劇場行き2016年

劇場(音楽・芝居・映画)へ足を運んだ記録に自分用でまとめてみた(2016年分)。
0
前へ 1 2 ・・ 6 次へ
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「マタイ受難曲」で気づいたのは、劇的な物語に音楽をどうつけるか。第2部の「憐れみたまえ」のアリアは、受難劇の山場であるイエスの磔刑あるいはキリスト教の中心にあるイエスの復活がまだ先なのに、罪あるわれわれの後悔を表す別の音楽になる。 受難劇としてのオラトリオは急速に廃れた。

2016-03-13 20:47:02
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

R・ヴァーグナーが、「科白」も排して物語と音楽の一体化を進め、つきつめる。プッチーニやR・シュトラウスは、乱暴にいえばその成れの果てであり、そこでオペラはほぼ死滅した。 ヤナーチェクがそれに挑んで、物語と音楽とを食い違わせる(うまい言廻しが見つからない)「イェヌーファ」を。

2016-03-13 20:55:50
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

野田地図「逆鱗」へ。例によって思いがけなくも圧倒的に美しい表現として、今回は海の水の動き。よく通る美声の松たか子(それを決して忘れない演出家)。ことば遊びも含めて科白が前面に出た印象(身体よりも重要な感じ)。

2016-03-19 23:08:51
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「逆鱗」に限らず、野田秀樹の舞台に「機械的なぎごちなさ」は横溢している。 「ドラマは一定の名称を持った情念や欠陥を描くときでも、それらの情念や欠陥を人物に大変うまく溶け込ませる。そのために情念や欠陥の名称は忘れられ、それらの一般的な性格は消え失せ、」(「笑い」)

2016-03-26 14:04:00
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

前半と後半でがらりとかわることは野田の芝居でよくある。「それぞれの登場人物に関係するそれぞれの系列は、他の系列とは独立に進展してゆく。ところがある瞬間に、そうした諸系列が互いにぶつかり合うことになる。」(「笑い」)

2016-03-26 14:11:34
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「いうことも狂気の別の様態において狂っていることである」を引く(『笑い/不気味なもの』)。野田地図「逆鱗」の前半と後半とに断絶があるといってよいとすれば、狂気の様態その1・その2を示すために、変換なり進行なりが仕込まれているのかも知れない。ジリポンの言廻しを拾うなら「滑稽さが……

2016-04-01 19:55:51
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

野田秀樹の特徴を一言でまとめるようなことはできないけれど、「向こう側」は繰り返し扱われている。とりわけ印象深い作品としてTVで見た「赤鬼ロンドン・ヴァージョン」を思い出す。「逆鱗」も……?

2016-04-01 20:08:34
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

日本センチュリー交響楽団のマーラー第9交響曲へ。音楽で気持よくなったり眠気に誘われたりは人それぞれとして、とてもいろいろ考えていく曲。 不協和の音響を提示している。さまざまな音が融合してまとまった音響となるヴァーグナーと異なり、各楽器による音がそれぞれ聞こえてくる。それは

2016-04-08 23:01:40
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

藝能山城組のケチャを聞いたときの驚きを思い出させた。マーラーの第9交響曲はきわめて精密で、西洋音楽の特徴となったオーケストレーションの極み(「解体構築」というほとんど使われない訳語があるなあ)。 第4楽章は音響上のユニゾン……というのは変だけれど、不協和を示しつつ単一の

2016-04-08 23:06:36
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

音響へと向かって行くので、もはや単純な割切りで押し通せない。 ただR・シュトラウスのように曲外の何かを表現しているかのようなものでなく、ひたすら音響を示そうとした。あえていえば「抽象音楽」かなあ。ショスタコーヴィチだともっと面倒な話になりそう。 マーラーの第9交響曲はよい。

2016-04-08 23:13:36
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

東京・春・音楽祭の「ジークフリート」からはるばる帰る。 第1幕のジークフリートは、元気のよいあんちゃんかと思いながら見ていると、エネルギーを放出するしか何もないことがくっきりしてきた。 第2幕になると無垢ではなくなる。一種の無知(特に女を知らないので)といえそう。

2016-04-11 00:40:46
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

そして最後は、さんざん引き延ばすジークフリートとブリュンヒルデの愛といいたいけれど、能天気すぎて「ヴァルキューレ」の父と娘の割り切りがたい別れと違って、共感できそうにないもの。 それにしてもただ一人立ちつづけていた指揮者はどれほどの体力があるのやら。

2016-04-11 00:44:20
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

今日……じゃないや、帰りつく前に日がかわってしまったけれど、東京文化会館の「ジークフリート」1階席最後部へんで記録映像の撮影をしていた。小さなヴィデオカメラが2台。 びわ湖ホールで「トリスタンとイゾルデ」を見た時はNHKが大きなスタジオカメラのようなのを持ち込んでいた(最前列)。

2016-04-11 00:51:38
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「たとえば野に咲く花のように」を……いや鄭義信を昨晩初めて見てきた。作者が演出家にいう通り愛に憑かれた(疲れた)人たちの物語。だけど、腰から下をそらし気味に立つともさかりえに痺れてしまう。 「真実」が大切な何かを失わせる可能性であるとすれば、だれに語らないかは決ってしまうのかも。

2016-04-29 11:19:50
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

バレエダンサーの身体能力(がどんなに卓越しているか)をいうのは意味をなさない(ロパートキナのようなしっとり系でも当然だから)。しかし平然とすごかった米沢唯。それも最後の最後で。小野絢子・米沢唯で見てきたけれど、3日も行くべきであったかなあ。

2016-05-05 22:00:49
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

新国立劇場の「ドン・キホーテ」も模様替えなのはさておき、今日の前半まで決めのところを指揮者が踊り手を無視の印象。ザハロワのリハーサルを見ると、きちんと合わせようと打合せているのになあ。 今日の米沢唯でやや影が薄れたけれど、小野絢子は背中が雄弁になった......目を引いた印象。

2016-05-05 22:10:14
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「アルカディア」をまったく準備なく見る。おもしろい。過去と現在を行ったり来たりする文学史探究風で、バイアットの『抱擁』を連想。でも現在が的外れとわかる。しかもついには過去と現在が舞台上に同時に示される。でも不可解なところはまったくない。そして観客の想像力を信頼した終り方。

2016-05-08 09:37:59
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ローエングリン」千秋楽へ。2012年にはこれがフォークトかと圧倒されていただけのような記憶しかない。 今回は第2幕前半に退屈した。劇としての弱さだと思う。オルートルートとテルラムント、オルトルートとエルダの対立が次へうまくつながっていない。テルラムント再度の変心が不可解。

2016-06-04 20:49:44
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

シュテークマンの「ローエングリン」演出は第2幕の幕切れがじつによい。エルザがどれほど共同体から圧迫を受けついに見捨てられたことをはっきり描き(エルザは愛に血迷った愚か者とできない)、第3幕でローエングリンに禁ぜられた問を発する理由を示している。

2016-06-04 20:57:46
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ローエングリン」第3幕でローエングリンが正体を明かした時、群衆(合唱)が喜ばしいという内容を口にするけれど、ローエングリンにとってもエルザにとってもそうでない。エルザが「憐れみ給え」というのは、受難曲にある通り「取り返しのつかない過ちを犯した」時のことば。

2016-06-04 22:51:56
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ローエングリン」第3幕でついにきいてはならぬことを問うて気を失ったエルザは「神よ憐れみたまえ」という。字幕に出た瞬間、バッハの「マタイ受難曲」を連想した(ペテロの否認)。「エルザが神に『憐れみ』を乞うのは、わが身の不幸に対してか、はたまた人間の弱さゆえにか」……

2016-06-06 20:16:58
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

と『ローエングリン』(五柳書院、93頁)には訳注がついている。でも取り返しのつかない過ちを犯してしまったとエルザが思い知った、と感じてしまった。共同体の意思に屈したとしても、「神明裁判の結果を(公私両面にわたって)無にしてしまった」(97頁)のは自身の行動によるのだから。

2016-06-06 20:30:13
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「天地創造」(ザ・シンフォニーホール)へ。いずみホールで聞いて以来。ハイドンらしいハーモニーが気持よい。 何より市原愛が明るく軽やかに歌い、神の僕(奴隷なんでしょうか)たる人類が創造されて嬉しいと天空へ向けた曲と確信させてくれた。

2016-06-11 19:29:31
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

ハイドン・マラソン2周目の第5回。第19番はピンとこなかったのに、58・7番がおもしろかった(どれも1760年台作曲らしい)。7番は驚くほど音が分厚い。素敵。 交響曲といえばどうも、ハイドンが、モーツァルトとベートーヴェンに別れていくように錯覚しているらしい。

2016-06-17 22:20:56
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

最後(?)の彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾「尺には尺を」へ(大阪初日)。行列を作るのが上手な劇場です。 この極めつきの面倒な上演としてはうまくいかなったんでしょうね。単純に支離滅裂としか思えない。辻萬長でもそうならなかった。支離滅裂を狙ったなんていわないで 下さいね。

2016-06-24 22:19:40
前へ 1 2 ・・ 6 次へ