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76 *** いつもとかわらない中庭の日々は普通に続いてた。 バレンタインにチョコをあげたら、先生は、手作りってなんか照れるなっていいながら、喜んで食べてくれた。 保健室の若い女の先生に、錦戸先生がチョコもらってるの見て、今度はわたしがやきもちをやいた。
2016-04-02 23:05:0677 先生は、全然そんなんないよ、って頭を撫でるから、お互い様だねって笑った。 ホワイトデーはお返しに、わたしが好きっていってたお店のラスクをくれた。美味しいから先生とわけて食べた。覚えててくれたのが嬉しかった。
2016-04-02 23:05:1278 いつもと変わらない、二人だけの秘密が普通だったのに。 なんでわたしは気づかなかったんだろう。 「やっとあったかくなってきましたね」 「せやなぁ。」 終業式の日。 いつも通り、先生は中庭にいた。
2016-04-02 23:05:1879 「うちの学校、松だけじゃなくて桜もきれいなんですよ!この感じだと、入学式ピークかも!中庭からは残念ながら見えませんけど、でも、お花見、できたらいいなぁ」 「…………やな」 そう答える、先生の目線はわたしになかった。 手元にずっと目線を下げてた。
2016-04-02 23:05:2380 「…これ」 先生は、コーヒーとココア、2つ缶を持っていて、ココアの方をはい、って渡してくれた。 「珍しい、ココアだ。どうしたんですか?」 「いや、別に、あったから買っただけやで」 先生が、ココアをくれたのは中庭で涙を流したあの日ぶりだった。
2016-04-02 23:05:2881 ココアよりもコーヒーの方がよく飲むことを知ってから、いつもくれるのは先生とお揃いのコーヒーだった。 「懐かしい。たまには、いっか。いただきまーす」 プルタブを開けて、ココアを飲む。 普通のことなのに、かわらないことなのに。 あの日飲んだココアの味が、思い出せない。
2016-04-02 23:05:3382 春の陽気に浮き足立ったわたしは、先生の返事の妙な間の意味にも、交わらない視線にも、ココアをくれた意味にも気づかなかった。 先生は、新学期、始業式にも、離退任式にもいなかった。
2016-04-02 23:05:3883 *** あんなに人気だったのに、突然姿を消した錦戸先生のことをみんなが気にしていたのは、ほんとの最初だけだった。 「あれ錦戸先生は?」「離退任式いなかった」「消えたね」 こんな会話は1週間でなくなった。 新任できた社会科の先生がかっこよかったのが最大の原因だと思う。
2016-04-04 01:37:0484 錦戸先生がいなくなった春、産休から美奈ちゃんが復帰した。 4月から旦那さんが半年育休をとって、子どもが1歳になったのを目処に保育園に預けるんだって。 随分と早い復帰にいろいろ心配したけど、当の美奈ちゃんは旦那が公務員じゃなくてよかった〜って企業の福利厚生に感心してた。
2016-04-04 01:37:1285 新しい先生が来るのは毎年同じことで、学校は何もかわらなかった。 美奈ちゃんが戻ってきた学年教員は元通りになっただけ。
2016-04-04 01:37:1786 わたしの学年が3年になって、錦戸先生がいなくなったことは、わたし以外の誰にも影響を及ぼさなかった。 ずっと先生のこと、考えてるのは、わたしだけ。 わたしだけ元通りになれなかった。
2016-04-04 01:37:2487 *** 先生がいなくなってから、中庭には一回も行かなかった。 行けなかった。 行く意味を見失ってしまった。 すぐ家に帰るか、図書館に残るか。 半年前に戻っただけなのにね。 しばらく、先生がどうなったのかは、誰にもなんにも聞けなかった。けど。
2016-04-04 22:20:2688 日直で残った放課後。 「あれ、まだいたの?」 「今日日直で。日誌と、あと、窓閉め。」 備品点検しにきてた美奈ちゃんと、教室でたまたま二人きりになった。 美奈ちゃんは、まじまじとわたしの顔を見て、 「…なんかさぁ、半年見ない間に、かわったね」 ぽつりと呟いた。
2016-04-04 22:20:3289 「え?」 「なんか大人になった、というか、元気ないっていうか。」 そう言った美奈ちゃんの声が、すっごく優しくて、悩みを聞いてくれたあの時の錦戸先生と重なって、 「……ねえ、美奈ちゃんの代理で来てた先生って、どうしたの?」 ずっと聞けなかったことを、聞いてしまった。
2016-04-04 22:20:4590 「…錦戸先生?」 「…うん」 「錦戸先生、臨時採用の先生で、わた しが戻ってくるまでの、半年だけの先生だったの」 ……それじゃあ最初から半年だけだったてこと?
2016-04-04 22:20:5691 「聞きたいのはそれだけ?」 「うん、それだけ」 「…いい先生だったんだね」 「…すごいわかりやすくて、みんなにも人気でした。わたしは美奈ちゃんの方が好きだけど」 「…えー、ほんと?ありがとー」
2016-04-04 22:21:0892 美奈ちゃんは何か察してたかもしれないけど、そのあとはなにも聞いてこなかった。 じゃあもう遅いから早く帰りなさいね、って言って、教室を先に出た。
2016-04-04 22:21:1393 「好き」も「付き合って」もない関係。 先生はどんな気持ちで毎日中庭に来てたのかな。 先生はどんな気持ちであの日キスしたのかな。 先生はどんな気持ちで最後ココアをくれたのかな。 先生がいない学校で、わたしは声をあげて泣いた。
2016-04-04 22:21:1794 *** それから、普通に勉強して、普通に友達と過ごした。 大学には行くことにした。 ただ受験料だけはもったいないから、指定校推薦で行けるところにした。 大学に入ってすぐに、中学の時通ってた学習塾でバイトをはじめた。
2016-04-09 00:22:0295 高3のあの1年も、大学に入ってからの今までも楽しくないことはなかった。 気の合う友達もいるし、苦になることも別にそんなにない。 普通の学生生活。 どこかで諦めていたんだと思う。 錦戸先生を探したり、思うことに。
2016-04-09 00:22:2096 先生の選択は、わたしに何も言わないで消えることだった。 わたしは、その選択を認めて、いい女ぶりたかったんだと思う。 なのに、近くにいることを知ってしまったわたしは。 会いたい、なんて思ってしまった。 でも、会えない、とも思ってた。
2016-04-09 00:22:3197 *** 「お疲れ様でーす」 勤怠を押して、職員室に入ると、 「おうおう!待っとったで!ちょ、チラシ配ってきて」 「え!?わたし!?」 室長が、束になったチラシをバンバン叩いてた。 門前配布。学校の門の前で、塾のチラシを配るやつ。
2016-04-09 00:23:2698 「今日担当登録講の先生ですよね?わたしスーツ着てきてないんですけど」 「なんや乗ってる電車、人身事故で止まってもうたらしくて、授業ギリギリにくるって」 かまへん!行ってこい!って束がーんって渡されて、なんて理不尽なんだこの人は!!
2016-04-09 00:23:4199 とは思うものの、帰ってくる頃には、冷蔵庫に甘いもん入ってたりするんだろうなぁ。 「…もう、どこですか場所」 「えーっと、待ってな……… あー、一中や!一中!」 ……一中って…… こないだ聞いたばかりの、先生がいる学校。
2016-04-09 00:23:51100 嫌です、なんて言えなくて。 ただ門で配るだけ。 そう思っても意識はしてしまうもので。 でも、もう門の前に来て配っているわけで。 わたしは仕事中なわけで。 頭にちらつく情報をかき消して、無心でチラシを配る。 …一応、笑顔で。
2016-04-11 20:53:42