法だけ考えて済む話じゃなくて、たとえば相続の主体となり得るかという民法の話にもなってしまう。
2010-12-08 23:16:36このあたりの議論になってくると単純なリバタリアニズムでは限界を呈するので、@ynabe39氏の論理を真に受けすぎるとマズいんですね。まあリバタリアニズムすら知らない人に対して露払いをしているという感じだから、しばらくはいいけれど。性に関する本質的な議論には対応できない。
2010-12-08 23:22:28@highok でもそれ以外に、人権という他の生物と違ってヒトのみが生まれながらに持つ特権を正当化する術はないからなぁ…。
2010-12-08 23:32:16「理性」という概念で「キリスト教」を超えることができて、本当に良かったです。ジョン・ロックとか17世紀の人権理論を見ていると、実はキリスト教信者以外に人権を認めていなくてかなり恐ろしい。その枠を超えられた人間の知恵はたいしたものだと思います。 @kogemayo でもそれ以外に、
2010-12-08 23:52:41とはいえ、「理性」という概念の限界も同時に認識する必要はありますね。カントは本当に偉かったなあ。カントの行ったような「理性の限界」を見定める理論的な仕事をする人が、今こそ必要な気がします。 @kogemayo でもそれ以外に、人権という他の生物と違ってヒトのみが生まれながらに
2010-12-08 23:57:20「自由を守れ」という言説は、たぶん「無能はさっさと死んでくれ」という言葉と、ほとんど同じ意味を持っているのだと思う。自由を守るためには、だから「俺に死ねというのか?」という人たちを説得しないといけない
2010-12-09 08:17:50選択肢をたくさん持っている人たちは、たとえば「子供の教育ぐらい、親の責任で選択させてくれ」なんて思う。一方で、まわりから失敗認定されて、「どうしてこんな教育を?」なんて叩かれた親御さんは、「どうして国が責任を持って教育指針を作らなかったのか?」と怒る
2010-12-09 08:19:04夜中の救急外来に子供がたくさん来る。ほとんど軽症で、うちみたいなところには、そもそも重症なんて来ない。で、こういう親御さん達は「大丈夫」を買いに来て、その背中を押しているのは、「どうしてこうしなかったの?」という、世間の目なんだと思う
2010-12-09 08:20:09上手くいっている人は自分の選択を重んじるし、自由はいいと思う。自由に反対する人は少ないだろうけれど、自由を選んだ結果として「失敗」認定される人はどうしたっていて、そういう人はどこかで、自由に後悔する
2010-12-09 08:21:01「自由を守れ」に反対する人たちのボリュームゾーンは、「もっと規制を」と唱える人ではなく、「俺の失敗した人生を補償してくれ」という人たちなんだと思う。あるいは「規制でみんな不幸になれ」と言い換えてもいいのかもしれない
2010-12-09 08:22:17規制反対派が対峙している敵というのは、すでに時を失ってしまった人たちの、「未来への嫉妬心」なのであって、これは相当に手強い
2010-12-09 08:24:31@medtoolz 非実在青少年を求める人の中にも少なからず人生、特に青春を補填して欲しい人がいることを思うとやりきれない。でも方や現実を歪めて窮屈にしようとして、方や現実に見切りをつけて虚構に耽溺した。もうね。
2010-12-09 09:55:24@SiTube 「時間」て、取り返すの難しくて、この問題はなんとなく、要するに「若さに対する嫉妬」なんじゃないかなと。上の世代で自由万歳って声出してる人たちは、むしろ今でも嫉妬の対象でいられる分、そうでない人より幸福なのでしょうし
2010-12-09 09:57:36そういう意味で、頑固親父が無法な若者を叩きのめすという、都知事閣下のロールモデルに喝采を送っている人も多いんだと思う。あれを自由に対する規制の問題ととらえれば無謀だけれど、世代間の対立ととらえれば、当然の振る舞いなのかも
2010-12-09 09:59:33論争というのは、正しいほうが勝つんじゃなくて、勝ちかたを見つけたほうが勝つ。「自由はいいよね」は、正しいけれど、勝ちかたにはつながりにくい目標で、「若い奴らってむかつくよね」というのは、みんな若かったんだから間違いなんだけれど、勝ちに直結してる
2010-12-09 10:01:09