隠れるなかれという中嶋氏の隠者氏への説教的対話のログ
- sunamajiri
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@J_J_Kant 学問というものが仮に進歩せずその場で踏みとどまっているとしたら、 学者同士で派閥争いを続け、集団浅慮が生じている可能性もあります。 「先人達」の集合知が深いとお感じになるのはどのようなお考えによるものですか?
2015-09-04 21:47:25大乗仏教の他者を救済しようという考え方は、常識的に考えれば素晴らしい。 しかし、ブッダが他者を救済したのは、己を救済した後であったことを忘れてはならない。 自分自身を救いきれてない人間が他者を救うなどということは可能だろうか?
2015-09-04 22:01:42@inja650rr それはやっぱり時間の積み重ねでしょう。その中で人間は余りにも多くのことを学んでいるはず。しかもそれは頭で考えたことではなく、体で、生の現実で学んだことだから、まさに命がけで得た知恵でしょう。その知恵が深くないわけがない。
2015-09-04 22:03:56@J_J_Kant 時代が変われば新しい思想が産まれます。 すると先人の培った智慧というものは、世代の寿命が切れた時点でリセットとなるように思います。 即ち同じ過ちを人類は繰り返してきたようにも感じます。 伝統が深いからこそ智慧が深いというのは論理的に薄いと感じます。
2015-09-04 22:12:44@inja650rr 隠者くんは思想を思想家による「様々なる意匠」としてしか見ていないからそういう見方になってしまうのだよ。しかし、それは思想のほんの上っ面、氷山の海面上の部分のようなもので、思想というものはその下にもっと大きな塊が民衆の生活の中に根を下ろしている。ぼくが言う
2015-09-04 22:49:53@inja650rr 先人たちが日常生活の積み重ねの中で培ってきた集合知=エトスというのは、その氷山の海面下に隠れている部分のことで、そこに深い知恵があることは間違いないだろう。しかし、その思想は思想家の思想のように体系化もされず、概念も定まっていないから、そう簡単に知ることは
2015-09-04 22:53:34@J_J_Kant はい!!僕も概念化も体系化も上手くいっていない考え方が存在するように思います。 それを考えていくことこそ自称哲学者の仕事であると思います。\(^o^)/
2015-09-04 23:00:30@VixxGod7 入ってもいいけど、ぼくは一人にしか答えませんよ。Twitterは大勢でやるチャットには向いてないから(^^) 常に1対1。
2015-09-04 23:00:44@inja650rr それはそれでいいのだけれど、体系化された哲学を学ぶ方が楽だし、身にもなるでしょう。氷山の下を探るのは哲学より文学ではないかと思う。
2015-09-04 23:05:25@J_J_Kant はい、僕も、先人たちの智慧は上手く隠れているように思います。 表面的な文脈に拘ってはならないと感じます。
2015-09-04 23:11:45@J_J_Kant @inja650rr それは「よく己の自意識を黙らせたものがよく生きれた者」って意味でないの? よく生きるには隠れないこと。真っ当ですな
2015-09-04 23:23:43@J_J_Kant それでは隠れて見える物が少なくなってきたら、 プロフに自分の顔写真と本名を載せましょう(^^)/
2015-09-04 23:27:15@inja650rr 大学院のときの恩師から得た言葉でぼくに一番影響を与えたものに、心にpassionを持ちなさいというものがある。passionは普通「情熱」と訳すがもう一つ深い意味がある。それは「受苦」というものだ。バッハのマタイ受難曲の「受難」がpassionだ。
2015-09-04 23:43:57@inja650rr passionは英語の受動態passive voiceのpassiveと同じくギリシャ語のpathosから派生した語で、世界に対して受け身になることを意味している。しかし、その受け身とは決して消極的な姿勢ではない。そうではなくpassionとは我が身に
2015-09-04 23:51:07@inja650rr 引き起こされたことから逃げずにすべてを受け入れるという積極的な姿勢のことだ。だからpassionは「情熱」でもあるのだ。ぼくはこの恩師の言葉を今も大切にしている。逃げてはいけない、引き受けなければならない。現実には中々難しいけれど。
2015-09-04 23:54:52