- Uroak_Miku
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伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』再論 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1036920
↑まずこれを先に読んでから以下の論におつきあいください。
どうして主役キャラの胴体にナレーションが書き込まれているかわかるかな?私見ですが同一人物だと保証するためです。当時はまだこうしないと同一人物が時間経過とともに変化している(動く+喜怒哀楽の感情が変化する)のだと読む側に認識されなかった(されないと描き手が恐れた)のです、たぶん。 pic.twitter.com/fRYf8UciZZ
2016-10-15 09:22:342)少し訂正。このハゲっ子の黄色い服に書き込まれているのはナレーションではなくこの子の内声ですね。この子がすでに自律して動き回る「キャラ」であること「も」保証するための作者の読者への親心というところか。 twitter.com/KaoruKumi/stat…
2016-10-15 09:28:133)コマの連続で物語るスタイルはもっと前からあるのですが、ここに描かれているのは人物であってキャラクターではなく、ましてや「キャラ」つまり自律化したキャラクターでもなかった。今の目で分析すると、です。 pic.twitter.com/I2todqbWlB
2016-10-15 09:30:434)下のほうに何か文がありますね。フランス語です。小さくてよく読めないのですが主語が Elle(彼女)なので、第三者目線での描写です。さっきのイエローキッド(禿の子)の服に書き込まれていたのは I(ぼく)だったのと比べてみてください。
2016-10-15 09:34:045)I は見当たらないかな。これも字が小さくてよく読めない。それでも my(ぼくの)が読み取れるから主語が I なのは間違いないです。 pic.twitter.com/C3sSDbD5Jt
2016-10-15 09:37:136)ちょっと脱線しますが上辺に書かれた ”MAD DOG!" -- Of course the dog isn't mad, but the cats are--awfully. これはどう解釈すべきか。the cats(あの猫ども)とは何を指すのか。このまんがに続きがあるのか?
2016-10-15 09:45:067)キャラクターの自律化といえばこんな前例があります。ただこれは今でいう絵本のスタイルですよね。『マックスとモーリッツ』。1865年。ドイツ。明治期の和訳版から。 pic.twitter.com/0MuLUiDDRK
2016-10-15 09:53:048)もう少し後になるとイギリスでこんなのが登場します。連載もので、同一人物(とされる男性の人物像)「アリー・スローパー」がシリーズに一貫して登場。主役です。これは1887年掲載。シャーロック探偵の時代ですね。 pic.twitter.com/5oGgmkWCUJ
2016-10-15 10:00:3410)しかしこの子は違った。黄色いシャツに内声が書き込まれている。自律して動いているのです。かなりなまった英語で「かんぱーい!」 pic.twitter.com/mBk48y80zV
2016-10-15 10:05:4711)連載元の移籍騒動の際、作者はこの子そのものを「著作物」として著作権局に登録することを思いついた。特許の考え方に近いですね。受理されればもう自分以外の誰もこの子を描けない、つまりこの子のまんがを世に出せない。
2016-10-15 10:08:4012)作者アウトコールトはこの子を「キャラクター」と認識していたのでしょう。まんが作品の一パーツではなく、特許的なものだと。もう二次元的な存在とは見ていなかった。
2016-10-15 10:09:5213)さすがに受理されなかった。それでも「キャラクター」を発見した画期ではあった。この発想が後にアニメーションという立体イメージ重視の映像娯楽のなかで進化し、このネズミが自律して歩き出した。創造主に手をしっかり握られながら。 pic.twitter.com/4W4NAtsK2v
2016-10-15 10:14:26