ジェノサイドのこと。
@sacon 文脈のねじれはあるかと思いますが、自己正当化=正義は、こうした、国家と法の限界を超えていく価値の前提を自己に帰着させる点に欺瞞があります。むしろ、すべての人は、ジェノサイドを問いつづけることで国家を越えた人権の可能性を持ちうる可能態としてのみ存在します。
2011-02-18 17:10:49@sacon 「正義」は希求されなければなりませんが、それは現実には修辞としてしか意味を持ちません。人の持ちうる正義の可能性は現在の人類の世界史レベルでは国家幻想の構成要素としかならず、そしてその幻想性の内部にジェノサイドが住みうる危険性があります。
2011-02-18 17:13:12@finalvent 散発的な返信を。まず、「通常の意味での人権は通常国家の市民救済の理念です」とのことですが、人権とは国家による保障でなく、国家から侵害されないという概念ですよね。
2011-02-19 03:48:59@finalvent さんの、ジェノサイドによる人権侵害に関する、立場の可換性からの個人的投企に対して、「ジェノサイドによるもの以外に対するそれも嘘ではない」というのが一連の私の主張であり、法学論ではありません。
2011-02-20 15:26:12@finalvent 国家論や正義の問題だととらえた時点で、被害者への共感という元のお話とは決定的に視点がずれていると思います。「正義」というタームは意味内容が不明確なのでここでは使用を控えます。
2011-02-20 15:29:30@finalvent 改めて確認したいのですが、自己正当化の弊害は、どんな旗を掲げていても存在します。それから、人権はそもそもが国家権力と本質的に対立する概念ですが、この点で理解が異なるようです。
2011-02-20 15:39:28@sacon 「正義」は帰結的です。「国家論や正義の問題だととらえた時点で、被害者への共感という元のお話とは決定的に視点がずれている」はそうかもしれません。共感が「嘘」であり、その嘘は国家論によるからです。
2011-02-20 15:41:44@sacon 「自己正当化の弊害は、どんな旗を掲げていても存在」はそう思います。「人権はそもそもが国家権力と本質的に対立する概念ですが、この点で理解が異なる」かもしれません。私の関心は、人権が可能になる基底を問うことしか人の定義は可能にはならないというものです。
2011-02-20 15:43:14@finalvent 人命や個人の精神的自由といった諸価値が可能な限り尊重されるために、現に「国際的」活動が(国家幻想の構成要素といえる範囲を超えて)行われています。ジェノサイドの危険性やその性質について疑問を付してはいません。
2011-02-20 15:45:27@sacon そこは逆です。ある人にとって、人権をその人の原初のものであると確信させるのはジェノサイドを国家を越えて阻止しようとその人のコミットのなかにあるのであって、諸価値といった外的な所与性にはないのです。
2011-02-20 15:49:10@finalvent ここでは「所属集団に何かを主張・要求する権利」ではなく「無前提で尊重されるべき価値」としての人権が問題になっていると理解しています。人が人であるがゆえに尊重される上で、何か「質」が必要とは考えません。
2011-02-20 15:51:34@sacon その人が国家幻想を越えようとするコミットなくして「人権」は虚構でしかなく、その虚構は国家の内部のルールであり、国家を介した特権にしかなりません。人は国家に従属し、国家を越えて人を問いかけることができなくなります。
2011-02-20 15:51:35@sacon 「無前提で尊重されるべき価値」としての人権は虚構です。そしてその虚構が質とするのは国家です。「人が人であるがゆえに尊重される」には、「私」がそこに自己の存在根拠をかけて国家を越えるという意志を「質」として必要とします。
2011-02-20 15:53:46@finalvent 人権侵害を受ける他国民への共感が「嘘」だというご主張には、「ジェノサイド以外の人権侵害は国家にとり本質的でない」という前提がありますが、私はその前提を共有していないのです。
2011-02-20 21:20:47@finalvent 『ジェノサイドの阻止以外のコミット、国家による他の形態の人権侵害の被害者への共感が「嘘」であり、人権の確信には至らない』という、お考えの根拠こそが、焦点になると思います。
2011-02-20 21:30:18@finalvent おっしゃりたいことはわかるように思いますが、そもそも「所属する共同体の多数派による意思決定といえども、また構成員に対してであっても、侵してはならない価値や尊厳が個人にはある」というのが人権という概念ですから、人権は国家には従属しません。
2011-02-20 21:34:42@finalvent おっしゃるところの国家幻想、民族幻想が元々私には希薄なのだと思います。また、「人権の価値は所詮虚構だ」と言うことは可能ですが、他国の被害者に共感する「私」にとってその価値は疑うべくもありません。
2011-02-20 21:39:32@finalvent 人の普遍性への感受性とそれゆえの共感に、それほどの意志や覚悟は必要でしょうか。小学生でさえ共感して泣きます。また、あっけらかんとしているMSF参加者もいるでしょう。
2011-02-20 21:43:13@finalvent 「そうしない奴は嘘だ、ただの自己正当化だ」という行き方には結局、「そうしている自分(たち)だけが正しい、それ以外の奴は偽善者だ」という一つの誤った自己正当化の危険がありませんか。大変な失礼をお許しください。
2011-02-20 21:48:25@sacon 「ジェノサイド以外の人権侵害は国家にとり本質的でない」という前提を共有しないのはその人の自由です。そしてそれはその人を国家に従属させる人として定義するでしょう。
2011-02-20 22:05:35@sacon 『ジェノサイドの阻止以外のコミット、国家による他の形態の人権侵害の被害者への共感が「嘘」であり、人権の確信には至らない』という考えは、私という存在(コミット・企投)であってそれ事態が根拠であり、思念ではありません。
2011-02-20 22:07:29@saconそもそも「所属する共同体の多数派による意思決定といえども、また構成員に対してであっても、侵してはならない価値や尊厳が個人にはある」は虚構です。この虚構のゲームは国家に臨界付けられ、人間を国家に内部に定義させます。
2011-02-20 22:08:51