隠れるなかれという中嶋氏の隠者氏への説教的対話のログ
- sunamajiri
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托鉢というものは実に合理的です 御釈迦様は「富者ではなく貧者にこそ托鉢を求めよ」と言いました。 布施を施される事により貧者の心に燈火を与え その対価として、偏らない見解と生活基盤を得られる あぁ、僕は御釈迦様の弟子になりたい twitter.com/sunamajiri/sta…
2015-09-04 12:30:00すごいな。古代仏教、つまり釈迦ですら布施という経済 twitter.com/sunamajiri/sta… に頼ったのに、布施いらず? 一体どんな規定?(^-^)/ 金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性 twitter.com/kakachunokuri/…
2015-09-04 12:22:21それは日本仏教が到来の時点で、釈迦の律である托鉢という現代の東南アジア仏教では普及していることを、当初から制度的に抑圧し、仏教を歪めてしまったために生まれる願望に過ぎないので、あまり誇大妄想しない方がいいですよ。twitter.com/sunamajiri/sta… @inja650rr
2015-09-04 12:41:03なかなか整理されてるが、社会学的すぎて当然悟りの地平はないが。せいぜい完全布施の島社会(サンガ)、という釈迦の律を国家仏教が拒否ったために、神道になり戦争した、というだけ。(^-^)/ 日本の仏教は、釈迦の教えではない!? business.nikkeibp.co.jp/article/report…
2015-05-21 18:00:44@sunamajiri 東南アジア経由の上座部は確かに空海に影響が見え隠れしますが、 それ以前の日本の仏教は中華思想と習合した大乗仏教経由です♪ 故に大乗にも托鉢は乗ってきたものと推測されます。
2015-09-04 14:02:47↑日本で歴史や時間が問題化できないのは、日本特有の仏教の受容の歪みだという話をしていたのだが、中嶋さんがより端的に隠者さんに隠れるなかれ、という説教をしていたようだ。↓
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保守の人は、個人の理性や知性というものは当てにならないから先人が積み重ねてきた経験知に学ぶべきであって、そこには現代人が及ばない深い知恵があると言う。ぼくもこれは一般論としては理解するし、おそらく正しい理論だと思う。しかし、この理論が実際に保守的意見として展開されるとき、
2015-09-04 15:02:29次のような疑問を感ずる。まず、個人の理性や知性が当てにならないのは確かだとしても、先人は生きてここにはいない以上、先人が積み重ねてきた経験知を知り、理解し、それを現代に生かしていこうとするのは、他ならぬ個人の理性や知性の働きではないのか。もし理性や知性が当てにならないのなら、
2015-09-04 15:08:09それらが捉えた先人の経験知も当てにならないのではないのか。それとも先人の経験知は理性や知性の働き以外の方法で知ることができるのだろうか。ぼくにはそれは想像することができない。また、先人の経験知はなぜ日本人・日本民族のものに限定しなければならないのだろうか。日本が鎖国下にあるなら
2015-09-04 15:12:44いざ知らず、先人の経験知は広く世界から求める方が効果的で生産的な知恵を得ることができるのではないか。日本民族の優れた経験知に学ぶことは当然だとしても、異民族の経験知を排除する合理的な理由をぼくは考えることができない。つまり、我々はよりよい日本と世界の未来の実現のために、確かに
2015-09-04 15:17:01不完全で危うい個人の理性や知性を総動員して、世界中の先人たちが積み重ねてきた経験知に学ぶべきなのではないか。それは明治以降150年の近代日本が行ってきたことでもあり、その結果日本の姿が少しずつ変わっていくことも、日本人として受け入れるべきことではないか、と思う。
2015-09-04 15:22:52@J_J_Kant こんにちわ。 僕も同意見です、先人の智慧が正しいのであれば、現代人の智慧も正しい筈であるし もしそこに誤謬があるのであれば、現代においても誤謬である可能性を疑わなければならないと感じます。
2015-09-04 16:15:25@J_J_Kant 過去においても人間が同様に人間なのであれば、先人と現代人において異なる事は、我々人類により形作られ、我々人類を取り巻くイデオロギーです。 だからこそ歴史に学ぶ事が重要であると感じます。 『愚者は経験にしか学ばない』からこそイデオロギーを乗り越える事が出来ない。
2015-09-04 16:19:42@J_J_Kant こんにちは、先生 私はネトウヨと呼ばれても構わないリベラルのつもりです。 私は自分の孫と同じ言葉、ある程度共通する価値観で話したいと思っています。 1200年以上前の小説を読むことが出来るのは、ほぼ日本語だけだと思います。 その日本語で私は思考し生きてきました
2015-09-04 17:23:28@J_J_Kant 明治初期に自由や民主という概念が日本語の中に入ってきました。 先だって話題になった「愛」すらその頃作られた言葉です。 私は日本人は異民族の経験値を決してないがしろにしては居ないと思います。様々な技術、学問、
2015-09-04 17:24:01@J_J_Kant それら西洋のものを積極的に取り入れた結果の現在だと思っています。そしてそれ以前も、東洋の文化、技術、学問を取り入れてやってきたのだと思っています。
2015-09-04 17:26:04@J_J_Kant それは親の教えを大切に子に引き継いできた結果なのだと思います。 これだけ豊かな言語が、他のどの国にありますでしょう。 私たちの父祖はそれらの技術や文化、学問を育んできました。 それはユニークなものとして現在評価されていると思います。
2015-09-04 17:33:52@nogamo10 こんにちは。おっしゃることはよく分かります。ぼく自身、日本語や日本の伝統文化、日本人の感覚・感性、道徳等を蔑ろにしてよいとは思っていません。昨近の日本語の「乱れ」や日本的情緒の消失は残念でなりません。日本人として日本い誇りを持つことも必要だと思っています。
2015-09-04 21:10:10@nogamo10 ただ、最近の風潮として長引く不況、グローバリズムに対する対抗意識、台頭する中国・韓国に対する懸念等によって、どうも内向き思考の人が増えてしまったように思います。そういう時代だからこそ、敢えて日本人は目を外に向ける必要があるのではないでしょうか。
2015-09-04 21:15:27@J_J_Kant 一文で纏めると、 「先人のいう事だからといって、必ずしも正しいとは限らない。」 という事です(^^)/
2015-09-04 21:24:58@inja650rr それは少し違う。ぼくが言ったのは「先人」という一人の個人のことではなく、先人たち(主として無名の)が実生活の中で築き上げてきた集団的遺産のことであり、そのエトスは個人が考え出した知恵よりはるかに深い知恵が含まれていると思う。別に過去の思想家宗教家が特に
2015-09-04 21:31:19@inja650rr 優れているはずもなく、すべての個人はその限界の中にとどまっているという点で、今も昔も同じだと思う。ぼくが言いたかったのは、そういう個人としての「先人」の思想ではなく、先人たちが残した集団的知恵がいかに優れていようとも、それを我々は限りある知性理性で理解可能か
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