「ロータス戦記1:ストームダンサー」より「第1章:火」 【2:〈戦神〉ハチマンの啓示】

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ダイハードテイルズ広報局 @dhtls

ヨリトモの副官トラ・ヒデオは、主君のその言葉を聞いても何ら動揺を見せず、己の机の上に山と積まれた逮捕状に対し、休むことなく書道筆を振るい続けていた。流石はメジャー・ドーモの地位にある男。平常心の極みである。ヒデオの左手に握られた骨製キセルからは〈血ノ蓮〉の煙が渦を巻いて立ち上る。

2016-09-22 22:00:00
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ヒデオは目を細め、煙の向こうの主君をちらりと見た。そして思案した。七年に渡りヨリトモの最側近を務めてきた老臣ヒデオでも、未だに、発言の真意を汲みかねる時がある。ここは笑うべきか、笑わざるべきか。それが問題だ。「マイロード、いま、何とおっしゃいましたか?」ヒデオはついに口を開いた。

2016-09-22 22:03:53
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「聞こえたであろう。グリフォンである」「マイロード、それは……グリフォンの彫像か何かでございますか?もしや……ははあ、解りましたぞ、記念碑ですな。栄光あるカズミツ幕府の開闢二百周年を祝し…」「否」ヨリトモはぴしゃりと言った。「正真正銘のグリフォンである。余はグリフォンを所望する」

2016-09-22 22:07:26
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それを聞き、ヒデオは片方の眉を大きく上げた。「しかし、マイロード……」老臣は咳払いする。「〈雷虎〉(らいこ)は既に、絶滅いたしましたぞ」

2016-09-22 22:09:17
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薄汚れた乳白色の光が、丈高いショウジ戸越しに部屋へと差し込んでいた。その先、眼下には壮大な庭園が広がっている。毎日大勢の庭師らが行う修繕作業も虚しく、ここに植えられた木々は病み、どれも異様に背丈が低い。木々の間から聞こえてくるのは、悲嘆に暮れるスズメたちの恨めしげな鳴き声である。

2016-09-22 22:12:26
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ショーグンの命令により、この哀れなスズメたちは毎月北方の地で捕獲され、この病んだ庭園へと運ばれてくる。しかもスズメたちは翼を切られており、庭園から逃げ出すこともできぬのだ。……帝都の空は重く低い。分厚い排煙の汚染雲が垂れこめ空に蓋をし、日中の過酷な熱気を地表に封じこめているのだ。

2016-09-22 22:16:33
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「絶滅した?」カズミツ幕府の七代ショーグン、ヨリトモ・ノ・ミヤは、天守閣のバルコニーを闊歩し、己の帝都カイゲンを見渡した。ちょうど、息詰まるような青黒い排煙をもうもうと吐き出しながら、一隻のスカイシップが港から飛び立つところだった。「〈雲渡り〉たちは、そう考えてはおらぬようだが」

2016-09-22 22:19:52
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「……」ヒデオは主君に聞こえぬよう小さく溜息をついてから、書道筆を注意深く机に置いた。キセルから天井へと立ち上る黒曜石色の煙は、さながら傘のように彼の頭上に吹き溜まり、チカチカと真珠粒の如き煌めきを発していた。かつてこの国にも存在したという”星空”の如く。

2016-09-22 22:24:25
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やがて老臣は、膝を鳴らして立ち上がった。重い。金と深紅の絹製ソクタイ・ローブを、何重にも重ね着しているのだ。うだるような暑さの中ですら、このような難儀な装束に身を包まねばならぬ事を、ヒデオは改めて呪った。それから〈蓮〉煙をもう一度盛大に吸い、主君の後ろ姿をじっと見つめるのだった。

2016-09-22 22:27:10
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ショーグンの地位は世襲制である。先代である父カネダより地位を継承してから、この七年前のうちに、ヨリトモは随分と様変わりしてしまった。今年は、ヨリトモが生誕してから二十回目の夏となる。ヨリトモの肩幅は広く、その顎は彫刻のように美しく、黒く長い頭髪は成人男性の証として結われている。

2016-09-22 22:31:18
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シマに生きる全貴族血脈の伝統に従い、ヨリトモもまた13歳の誕生日に、美麗なる刺青を両肩に刻んでいる。右には恐るべき〈猛虎〉の意匠。これは彼のクランの守護精霊を讃える意味を持つ。左には〈血ノ蓮〉の花畑と〈帝国太陽紋〉。これは彼がシマの〈四玉座〉の頂点に立つ者であることを意味する。

2016-09-22 22:35:37
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ヒデオの目には、一瞬、ヨリトモの肌の上で〈猛虎〉の刺青がまばたきし、その刀じみて鋭い爪をなめらかに動かす光景が見えた。ショーグンの右腕の守護精霊は、ヒデオを睨みつけている風であった。老臣は右手に握った骨キセルを一瞥してから、どうやら少々〈蓮〉煙を吸い過ぎたようだ、と結論づけた。

2016-09-22 22:40:47
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「……その〈雲渡り〉とは、キツネ・クランの者たちですかな?」ヒデオは宵闇の如く青い麻薬性の煙を、肺の奥からゆっくりと吐き出しながら、続けた。「賢き者は狐を信じぬ、という諺もありますぞ、マイロード」「お前も、あの噂を聞いたのだな?」「我が諜報の網から逃れられる噂など、ありませぬ」

2016-09-22 22:44:33
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「我らの網は、いまや帝国全域に広がっております」老臣は両手を大きく広げながら語った。「〈九尾狐〉(キツネ)、〈龍〉(リュウ)、〈鳳凰〉(フシチョ〉に〈猛虎〉(トラ)……いかなるクランの手の者であろうとも、秘密を隠し通すことは……」「では何故、それを余に報告しようと考えなかった?」

2016-09-22 22:48:50
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ヒデオは広げていた腕を下ろし、微かに表情を曇らせた。「お許しください、マイロード。迷信深い下々の者らの噂話によってお心を惑わされぬようにと配慮した次第で御座います。領内の旅籠屋や遊郭で、空飛ぶ虎やら、海龍やら、得体の知れぬヨーカイやらの噂話が持ち上がるたびにそれを報告していては」

2016-09-22 22:53:19
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「知っておる事を、申してみよ」ヨリトモが言った。長い静寂が続いた。それを破るのは、息を詰まらせたスズメの騒々しい鳴き声だけであった。やがて、遠い廊下を歩く家臣の微かな足音が聞こえてきた。その家臣は鉄製の鐘を十回鳴らし、澄み渡った高い声で〈鶴の刻〉を告げるのだった。

2016-09-22 22:57:04
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「……取るに足らぬ作り話で御座いますよ、マイロード」ヒデオは肩をすくめてそう言った。「三日前、港に到着した〈雲渡り〉の一団が、こう言っておったのです。季節風のせいで、スカイスップが大幅に航路を外れたため、かの呪わしきイイシ山脈を横断せねばならなかった、と……」ヒデオは続けた。

2016-09-22 22:58:51
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「……彼らはライジン神の怒りで船が燃やされることのないよう祈りながら、イイシ山脈を渡ったのです。その乗組員の何人かが、雲の中に、アラシトラの影を見た、と」「アラシトラ……!」ヨリトモは興奮気味に、そのシマ言葉を繰り返した。「それこそは〈雷虎〉ではないか、ヒデオよ……!」

2016-09-22 23:02:52
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「いえいえ、船乗りどもが話すのは、法螺話ばかりですぞ、マイロード」ヒデオはかぶりを振った。「特に、空を往く〈雲渡り〉どもはいつもたわ言ばかり。……無理もありますまい。日がな一日、スカイシップから吐き出される〈蓮〉排煙を吸い続けておれば、遅かれ早かれ、頭の中はあやしくなるものです」

2016-09-22 23:06:29
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「私めはこんな法螺話すらも聞いたことがありますぞ。かの大いなるイザナギ神が、雲の間を歩んでおったというのです。また別の者たちは、ヨミへの入口と、それを封印するためにイザナギ神が用いた大岩を見つけたと主張しておりました。このような痴れ者どもの作り話を、いちいち真に受けていては……」

2016-09-22 23:10:05
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「否。これは作り話などではないぞ、ヒデオ=サン」「マイロード、いったい何を……」「余は、夢を見たのだ」ヨリトモは振り返り、ヒデオと向かい合った。ヨリトモの目は大きく見開かれ、ギラギラと輝いていた。「その夢の中で、余は、大いなるアラシトラの背に跨がり、雷の中を雄々しく飛翔していた」

2016-09-22 23:13:01
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「そしてアラシトラの背に打ち跨った余は、自らの軍勢を率いて海を渡り、丸い瞳のガイジン軍団に戦争を挑んだのである。伝説にある、〈嵐の踊子〉(ストームダンサー)の如き勇ましさで」ヨリトモは続けた。「……どうだ、ヒデオ=サン。余は、この啓示を、大いなる〈戦神〉ハチマンより授かったのだ」

2016-09-22 23:17:26
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ヒデオは小さく咳払いした。「マイロード、天にも等しきその威光は……」「御託はよい。申せ」「……曾祖父の時代より、〈雷虎〉の確かな目撃情報は途絶えて久しゅうございます。〈海龍〉を滅ぼした〈蓮〉排煙が、〈雷虎〉をも絶滅に追いやったのです。かのヨーカイはこの世界を去ったのです。永遠に」

2016-09-22 23:22:11
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「……」ヨリトモは窓からヒデオへと向き直り、腕を組んだ。彼の右腕に刻まれた〈猛虎〉の刺青は、その目を瞬きさせて老臣を睨みつけ、音もなく唸り声を発しているかのようであった。ヒデオは冷や汗をかき、そわそわと骨キセルを動かした。「……よいか、ヒデオ=サン。〈雷虎〉は捕えられる」

2016-09-22 23:26:36