性犯罪と危機管理:「人間野獣説」と「加害者・被害者異邦人説」まで

セルフまとめです。
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ととじゅに @totojuni_s

性犯罪リスクも含めて、ある場所が危険かどうかという情報というのは、かつてはローカルなコミュニティの中での言い伝えとして伝達され、皆で警告し合っていた側面もあると思うんだ。(続く)

2011-02-17 02:29:05
ととじゅに @totojuni_s

典型的なのが、川や山海の危険区域についての警告。例えば親の生家が中部の長良川の中流域にあるんだけど、この河は清流として割と有名で、河釣りや河遊びの家族連れで賑わう。だけど同時にこの河は、時季になると突然に渦が発生する所や、唐突に河底がえぐれた所が散在する危険な河でもある。(続く)

2011-02-17 02:50:16
ととじゅに @totojuni_s

考えれば当然だけどそれでも興味深いのは、地元の一定以上の年代の人が、ニュースで水難事故の場所を聞いただけで「被害者が"他所者または地元の若者"かどうか」を大方判別できること。「昔どこどこで誰々が亡くなった」とか「昔からあそこは渦が巻いて危険だ」とかを言い含められて育ったからだ。

2011-02-17 03:01:30
ととじゅに @totojuni_s

要因はいくつもありうるけれど、こういうトリビアルな危険情報を相互にAlertするコミュニティ的な機能性が段々と低減し、それを補完する機能を意図的に創出することを要求されるのが、近代社会の一面だろうね。

2011-02-17 03:08:56
ととじゅに @totojuni_s

通常こういうAlert機能は、近代ではローカル情報の報道と市民的コミュニケーションに対して期待されるわけだけだけど、残念ながら日本ではそういう有為な情報についての報道や討議を介した共有に関しては、まだまだ甘いと言わざるを得ないと思う。

2011-02-17 03:13:33
ととじゅに @totojuni_s

何故かというと、市民的討議自体が不存在なのは言わずもがな、報道による記憶化の作法が事件や地名など固有名詞依存的だからだ。当然ながら、社会投資による再開発により地域社会の様相が一変しうる現代に於いて、固有名詞でハザードを記憶しても危機認識の共有に繋がりにくい。

2011-02-17 03:19:38
ととじゅに @totojuni_s

本当に必要なのは、リスク発生場所の場所的特性を様々な知見に基づいて分析報道して提示することと、報道をうけてそれを二次的に解釈・適用できる分厚い地域情報に触れている人間を、各所に育てること。しかし、ハザードの発生後は「誰に道徳的責任が存するか」という報道ばかりが目立つ。

2011-02-17 03:27:15
ととじゅに @totojuni_s

この道徳的責任を論ずる際、いわゆる一般主義的なドクサが登場する。例えば先の河の水難事故の例で言うと、「深いところには入るな」という一般的認識があると言える。そこから、深いところに入った奴は自業自得、という因果応報的な解釈が導かれる。

2011-02-17 03:36:16
ととじゅに @totojuni_s

ただし、この一般的危機認識だけでは、因果応報を導くには足りない。補助的な一般的認識として、深いのはどこか、という認識が必要だ。だから、「A洲の向かい側はいつも深い」→「A洲の向かいに入るな」という知的プロセスが重要になる。

2011-02-17 03:40:19
ととじゅに @totojuni_s

更には、「A洲の対岸が深い」という認識がない場合については、「○○という地理的、知覚的徴候があれば深いと言える」という補助的で一般的な判断基準を有している必要がある。

2011-02-17 03:44:20
ととじゅに @totojuni_s

これらの一般的認識は相互補助的で、真理値や妥当性を欠けばドクサになる。「深いところに入るな」はそもそも「どこが深いか」を知り得なければ駄目で、「どこが深いか」は実際に危険を言い当てていない場合は駄目、「どうすれば深いと分かるか」も同様だ。

2011-02-17 03:48:36
ととじゅに @totojuni_s

ドクサに基づく道徳的な(自己)責任論は、そのドクサが真理値や妥当性を持つための論理的な前提条件を欠くから駄目なのだ。この点はハザード防止の局面だけでなく、凡そあらゆる社会認識一般について言いうるだろうと思う。

2011-02-17 03:53:37
ととじゅに @totojuni_s

性犯罪について言うと、この種のドクサが散見される。まず、「夜道を(一人で)歩くな」という禁止のルールがあるけど、性犯罪は夜に限って発生するわけではないし、夜道を同行するような信頼の置ける知人親類による犯行が多いという事実もある。

2011-02-17 03:59:32
ととじゅに @totojuni_s

また、「○○街の裏手は危険だ」という類のAlertも意味をなさない可能性がある。特定範囲が緩すぎることもあるし、その場所は物陰が既に取り払われていて、代わりに別の場所がリスキーな場所になっているかもしれない。

2011-02-17 04:03:20
ととじゅに @totojuni_s

「同意した被害者は行為を甘受している」とか、「行為に及べば濡れるので喜んでいる」とかも問題。被害者の反応が総じて、袋小路などの地理的な条件、被害者との腕力差などの物理的条件、被害者との社会的関係という社会的条件等を鑑みて被害者が選び取った生存戦略である可能性がある。

2011-02-17 04:11:53
ととじゅに @totojuni_s

ドクサも含め、危機管理についての一般的認識は、「あれだけ危険だと言われてたのだから、危険を防げなかった奴が悪い」という因果応報的な事後認知を導く。性犯罪についてはドクサが多く、危機管理を怠った者と被害者が一致しがちなのも問題である。なぜ一致するかと言えば(続く)

2011-02-17 04:17:22
ととじゅに @totojuni_s

「自分は性犯罪加害者にも被害者にもなることはない」だとか、「男(または人間)は性的に野獣で、状況が訪れたら襲うこと、襲われても文句を言わないことは当たり前であり、危険防止のための義務とは教われないための努力のことを指す」という、最も強力なドクサ、思い込みが存在するからだろう。

2011-02-17 04:23:49
ととじゅに @totojuni_s

最も罪が重いのは後者。これを哲学チックに、「人間の性的本性についての野獣説」と名付けよう。略して「人間野獣説」である。対して、前者は、問題の所在を自己と切り離しているわけであり、従って、「加害者も加害者なら被害者も被害者だ」という他責的な態度を取る。(続く)

2011-02-17 04:39:41
ととじゅに @totojuni_s

よって、後者も哲学チックに、「加害者・被害者と第三者の性的本性の違いについての絶対性を主張する説」と呼ぼう。圧縮して「加害者・被害者 異邦人説」である。

2011-02-17 04:48:02
ととじゅに @totojuni_s

うむ。「人間野獣説」と「加害者・被害者異邦人説」については、また今度書こう。

2011-02-17 05:03:27