@simokitazawa 今回の公演で一番スリリングだったのは昭和島から会場までの道筋だった。上演されたのがカフカの「城」だったらピッタリだったかも(笑)。
2016-09-15 14:04:21@simokitazawa 「↗ヤジルシ」という決して分かりやすいとはいえないテキストを今回のように断片的にしか見られぬ上演形式で提供することは私にはどうも屋上屋を架すという風に感じられて仕方なかった。
2016-09-15 13:50:52@simokitazawa ひょっとしたら戯曲を読み直したら分かるかもしれないが、だとしたら上演に何の意味があるのか? SPACの演劇祭での公演は確かに回遊式だったし、上演形式の意味もよく分かった。
2016-09-15 13:59:38鳥公園「↗ヤジルシ」観劇。私はこういう劇場以外での公演が好きなので楽しんだが、太田省吾「↗ヤジルシ」というテキストが今回の状況に合った作品なのかは若干の疑問も感じた。アクティングエリアが2ヵ所あり同時に演じらられるので全体を見ることは出来ない。ただ、これは回遊式ではないな。
2016-09-15 13:41:47良い演劇には「面白かった!」とストレスがスカッと解消されるタイプのものと、「面白かったは面白かったけどあれはなんだったんだ……」と延々悩まされてストレスがどんどん溜まるタイプのものがあるんじゃないかと思っているが、鳥公園『︎︎ヤジルシ』は僕にとって後者で、いまとてもストレスフル。
2016-09-15 01:53:02これは今日の感想ということとは少し離れるけど、回遊式であるとか、自由に移動できるとか、そうであればあるほど窮屈さを感じてしまうのはなぜだろう。「選択しなければならない」ということが窮屈というわけではないと思うのだけれども。
2016-09-15 00:36:21こういう感想を抱くたびに、自分はただ口を開けて待っているだけの怠惰な観客なのではないかとを考えさせられる。しかし、作品である以上客席は想定されているはずで、その客席という場所にうまく座れないという感覚が強く残った。
2016-09-15 00:34:23アクティング・エリアと思しき場所にも観客が立っていたりする、ただしそこは「ご入場はご遠慮ください」と指定されていないエリアだ。だから観客が舞台に侵入してしまったのではなく、その反対だが、その“ノイズ”が特に活きているようには感じなかった。回遊型であることにも同じ印象を受ける。
2016-09-15 00:30:45が進行するが、当日パンフレットを見ると、始点が存在するような記述がある。では、どこから観たものか、どう回遊しようかと考えているうちにパフォーマンスは終わり、観客は別の場所に移動していく。ぽつんと残っていると、しばらく経って別のパフォーマンスが始まる。観客が三々五々に戻ってくる。
2016-09-15 00:30:06鳥公園「↗︎ ヤジルシ」を観てきた。回遊式の公演であり、受付は30分ごとに区切られていて、その時間内であればいつでも入場出来るということだったが、到着してみると入ってすぐの場所のパフォーマンスが終わりを迎えつつあるところだった。回遊式ということで、同時多発(?)的にパフォーマンス
2016-09-15 00:29:51余談だけど、鳥公園「↗ヤジルシ」を観てたいたら、見巧者たちは次第にそんな慌ただしい流れからは離脱して一所に吹き溜まり始めるのが興味深かった。でも、それがさっきの考え方を支える証拠の一つでもある。
2016-09-16 13:46:24大阪市立芸術創造館「緑子の部屋」、クリエイティブセンター大阪「空白の色はなにいろか?」、BUCKLE KOBO「↗︎ヤジルシ」、鳥公園を考える3つのヒント。
2016-09-15 00:19:03鳥公園「↗︎ヤジルシ」。しばらくすれば構造は理解できるが、その後にもう一つ気付きがある。演技にとらわれずインスタレーションのつもりでどんどん動くか、または好きな場所を見つけてじっとしている方が良いかもしれない。どんなお話か知ることに躍起になり過ぎるとかえって分かりづらくなるかも。
2016-09-15 00:34:34鳥公園「↗︎ヤジルシ」 #拝見 。芸創館の「緑子の部屋」、CCOの「空白の色はなにいろか?」を思い出した。現状で西尾さんと役者たちがこのテキストをどのように捉えているのかよく分かる。瀬戸内の後いずれ劇場公演もあるかなと思うけど瀬戸内を観に行くような人は無理しても観ておいて欲しい。
2016-09-15 00:03:12勿論、この関係の力は両義的で、観客は「鑑賞者」である時よりも演者に対して従属的になり得ますし、「関係」を取結ぶこと自体を「鑑賞者」に拒否されることもあるかもしれない。ただ、元々ない関係を断ち切ることはできないですよね。
2016-09-15 00:22:28映像というのは時間軸がある分、絵画とちがって作品の側からの鑑賞者/鑑賞体験への規定が大きいと思うんですよね。演劇の場合、演者-観客の関係を取結ぶことによって、逆にそれを敢えて断ち切ることができるというか。ポストドラマならその関係を観客も無根拠に断ち切ることができる。
2016-09-15 00:11:51作品が鑑賞者を支配する感がつよいというか。それを打破するためには、空気ではなくもう少し半透明な存在として扱ってほしかったし、(「鑑賞者」ではなく「観客」として、というか。)鑑賞者側も従順すぎたよね。
2016-09-14 23:48:26買い物袋を抱えた立蔵さんの解釈も両義的だったな。曲も相まって80年代的なバブルの表象にもみえたし、ホームレスにも、ディストピアの逃避者にもみえた。
2016-09-14 23:17:45鳥公園、観る側のコッチが慣れてないので不完全燃焼だったけど、ポスドラにはこの形態が最も適しているのかも。演劇は空間をつかえるので、何も一つの画面でやる必要はなくて。(それは映画がやればいい。)
2016-09-14 23:00:10役者の魅力もだけど戯曲の魅力もだなー。『↗︎ヤジルシ』面白い!ってなったもん。回遊式にすることで観客を半ば戯曲の世界に取り込んでる印象もある。戯曲読んでない人は上演終わってからでも読むと二度おいしいです。
2016-09-14 22:56:25役者が魅力的に見えるのはもちろん役者がいいからなのだが、しかしその魅力を十分に十二分に引き出せるかどうかが演出の腕の見せどころ、的なことです。あといわゆる同時多発的な側面のある上演なのだが(時空)間の配置の精度が凄い。
2016-09-14 22:01:47会場の雰囲気もあいまってベケット『息』に圧縮されたものがひとりでに展開されたような舞台になってた。ちょっと遠いけど個人的には東京モノレール昭和島駅から20分歩くのが雰囲気あってオススメです。西尾演出、武井翔子主演の『しあわせな日々』とか観たいなー。
2016-09-14 21:46:08鳥公園『↗︎ヤジルシ』。『小町風伝』以外の太田省吾作品の上演て初めて見た気がするのだけど、上演として観ると戯曲から感じる以上にベケット的であることがわかる。西尾佳織は戯曲も面白いんだけど、今回は演出家としての能力を存分に発揮。役者が皆すこぶる魅力的に見える。面白かったなー。
2016-09-14 21:42:15鳥公園『↗︎ヤジルシ』を楽しむためのワンポイントアドバイス ・動き回るのは疲れるからちょっと、というひとは一回目に1階で、二回目に2階でじっとしていると良いです ・ダブルキャストが一部であるのでそこも押さえようとすると想像以上に時間かかります ・上から下を覗き込むのもまた絶景かな
2016-09-14 22:29:13