劇場行き2016年

劇場(音楽・芝居・映画)へ足を運んだ記録に自分用でまとめてみた(2016年分)。
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ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

イザベル・ファウストでブラームスの協奏曲(ザ・シンフォニーホール)。何という美音。うっとりしてしまう。ものすごく安定したゆらぎのない音がブラームスなら必要と考えていたらしいのは、アンコール曲が弓と弦の反撥から生ずる音のゆらぎを使っていたので、確かと思えた。 明日は行けない!

2016-01-15 22:29:11
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

日本センチュリー交響楽団は黒で統一。で、イザベル・ファウストのお衣裳はどういえばよいのか。 統一感のある音の演奏で、アンコール曲は違う音なのでなくてもよい、と感じた。ブラームスの曲はどこも聞いたことがあると思いながら(当り前か)、音はあまりに快感。

2016-01-15 22:36:35
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

バルトークの管弦楽のための協奏曲は、ほんとに久しぶり。バロックがどうこうというより、映画音楽の組曲(ツェムリンスキーがそう聞こえるのと似て)。20世紀半ばころを代表する潮流なのかな

2016-01-15 23:00:57
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ピアノはいつピアノになったか?補遺」に行く。椎名亮輔「ドビュッシーとピアノの謎」という7頁の資料には1904年ごろに大きな転換が指摘され、それ以前の「ピアノのために」、直前の「喜びの島」「版画」、最中とその後の「映像」から野原みどりが山本コレクションのブリュトナーで演奏するが、

2016-01-23 20:11:42
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

素人(自分のことです)には、どこがかわっていったかどんな特徴があるか、曲に即した説明がなくてよくわからなかった。男の芸術家にとって(特定の)女がどんな役割を果したかも、そうそう簡単には理解できないし、何か消化不良のレクチャーコンサートでした(ザ・フェニックスホール)。

2016-01-23 20:17:08
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

モーツァルト最後の交響曲三つ(いずみホール)。念入りに構築された曲と思えたのは指揮者ゆえ? ヴァーグナーのように断片化した音が渾然一体とした音響になるのと大違い、といってよいのかな。

2016-01-29 23:06:54
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

いずみシンフォネッタ大阪の定期公演。ベリオの歌曲なので、キャシー・バーベリアンの再現でも期待したのか。太田真紀はそれほど七色の声でもないや。 西村朗の新作室内交響曲第5番はこの人が出るコンサート用に書いたと思えるほど「前衛の歌い方」を存分に。そしてとつじょ抒情が溢れたり。

2016-02-06 20:25:04
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

二兎社「書く女」(びわ湖ホール)へ。風邪が治りかけでうつらうつらしたためか、腑に落ちない感じ。場面場面で樋口一葉をどう位置づけたいのか。作者・演出家のアフタートーク(興味深い内容)とも合わせられずにいて…… また行くのだからいいや。本日は完売と出てました。

2016-02-11 19:40:46
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「書く女」作中の文学論(たとえば齋藤緑雨の一葉論)は文章がないとよくわからない(だから逆説と補足しちゃう)。「鴎外の怪談」ではゴシップとして何より楽しめる。 さて永井愛さんは「明治後期」ものをどこまでお書きになるのかしら(皮肉などでありません)。

2016-02-11 20:04:44
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「書く女」(兵庫県立芸術文化センター)がわかりづらいのは、主人公をどう位置づけるのか、終り近く斎藤緑雨がようやくまとめるまで、はっきりしないからかも知れない。緑雨にしたがってふりかえると、樋口一葉が、周囲の考えと(逃れるように)一致できず孤立していることは、示されていた。

2016-02-13 17:11:07
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

どの人物もやがて置いてきぼりにされることは、とりわけ最後に一葉の想像の中へ順順に登場してけりをつけられる「書く女」の趣向からもわかる(緑雨は除く)。 「鴎外の怪談」は、主人公と周囲の人物それぞれとの間でさまざまに語り、観客を問題圏へ引き込んだ。

2016-02-13 17:22:21
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「書く女」は、作者からすれば長い時間(半井桃水への入門以後)が導入され、主人公が次第に「樋口一葉」へ変容していくのを描く。その時間の推移は貧窮の進展でもあり、小説を書いて稼ぐはずなのにいくら書いても稼ぎが不足していることを重ね書きしている。書く女は挫折したのか。

2016-02-13 17:29:37
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

樋口一葉は小説を書いて稼ぐことを志した、といっても実情は、書いた小説を新聞に掲載してもらって金にしようとした。「書く女」にはメディアを介した商売であることが誤解できないよう科白化されている。変な表現だけれど、縫物や荒物屋同様、女にもできる。桃水はゆえに女でもある。

2016-02-13 17:39:05
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「書く女」は休憩後、主として男(舞台に登場する禿木・弧蝶・眉山や言及されるだけの鴎外・露伴)が一葉を評価してまわる。主人公は、稼ぐためという志を失い、小説を書くために書く女へと変容し、緑雨にいわせれば熱涙でなく冷笑を理論とするに至る。 観客は態度を決めるよう迫られている……?

2016-02-13 17:59:23
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「書く女」の観客(びわ湖ホール・兵庫県立芸術文化センター)には、涙にむせぶ人もあれば、何やら手持無沙汰みたいな人もあったよう。熱狂でも拒否でもなく、もっと微妙な反応なのかな。 永井愛の作品としては場所があちこちで、今回の演出で装置がかなり抽象化されていて、異色と思った。

2016-02-13 18:05:16
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

大阪交響楽団の「軌跡(2)~息子と父~」へ。ジークフリート・ヴァーグナーはだれかとだれかの間、だれかの前という印象。父を離れようという面と思わず倣ったような面あり。あるいは劇的な物語を音楽にしようという西洋音楽の根強い一派かも(反対は音楽の論理を追究する系統)。

2016-02-24 22:41:31
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「指環」の抜粋に是非はあるけれど、「ラインの黄金」と「ヴァルキューレ」の間にある物語上の断絶は、全体を二分するほど。 演奏中にふとブーレーズ&シェローから40年、二人とも死んだと思った。

2016-02-24 22:58:27
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

日本センチュリー交響楽団によるハイドン・マラソンの興味はハイドンの割と知られた交響曲とめったにきけないのとの対比。モーツァルト後期からマーラーという完成→爛熟の歴史から見ると、完成するか定かでないハイドンの試みは果して交響曲なのか。今夜の18番も出処不明という印象。

2016-02-26 23:11:18
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

ハイドン・マラソンのおまけみたいなベートーヴェンのVn協奏曲は、荒削りとも未熟ともいえないけれど、やがてもっと緻密な論理追及にとってかわられるのだ。だから第3交響曲などと同様、大胆不敵であからさまな曲。初演当時は不評という知識が役立つ。若者が腕前を披露したくなりそうでした。

2016-02-26 23:19:02
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ライ王のテラス」初日へ。 第一王妃の中村中が、もちろんこの役自体よく書き込まれているけれど、ただならぬ存在感で出色(「エドワード二世」でもよかったなあ)。この芝居を動かしているといってよさそう。 強い意志を持ち、王からいわれたことをさらに推し進めてかえって遠くへ行ってしまう。

2016-03-05 00:09:26
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ライ王のテラス」は、舞台上にさまざまな感情が渦まきながら、観客の感情をまるで動かさない。それだけに王の精神と肉体とが対決する最後は、しっくりくるよう表現するのがむつかしいと思われ、公演中に改善されるかも知れない。

2016-03-05 00:17:51
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

新国立劇場の「イェヌーファ」へ。芝居の内容と裏腹な曲のつけ方が見事で、特に第2幕はすごい(今のところことばが見つからない)。ジェニファー・ラーモアのコステルニチカには、邪悪なのに虜となる。その時の音楽が美しい。

2016-03-05 18:28:09
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「サロメ」との相性がよくないらしい(オスカー・ワイルドもピンと来ないし)。前日の「イェヌーファ」にガツンとやられたためもある。凡庸とはいいすぎとわかっているけれど、ヤナーチェクに較べてリヒャルト・シュトラウスはありきたりのやり方で、しかも演出にああそうかというところがなく……

2016-03-06 23:32:48
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「サロメ」って主要人物が何らかの意味で傑出しているという意味で「英雄主義」の作品で、「イェヌーファ」や「ムツェンスク郡のマクベス夫人」とものすごい落差があって、古くさいと思えたことにわれながらびっくり。プッチーニが時代錯誤なのはわかりきったことと割り切れるけれど、いやはや。

2016-03-06 23:39:12
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「マタイ受難曲」を聞きに兵庫県立芸術文化センターへ。 アーノンクールが亡くなって間もないためか、「古楽器演奏」の影響を感じてしまう。テンポを大きく揺らしたりより、速めにどんどん進む。全体にこじんまりした編成・演奏(合唱各パート2人ではないけれど、女声でなく少年合唱)。

2016-03-13 20:42:04
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