@oursonrosso そうですね。即物的です。信仰も教養もない感じがしますね。でもそういう人ですら学者の書いた新書などは読んでいたりするので、単に「学問」「知」を狭く捉えすぎなんだと思うんですよね。ちなみにbio拝見しましたが素晴らしい理念ですね。
2011-02-22 00:43:27こどもは、それでいい。こどもが大人になったときに、すごかったんだ、と気付くほうがカッコいい、と妄想。RT @hibukuro 子供の100倍は勉強というか努力している行動を見せているが、子供達はついてこないなあ^ ^ RT @zerobase:もっと「勉強が役に立った」ということ
2011-02-22 00:50:24ぼくは信仰も共同体も拠り所にできなかったけれど、人文知を通じて目的・使命を見いだすことが出来た。日本にはぼくと同様の境遇にある人は多いと思うので、人文知に向き合ってみては、と思う。
2011-02-22 00:52:23いまの日本で「共通善を再び立ち上げよう」というときに、伝統に依拠することも出来るかも知れないが、ある意味では人工的に(あるいは合衆国的に)、人文知にそれを求めることも出来るのではないか、とぼんやり考える昨今。それはイデオロギーとどう違うのか、まだ結論は出ていない。
2011-02-22 00:55:36内向きだ無気力だなんて言われるワカモノの鏡が親だったりするのかなと思います RT @zerobase 多くの大人が「学校の勉強なんて役に立たない」と言い過ぎだと思う。・・・子供に「勉強しろ」と言わなくても親が知を求めて学び続けているかどうか。子は親の言葉より行動を真似るはず。
2011-02-22 01:35:43@zerobase ありがとうございます。研究者が分野隔てなく自由闊達に研究することで、社会問題の解決に自然とつながるような組織や社会を作るのが夢です。単に会社から協賛得るだけや、製品化のための基礎研究な位置づけだけでなく、知がアクティブに巡る社会だとおもろいなと思うんです☆
2011-02-22 01:35:57ちゃんと勉強した(し続けてる)人で、無駄だったと言う人に会ったことがない。したことない人に限って役に立たないと言う傾向。 RT @zerobase 大人が「学校の勉強なんて役に立たない」と言い過ぎ。「勉強が役に立った」ということを言ってみてはどうか。親が知を求めて学び続けているか
2011-02-22 02:15:59