【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」】

横山光輝「三国志」を一話ずつ解説してみようというコーナー。第108話「養子劉封」の巻。 ※解説はbotさんの個人的見解です。
1
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」01】 第108話です。 大敗を喫した曹仁軍。生き残りの兵たちも河を渡って満身創痍状態。太陽も上がって気温が高くなって疲労度が増していることでしょう。完全に夜襲失敗です。そんな自分の様子をみつめる曹仁の姿が見えます。

2016-10-11 12:28:02
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」02】 副将の李典も、ここまでくれば大丈夫、樊城に戻って軍を立て直しましょうと言います。今度は二度と軽率に動かぬことです、と曹仁の行動に釘を刺すことを忘れません。悔しいですが李典の言う通り、曹仁はわかったからもう言うなと李典を睨みます。

2016-10-11 12:30:20
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」03】 そして、玄徳には今に見ておれ、この仇は必ず討つぞ、とリベンジを誓うのでした。こうして樊城に戻る曹仁軍。しかし、その樊城には、あろうことか「関」の字の旗がはためいています。それに気づいた曹仁。あの旗はなんだと指差します。

2016-10-11 12:32:14
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」04】 指先で表現する男、曹仁。コマ枠を突き破って指差します。そして、樊城の城壁の上に現れた男とは、もちろん、関羽です。関羽がひそかに樊城を占領。そして、曹仁殿に手厚いもてなしをしてあげろ、と上から矢の雨を降らせます。

2016-10-11 12:34:08
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」05】 自分の城だと思って防御の態勢を取っていなかった曹仁軍です。次々に矢の餌食となってしまいました。曹仁はあわてて引くように言いますが、そこに城門が開けられ、関羽自ら突撃してきました。疲れきった曹仁軍はひとたまりもありません。

2016-10-11 12:35:46
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」06】 我先にと逃げていく曹仁軍。かくして、此度の戦いは玄徳軍の大勝利となりました。 玄徳は、樊城に主だった武将達を集め労いの言葉をかけます。みなが力を合わせたおかげだ、と言い、酒を酌み交わし戦勝の気分を味わうがいいと言います。

2016-10-11 12:37:42
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」07】 そんな折、県令の劉泌が来ました。曹仁が去り、樊城の支配者が変わったので挨拶にきたのでしょうか。玄徳は劉泌を迎え、自分たちは県民を痛めるようなことはしないと、県民の不安を除いてほしいと言います。

2016-10-11 12:40:45
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」08】 劉泌も、玄徳は民百姓を大切にする人だと聞いているので、県民を安心させましょう、と約束します。 ところで、と玄徳は、劉泌とともに来た青年を指し、息子かと尋ねます。息子ではなく、甥であると答える劉泌。

2016-10-11 12:42:31
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」09】 この青年、もとは寇(こう)氏の子で、寇封(こうほう)と言います。早くから両親を亡くし、自分がわが子同様に養っていると言います。 玄徳は素晴らしい若者だ、自分の養子にくれないか、と言い始めます。

2016-10-11 12:44:36
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」10】 玄徳の中に養子ブームが来ているのでしょうか。関羽の養子にと関平をくっつけてみたりと、なかなか唐突に養子縁組を結びたがります。この他にももしかしたらあちこちで養子縁組を世話していたりして…。

2016-10-11 12:46:17
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」11】 さて、玄徳のこの申し出に、願ってもない幸せなことだと言う劉泌。しかし、顔に汗マークがあることから見ると、唐突過ぎて驚いているのか、新しい支配者たる玄徳に逆らえないと思ったのか、ちょっと微妙な表情です。

2016-10-11 12:48:06
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」12】 これまで大切に育ててきたであろう寇封に、お前はなんという幸せ者じゃ、といい、新しい父上にご挨拶申し上げよと促します。寇封は切り替えが早いのか、あっさり、玄徳のことを父上と呼び、膝をついて挨拶をします。

2016-10-11 12:50:20
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」13】 玄徳は素晴らしい息子を持てて嬉しく思うと言います。劉泌は、こんなめでたいことはない、と手を叩き、寇封にしっかり孝養を尽くせと言います。劉泌とすれば、玄徳がこのまま出世したら、寇封の育ての親としての覚えもめでたいと思ったか。

2016-10-11 12:53:10
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」14】 この時点では、玄徳は荊州の劉表の世話になっている身なので、身分としては不安定なものなので、かなり劉泌が買いかぶっているのではないか、と思わなくもないですが、先行投資の意味もあったのかもしれません。

2016-10-11 12:55:24
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」15】 寇封はあっさり玄徳の養子入りを受け入れます。この後は劉封(りゅうほう)と名乗ることになるのです。劉泌は、早速、県民達の不安を取り除きに行くといい、出発していきました。

2016-10-11 12:57:11
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」16】 さて、この突然の養子縁組。張飛や関羽もびっくりです。関羽は、阿斗という世継ぎが生まれているというのに、なぜそんなことをするのか、と尋ねます。玄徳は、ひと目見た時からすっかり気に入ってしまった、と答えます。

2016-10-11 12:58:45
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」17】 しかし、荊州のお家騒動を目の前で見ていて、実子と養子で揉め事になるのがわかっているわけです。後日禍になるのを恐れているんだと張飛に言われて、玄徳はたしかに言われてみれば早まったことをしたか、とちょっと反省。

2016-10-11 13:00:28
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」18】 しかし、もう決まったことだから何も言うな、と養子の件はそのまま決定事項にする玄徳。まったく用心深い殿らしくもない、と呆れ顔の張飛です。 この辺のくだりは実に歯切れが悪い展開ですが、そもそも、阿斗がいるのになぜ養子を迎えたのか?

2016-10-11 13:03:03
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」19】 どうやら、史実では玄徳が封を養子を迎えたのは阿斗が生まれる前だったようです。つまり、この先後継ぎが生まれないものと考えられたので養子を迎え、その後、阿斗が生まれた。ところが、三国志演義では、なぜか阿斗を先に出してしまった。

2016-10-11 13:05:54
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」20】 しかし、物語の展開上、劉封を出さないわけにはいかず、養子を迎えるに至った経緯も説明せざるを得なくなった、というわけのようです。構成ミスと言ってしまえばそれまでなんですが、文句は三国志演義の作者に言ってください。

2016-10-11 13:10:25
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」21】 ちょっとグダグダ感のある劉封の養子問題ですが、単福はそんなことは気にせず次に行きましょう、とばかりに、この城を詳しく見たが、守るのにはふさわしい城ではないから、ここは趙雲にでも守らせ、玄徳は新野に帰った方がいいと言います。

2016-10-11 13:12:15
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」22】 そうか、ならばそうしよう、と玄徳は再び新野に引き帰すことになりました。 曹仁軍を打ち破って手に入れたのは、ひと目で気に入った劉封。親子となった玄徳と劉封の最後は決して幸せな形にはなりませんでしたが、その話はまだ遠い先となります。

2016-10-11 13:16:48
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座108「養子劉封」23】 曹仁の大敗によって荊州の戦略が崩れた曹操ですが、その後どのような動きを見せるか。単福と玄徳とのその後については、また次回となります。 今回はここまで。

2016-10-11 13:18:17