高橋源一郎「午前0時の小説ラジオ」-メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説」5 忘れられないことば

ほぼ日からUst中継された小説ラジオの第五弾(最終回)
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高橋源一郎 @takagengen

「ことば」23・彼は、明日出入りがあり、もしかしたら、今日が最後の日になるかもしれないので、歩いていたのだ、といった。明け方が近つぎ、彼は立ち上がった。そして、ぼくたちの手を握り、こういった。「ぼくのことを覚えておいてほしい」。それが、彼の最後のことばだった。

2011-02-19 00:52:37
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」24・一斉にセミが鳴き出したことも、夜から朝に変わるどよめきのようなものが、東の方の空からやって来たことも、彼の美しい顔も、覚えている。その「ぼくのことを覚えておいてほしい」ということばと共に。彼が立ち去ると、Tは「ドストエフスキーの小説みたいだね」といった。

2011-02-19 00:55:06
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」25・「ほんとうだね」とぼくはいった。あの時の青年は、どうしたのだろうか。Tは、それからおよそ三十年弱生きて、朝日新聞の記者になり、そして、マレーシアの沖合で溺死することになるのだが。「ドストエフスキーの小説みたいだね」といったTも。

2011-02-19 00:57:17
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」26・そうやって、ぼくの中にはたくさんのことばが残る。いまも残り続ける。それはすべて美しいものばかりとは限らない。なにもかもを書けるわけはない。けれども、どうしても、書いておきたいこともあるのだ。

2011-02-19 00:58:49
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」27・父親と母親に関することばがある。ぼくは、それを長い間、いいたいとは思わなかった。隠そうとしていたように思える。ぼくには、どうしてもうまくいえる気がしなかったのだ。母が亡くなった時のことは、ぽくにとって、思い出したくないことの一つだった。

2011-02-19 01:01:05
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」28・新幹線のホームで倒れた母親は、そのまま病院に運ばれ、人工心肺がとりつけられた。それから一週間後、一度も意識を取りもどすことなく、母親は亡くなった。心肺装置を止めると医者に告げられ、ぼくたちは、その様子を見守っていた。数分、もしくは十数分で、死を迎えるのである。

2011-02-19 01:03:57
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」29・最後に家族が、母親の周りに集まった。ぼくが代表して、母親の耳元に口を近づけた。なにかを言わねばならなかった。死にゆく母親に送ることばが。けれど、ぽくにはなにも思いつけなかった。ぼくの中に、母親に向けることばなかった。空っぽだった。けれど、ぼくはこういった。

2011-02-19 01:05:53
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」30・「ありがとう。ずっとずっと、ほんとうにありがとう」。ぼくは、その時、ほんとうに、そうは想っていなかった。ぼくの中には、どんなことばもなかったのだから。もし、地獄というものがあるとするなら、ぼくは、この時ついた嘘によって、落ちるだろう。ぼくは、そう思うのである。

2011-02-19 01:08:25
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」31・母親がなくなる数年前、父親は癌で亡くなった。父親が亡くなる前日、ぼくは病院に父親を見舞っている。ぼくは、父親が、「こわいこわい」といっているのを見て、衝撃を受けた。死を恐れている父親を見ることができなかった。そんな父親ではなかったからだ。

2011-02-19 01:10:01
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」32、医者は「もう数日は大丈夫でしょう。東京へ戻られても平気です」といった。ぼくは、きっと今晩父親は亡くなるに違いないと思った。ぼくの目にはそう見えた。だから、自分でも信じていない医者のことばを信じるふりをして、ぼくは東京に逃げるように戻った。その晩、父親は亡くなった。

2011-02-19 01:11:51
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」33・ぼくは、父親の最後を見たくなかった。だから、最後と知っていたのには、その場を離れた。そのことも、ぼくは、許されぬことだと思っている。ぼくは、死にゆく母親に嘘をついたことと、父親を見放したことで、罰をうけるべきだとずっと思ってきた。ずっとだ。

2011-02-19 01:13:43
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」34・だが、とぼくは思う。その頃、ぼくには、父親や母親ときちんと向かい合える「距離」がわからなかった。いまは違う。不思議なことに、いまなら、ぼくは父親や母親と向かい会える、話すことさえできるのである。つまり、記憶の中に生きている、彼らに出会うことによってだ。

2011-02-19 01:15:36
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」35・ぼくの中に、繰り返し、繰り返し、蘇ってくる映像がある。それは、おそらく、昭和30年頃、父親が経営していた鉄工所の門の前にあった菜の花畑だ。異様なほど美しい、目の覚めるほど鮮やかな黄色い、菜の花畑を前にして、まだ若い、父親と母親が笑っている風景だ。

2011-02-19 01:17:59
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」36・父親は白いワイシャツを着て、その横で割烹着姿の母親が並び、笑っているのである。父親は三十台前半、母親は二十八か九だろうか。こんなにも楽しく笑えるのだろうか、と思えるほど、幸福感にあふれて、彼らは笑っている。ぼくは、目をつぶり、いつもその風景に戻る。

2011-02-19 01:20:35
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」37・ぼくは、その若い父親と母親に、それから半世紀も後に、ぼくが彼らに対してすることになる「罪」を謝るために、出かける。けれども、彼らはただ笑っているだけだ。そして、ぼくは思う。少なくと、彼らにはそんなにも幸せな時代があったのだ。それは、たぶん素晴らしいことなのだろう。

2011-02-19 01:23:15
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」38・「ごめんなさい」とぼくはいいたい。けれど、ぼくは、その記憶の中では許されているような気がする。なぜなら、彼らが笑っているのは、おそらく、ぼくに向かってだから。まだ幼いぼくに向かって、彼らは笑いかけていたのではないだろうか。ぼくには、彼らを幸せにする力があったのだ。

2011-02-19 01:25:02
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」39・記憶というものは、なぜ断片的なのだろう、とぼくはずっと思ってきた。もっとずっと、意味があって、繋がっていればいいのに、と。でも、そうではないのだ。ぼくの中には、笑っている両親たちのように、たくさんのシーンが隠れてる。そのたくさんのシーンの繋がりこそが、ぼくなのだ。

2011-02-19 01:27:10
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」40・その、断片的な「物語」は、作者という存在が書く、どんな「物語」より強力ではないだろうか。なぜなら、そこには、いつも、ぼくの居場所があるからである。そこでは、みんな、ぼくに笑いかけているからだ。それは、ぼく専用の、ぼくのための「物語」なのだ。

2011-02-19 01:28:46
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」41・父親と母親は亡くなったが、ぼくの「物語」の中ではいまも生きている。Tくんも、京都の学生も、みんな生きている。ぼくが生きている限り、彼らは死なないのである。だとするなら、ぼくがいつか死ぬとしても、ぼくの姿が、誰かの「物語」の中で生きている限り、ぽくも死なないのだ。

2011-02-19 01:31:30
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」42・そんな「物語」は、みなさんの中にある。その「物語」の中では、あなたが主役であり、そこに登場する人々は、みんな、あなたに向って笑いかけているような「物語」が。捜す必要はないのである。み,んな、あなたの中にあるはずなのだから。ここまでです。五晩、ありがとう。

2011-02-19 01:33:16
高橋源一郎 @takagengen

ゼミ生・院生・小説教室の諸君、明日の「ゼミ」が、一週間延期になったことは知ってますね? 27日が4月から開講するぼくの「私塾」の準備の回になります。というわけで生徒諸君、せっかくだから、この「私塾」に名前をつけてください。命名者にはランチをプレゼント。「松下政経塾」とかはダメ。

2011-02-19 22:05:43